「フォード・トリノ」の版間の差分

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フォードはNASCARでの支配的な地位を取り戻す為、再びトリノをベースに特別な高性能車両を製作する事を計画した。その車両は1970年式をベースに設計、1970年モデルイヤー中での市販が企画され、名称は'''フォード・トリノ・キングコブラ'''とされた。トリノ・キングコブラはトリノ・タラデガと同様に空力特性の最適化を念頭に置いた設計が行われ、1970年式トリノの市販車両とは全く異なる外観が与えられた。フロントフェイスは先端に行く程鋭く尖った形状となり、ヘッドライトは2灯式が採用され、フロントフェンダー先端に[[ディッシャー|シュガースコップ]]様の窪みに埋め込まれるデザインとなった。その外観は1969年発売の[[日産・フェアレディZ|ダットサン・240Z]] ([[:en:Nissan_S30#240Z]]) と非常によく似たもの<ref>[http://musclecars.howstuffworks.com/classic-muscle-cars/1970-ford-king-cobra.htm "1970 Ford King Cobra: A Profile of a Muscle Car"] - HowStuffWorks</ref>となった。トリノ・キングコブラのフロントグリルはフロントバンパー下の巨大な開口部であり、近代的な自動車で用いられる[[ボトムブリーザー]] ([[:en:bottom breather]]) と同じ概念が用いられている。パーキングランプはヘッドランプの内側に埋め込まれるように配置され、ボンネットは中央部付近のみ黒く塗装された。また、フロントフェンダーからリアクォーターパネルに掛けて、1968-69年式トリノGTと同じサイドストライプが貼付された。フォードは更に空力を改善する為に、NASCAR参戦チームに対してはヘッドライトカバーも提供する予定であった。
 
しかし、NASCARは[[ホモロゲーション]]の変更を行い、予選参加に必要な市販台数を最低500台から最低3000台にまで引き上げた。これにより、フォードはトリノ・キングコブラの市販計画を断念した。トリノ・キングコブラはNASCARでのテスト用とショウルーム展示用を含んだ3台のプロトタイプが製造されたのみであった。1台は''Boss 429 [[フォード・マスタング|マスタング]]''と同じ[[フォード・サンダージェットV8#429ボスV8|429ボスV8]]が搭載され、残りの2台にはそれぞれ429 SCJと429 CJエンジンが搭載された<ref name="MCC">{{citeCite web|url=http://www.myclassiccar.com/MCCTV/2004Season/9007/torino.shtml|title=1970 Ford Torino King Cobra|first=Keith|last=Fudge|accessdate=2007-03-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20061118170041/http://www.myclassiccar.com/MCCTV/2004Season/9007/torino.shtml|archivedate=2006-11-18|deadlinkdateurl-status=dead|url-status-date=2017年9月-09}}</ref>。
 
トリノ・キングコブラの計画断念後、NASCARのエアロカー戦争はプリムス・スーパーバードが制する事となった。しかし、スーパーバードの栄光も長くは続かなかった。NASCARは1970年シーズン後の台数規定の変更に続き、1971年シーズン前には'''参戦車両は原則として市販車両と同一形状である事'''を要求する新たなレギュレーションを策定し、トリノ・タラデガから始まったエアロ・ウォーリアの時代は完全に幕を下ろす事となる。