「イギリスの王室属領」の版間の差分
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{{暫定記事名|date=2010年11月}}
[[File:British Crown Dependencies.svg|thumb|チャンネル諸島はイギリス海峡に、マン島はアイルランド海に各々位置する。]]
[[File:Wyspy Normandzkie.png|thumb|right|チャンネル諸島と隣接するフランス沿岸部]]
イギリスの'''王室属領'''({{lang|en|Crown dependencies}})は、[[イギリス]]の[[王冠 (英連邦王国)|王冠]]([[:en:the Crown|{{lang|en|the Crown}}]])に属し、高度な自治権を持った地域である。[[イギリス]](連合王国、{{lang|en|United Kingdom}})には含まれず、それぞれ独自の憲法の下で政府を持っている。ただし、[[外交]]・[[防衛]]についてはイギリス政府が責任を負っている。▼
[[File:Brecqhou from the air.JPG|thumb|[[ブレッシュ島]]の航空写真]]
[[File:Aerial view of fields in St Clement, Jersey.jpg|thumb|[[セント・クレメント (ジャージー)|セント・クレメント]]の航空写真]]
[[File:Uk map isle of man.png|right|thumb|マン島と周辺]]
[[File:Castletown Aerial View - Isle of Man - kingsley - 30-APR-09.jpg|right|thumb|[[カッスルタウン (マン島)]]の航空写真]]
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日本では'''王領'''や'''王室領'''、'''王室直轄領'''、'''王室保護領'''などの語が用いられることもある。
== 王室属領である地域 ==
[[グレートブリテン島]]周辺の[[チャンネル諸島]]([[イギリス海峡]])と[[マン島]]([[アイリッシュ海]])に、以下の王室属領がある。チャンネル諸島は2つの代官管轄区{{enlink|Bailiwick}}に分かれており、王室属領は3つと数えられる。▼
▲[[グレートブリテン島]]周辺の[[チャンネル諸島]]([[イギリス海峡]])と[[マン島]]([[アイリッシュ海]])に、以下の王室属領がある。チャンネル諸島は2つの管区{{enlink|Bailiwick}}に分れており、王室属領は3つと数えられる。
* [[チャンネル諸島]]
** {{flagicon|ジャージー}} '''[[ジャージー|ジャージー代官管轄区]]''':[[ジャージー|ジャージー島]]
** {{flagicon|ガーンジー}} '''[[ガーンジー|ガーンジー代官管轄区]]''':[[ガーンジー|ガーンジー島]]、[[オルダニー島]]、[[サーク島]]、[[ハーム島]]
* {{flagicon|マン島}} '''[[マン島]]'''
[[イギリスの君主]](現在は[[チャールズ3世 (イギリス王)|チャールズ3世]])を元首
== 地位 ==
=== 連合王国との関係 ===
3地域は、[[イギリス連邦|コモンウェルス]](イギリス連邦)に
連合王国における法的な意味での「[[ブリテン諸島]]」
一方で、王室属領は多くの機関を連合王国と共有している。たとえば[[英国放送協会]](BBC)はチャンネル諸島にローカルラジオ局を持っており、マン島は BBC North West の放送地域である。また、王室属領は独自の郵便・通信機関を持つが、連合王国の[[電話番号計画]]に参加しており、互換性のある郵便番号を採用するなど、システムに関しては一体化している。
[[1981年
=== 連合王国以外との関係 ===
王室属領が連合王国に委任している事項の一つは外交であるが、[[20世紀]]末から連合王国政府は、外交代表権や防衛に関するものを除く事案(税や金融・環境・貿易など)で、各属領政府が外国の政府と政治的な接触(外交的交渉ではなく)を持つことを認めるようになった。近年の金融の発展に伴い、連合王国とは別に他国との取り決めを行う事例も増えてきた。
また、3地域はいずれも{{仮リンク|英国・アイルランド協議会|en|British–Irish Council}}の構成主体となっている。
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=== EUとの関係 ===
{{see|欧州連合加盟国の特別領域#チャンネル諸島、マン島}}
3地域は、いずれもイギリスが[[欧州連合]]やその前身組織に加盟している間も加盟地域ではな
王室属領の市民は英国市民(British citizen)であるために、[[欧州連合の市民]]とな
=== スポーツにおける代表チーム ===
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=== マン島 ===
'''[[マン島]]'''には、9世紀以来[[ヴァイキング]]([[ノース人]])が定住し、一時期は独立したマン島王国{{enlink|Kingdom of Mann and the Isles}}の中心であった。13世紀以降、[[スコットランド独立戦争]]を背景として、マン島の領有権はスコットランドとイングランドとの間で争われ、14世紀半ばにイングランドの勢力下に入る。この過程の[[1333年]]、イングランド王[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]は封臣である{{仮リンク|ウィリアム・モンタギュー (初代サリスベリー侯爵)|en|William Montagu, 1st Earl of Salisbury|label=ウィリアム・モンタギュー}}にマン島王{{enlink|King of Mann}}の称号を認め、独立王国としての体裁をとらせた。[[1399年]]、[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]はマン島王を処刑し、マン島はイングランド王の直轄領となった。
1405年、ヘンリー4世は{{仮リンク|ジョン・スタンリー (マン島王)|en|John I Stanley of the Isle of Man|label=ジョン・スタンリー}}に「マン島王」の称号と領主権を与え、以後スタンリー家(のちの[[ダービー伯爵]]家)が、中断を含みつつも18世紀初頭まで島の領主を務めた。なお、1504年以降「マン島王」に代わり「[[マン島領主]]」{{enlink|Lord of Mann}}の称号が使用されるようになった。1765年、当時のマン島領主は封建的諸権利をイギリスに売却し、マン島は王室属領となった。このときのマン島購入法{{enlink|Isle of Man Purchase Act 1765}}は復帰法({{lang|en|Act of Revestment}})とも呼ばれる。以後、「マン島領主」({{lang|en|Lord of Mann}})の称号は連合王国の君主が併せ持つこととなった。
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{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
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* [[保護国]]
* [[欧州連合加盟国の特別領域]]
* [[クラウン・エステート]]
== 外部リンク ==
{{commonscat|Crown dependencies}}
* {{en icon}} [
* {{en icon}} [
* {{en icon}} [
{{連合王国構成国と王室領}}
{{イギリスの海外領土}}
{{イギリス関連の項目}}
{{デフォルトソート:おうしつそくりよう}}
[[Category:
[[Category:イギリスの海外領土と属領|*]]
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