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[[Image:Abutsu-Ni.jpg|200px|thumb|阿仏尼像(個人蔵<!--上冷泉家-->、鎌倉から南北朝時代の作、[[重要美術品|重美]]<ref>現存最古の単独女性像としても貴重(田沢裕賀 『日本の美術384 女性の肖像』 3,27頁、[[至文堂]]、1998年 ISBN 978-4-784-33384-4</ref>)]]
'''阿仏尼'''(あぶつに、阿佛尼, [[貞応]]元年([[1222年]])?)? - [[弘安]]6年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]([[1283年]][[5月6日]]))は[[鎌倉時代]]中期の女流[[歌人]]。[[女房名]]は'''安嘉門院四条'''(あんかもんいんのしじょう)または、[[右衛門佐]](うえもんのすけ)。実父母は不明。武士である[[平度繁|奥山度繁]](たいらのおくやまのりしげ)の養女となる(ただし奥山度繁の養女ではなく実の娘であるとする見解もある)<ref>田渕句美子「阿仏尼の出自」『原典読セミナー6 阿仏尼とその時代 うたたねが語る中世』第二講うたたねの成立とその時代 P91~ (臨川書店、2000年8月20日) ISBN 4-653-03723-X </ref>。
 
==略伝==
[[平氏|桓武平氏]][[大掾氏]]流の武士[[平維茂]]の長男である[[平繁貞]]の子孫。武士である[[平度繁|奥山度繁]]の娘(または養女<ref>上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 44頁。</ref>)。
[[邦子内親王|安嘉門院]]に仕える。出仕中10代で初恋の失恋の失意から出家を決意し尼となったが、その後も世俗との関わりを持ち続けた。30歳頃[[藤原為家]]の側室となり、[[冷泉為相]]らを産む。
 
為家の没後、[[播磨国]]細川荘(現[[兵庫県]][[三木市]])の相続をめぐり、正妻の子[[二条為氏]]と争い、[[1279年]](弘安2年)幕府に訴えるため[[鎌倉]]へ下った。このときの紀行と鎌倉滞在のことを記したのが『[[十六夜日記]]』である。訴訟の結果がわかる前に鎌倉で没したという説と、京都へ帰った後に没したとの説がある。「弘安百首」などに参加し、関東にある10社に勝訴を祈願して奉納した「安嘉門院四条五百首」や「安嘉門院四条百首」などもある。
 
歌論書に『夜の鶴』がある。また若い頃に書いた『うたたね』は失恋の顛末を記した日記<ref>文庫では[[次田香澄]]全訳注『うたたね』講談社学術文庫、1978</ref>である。『[[続古今和歌集]]』以下の[[勅撰和歌集]]に計48首入集しているものの、阿仏尼の孫である[[冷泉為秀]]が参画した『[[風雅和歌集]]』や阿仏尼と親しかった[[京極為兼]]が選者を務めた『[[玉葉和歌集]]』では入集数が多い一方で冷泉家と対立した[[二条派|二条家]]が選者をめたときは入集数は極端に少なく、当時の歌壇の政治的対立状況を反映していると考えられる<ref>田渕句美子「中世・近世歌人から見た阿仏尼の和歌と歌論」日本歴史学会編集新装版 人物叢書 阿仏尼』吉川弘文館「人物叢書」、2009年11月、pp.. 233-238。 ISBN 978-4-642-05254-2 </ref>。
[[File:伝阿仏尼墓.jpg|thumb|120px|伝阿仏尼墓 鎌倉市扇ガ谷1-16-3、横須賀線沿い稲荷大明神隣]]
 
* 『[[続古今和歌集]]』 3首(藤原為家撰)
* 『[[続拾遺和歌集]]』 6首([[二条為氏]]撰)
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* 『[[続千載和歌集]]』 1首(二条為世撰)
* 『[[続後拾遺和歌集]]』 1首(二条為藤、[[二条為定]]撰)
* 『[[風雅和歌集]]』 14首([[光厳天皇|光厳院]]親撰、冷泉為秀らが寄人をめた)
* 『[[新千載和歌集]]』 2首(二条為定撰)
* 『[[新拾遺和歌集]]』 3首([[二条為明]]撰)
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* 『[[新続古今和歌集]]』 5首
 
鎌倉市[[扇ガ谷]]に伝・阿仏尼の墓が残る。また、[[京都市]][[南区 (京都市)|南区]]の[[大通寺 (京都市)|大通寺]]にも、阿仏尼の墓とされる「阿仏塚」が所在している<ref>{{Cite web|title=大通寺案内 |url=https://kyoto-daitsuji.com/about/ |publisher=大通寺(遍照心院) |accessdate=2023-11-20}}</ref>。
鎌倉市[[扇ヶ谷]]に伝・阿仏尼の墓が残る。
 
==主な作品==
*[[十六夜日記]]
*[[うたたね (阿仏尼)|うたたね]]
*[[夜の鶴]]
*[[乳母のふみ]]
 
== 関連項目 ==
{{Wikisource author|wslanguage=ja|wslink=|title=阿仏尼}}
* [[城氏 (平氏)|城氏]]
* [[Category:越後平氏]]
* [[阿仏尼本源氏物語]]
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
<references/>
 
{{Normdaten}}
{{writer-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:あふつに}}
[[Category:鎌倉時代の人物阿仏尼|*]]
[[Category:日本の女性歌人]]
[[Category:日本の日記作家]]
[[Category:御子左流女性日記作家]]
[[Category:鎌倉時代の女性]]
[[Category:鎌倉時代の僧]]
[[Category:鎌倉時代の歌人]]
[[Category:13世紀日本の女性著作家]]
[[Category:13世紀日本の尼僧]]
[[Category:13世紀の歌人]]
[[Category:越後平氏]]
[[Category:御子左流]]
[[Category:1283年没]]
[[Category:日本の僧]]
[[Category:平氏]]
[[Category:御子左流]]
 
[[ca:Abutsu-ni]]
[[de:Abutsu-ni]]
[[fr:Abutsu Ni]]
[[zh:阿佛尼]]