「阿仏尼」の版間の差分
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[[Image:Abutsu-Ni.jpg|200px|thumb|阿仏尼像(個人蔵<!--上冷泉家-->、鎌倉から南北朝時代の作、[[重要美術品|重美]]<ref>現存最古の単独女性像としても貴重(田沢裕賀 『日本の美術384 女性の肖像』 3,27頁、[[至文堂]]、1998年 ISBN 978-4-784-33384-4</ref>)]]
'''阿仏尼'''(あぶつに、阿佛尼, [[貞応]]元年([[1222年]]
==略伝==
[[平氏|桓武平氏]][[大掾氏]]流の
[[邦子内親王|安嘉門院]]に仕え
為家の没後、[[播磨国]]細川荘(現[[兵庫県]][[三木市]])の相続をめぐり、正妻の子[[二条為氏]]と争い、[[1279年]](弘安2年)幕府に訴えるため[[鎌倉]]へ下った。このときの紀行と鎌倉滞在のことを記したのが『[[十六夜日記]]』である。訴訟の結果がわかる前に鎌倉で没したという説と、京都へ帰った後に没したとの説がある。「弘安百首」などに参加し、関東にある10社に勝訴を祈願して奉納した「安嘉門院四条五百首」や「安嘉門院四条百首」などもある。
歌論書に『夜の鶴』がある。また若い頃に書いた『うたたね』は失恋の顛末を記した日記<ref>文庫では[[次田香澄]]全訳注『うたたね』講談社学術文庫、1978</ref>である。『[[続古今和歌集]]』以下の[[勅撰和歌集]]に計48首入集しているものの、阿仏尼の孫である[[冷泉為秀]]が参画した『[[風雅和歌集]]』や阿仏尼と親しかった[[京極為兼]]が選者を務めた『[[玉葉和歌集]]』では入集数が多い一方で冷泉家と対立した[[二条派|二条家]]が選者を
[[File:伝阿仏尼墓.jpg|thumb|120px|伝阿仏尼墓 鎌倉市扇ガ谷1-16-3、横須賀線沿い稲荷大明神隣]]
* 『[[続古今和歌集]]』 3首(藤原為家撰)
* 『[[続拾遺和歌集]]』 6首([[二条為氏]]撰)
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* 『[[続千載和歌集]]』 1首(二条為世撰)
* 『[[続後拾遺和歌集]]』 1首(二条為藤、[[二条為定]]撰)
* 『[[風雅和歌集]]』 14首([[光厳天皇|光厳院]]親撰、冷泉為秀らが寄人を
* 『[[新千載和歌集]]』 2首(二条為定撰)
* 『[[新拾遺和歌集]]』 3首([[二条為明]]撰)
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* 『[[新続古今和歌集]]』 5首
鎌倉市[[扇ガ谷]]に伝・阿仏尼の墓が残る。また、[[京都市]][[南区 (京都市)|南区]]の[[大通寺 (京都市)|大通寺]]にも、阿仏尼の墓とされる「阿仏塚」が所在している<ref>{{Cite web|title=大通寺案内 |url=https://kyoto-daitsuji.com/about/ |publisher=大通寺(遍照心院) |accessdate=2023-11-20}}</ref>。
==主な作品==
*[[十六夜日記]]
*[[うたたね (阿仏尼)|うたたね]]
*[[夜の鶴]]
*[[乳母のふみ]]
== 関連項目 ==
{{Wikisource author|wslanguage=ja|wslink=|title=阿仏尼}}
* [[城氏 (平氏)|城氏]]
* [[阿仏尼本源氏物語]]
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{Normdaten}}
{{writer-stub}}
{{DEFAULTSORT:あふつに}}
[[Category:
[[Category:日本の日記作家]]
[[Category:鎌倉時代の女性]]
[[Category:鎌倉時代の僧]]
[[Category:鎌倉時代の歌人]]
[[Category:13世紀日本の女性著作家]]
[[Category:13世紀日本の尼僧]]
[[Category:13世紀の歌人]]
[[Category:越後平氏]]
[[Category:御子左流]]
[[Category:1283年没]]
▲[[Category:日本の僧]]
▲[[Category:平氏]]
▲[[Category:御子左流]]
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