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{{別人|西川健太郎}}
{{存命人物の出典明記|date=2011年7月29日 (金) 07:26 (UTC)}}
{{Infobox baseball player
| 選手名 = 西村 健太朗
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* [[読売ジャイアンツ]] (2004 - 2018)
}}
'''西村 健太朗'''(にしむら けんたろう、[[1985年]][[5月10日]]<ref name="meikan2008">{{Cite book |1=和書 |title=プロ野球カラー名鑑 2008 |publisher=[[ベースボール・マガジン社]] |year=2008 |page=14 |isbn=978-4-583-61526-4}}</ref> - )は、[[広島県]][[安芸郡 (広島県)|安芸郡]][[府中町]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])、[[野球解説者]]。右投右打。
 
現役時代は[[読売ジャイアンツ]]に所属。2013年に[[最多セーブ投手 (日本プロ野球)|最多セーブ投手]]を獲得した。
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=== 巨人時代 ===
{{by|2004年}}7月1日に一軍初昇格。同日の[[阪神タイガース]]戦([[阪神甲子園球場|甲子園]])にリリーフとしてプロ初登板するも6失点でノックアウト。7月4日の[[広島東洋カープ]]戦では初先発し勝敗つかず。2軍では14試合に登板し、72回を投げ30自責点。6勝4敗、防御率は3.75だった<ref>週刊ベースボール 2004年12/20号 82頁 「保存版・記録の手帳 公式戦出場全選手個人成績 2004年プロ野球ペナントレース統括 3位 読売ジャイアンツ」より</ref>。
 
{{by|2005年}}は、前半戦はほぼ二軍で過ごすが、8月10日の一軍昇格以降はチーム事情から先発として起用される。9月1日のヤクルト戦でのプロ初勝利を含め、7度の先発起用で2勝を挙げた。
 
{{by|2006年}}4月1日の[[イースタン・リーグ|イースタンリーグ]]・[[埼玉西武ライオンズ (ファーム)|インボイス]]戦でプロ初の完封勝利。4月29日に昇格し、シーズン終了まで一軍で先発および中継ぎとして31試合に登板(先発14試合、中継ぎ17試合)。多くの辞退者が出たため11月には[[日米野球]]に出場<ref>[https://npb.jp/japanus/2006/roster_npb.html イオン日米野球2006 NPB選抜チーム]</ref>。また、12月末に[[婚姻届]]を提出した<ref>スポーツ報知 2007年1月5日</ref>。
 
{{by|2007年}}から背番号が'''30'''になる。中継ぎとして一軍に定着し、8月にはリーグタイ記録の月間17試合登板を達成した。シーズン後半には[[上原浩治]]、[[豊田清]]と共に勝ちパターンの継投にも組み込まれ、チーム最多の57試合に登板。ロングリリーフや緊急先発もこなし、原監督から「うちの鉄人」と賞賛された<ref name="nikkansports20190616">[https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20090616-506995.html 巨人救援の鉄人西村健が内視鏡右ひじ手術] 日刊スポーツ 2009年6月16日</ref>。一方、対左打者の被打率が.318、ビジターでは31試合で26失点と課題も残った。シーズン終了後のインタビューでは、先発至上主義が根強く残る巨人には珍しくクローザー願望を語り、「上原さんのように歓声のなか登板したい、ファンに信頼される投手になりたい」と告白した。
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{{by|2010年}}は、前年同様に先発転向を志しオープン戦からアピール<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100319-607661.html 西村健チェンジアップで先発猛アピール] 日刊スポーツ 2010年3月19日</ref>。開幕5戦目となる3月31日の[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]戦で3シーズンぶりの先発マウンドに上がった<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100401-612816.html 巨人西村健久しぶり先発も4失点KO] 日刊スポーツ 2010年4月1日</ref>。序盤は先発ローテーションの一角に入るが、4勝目を挙げた5月30日の西武戦を最後に白星から遠ざかる。6月6日の[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦で4本塁打を打たれ<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20100606-638646.html 【巨人】西村健4被弾…7失点KO3敗目] 日刊スポーツ 2010年6月6日20時5分</ref>、先発として3連敗で迎えた7月5日の[[広島東洋カープ]]戦で5回を持たずノックアウト。翌日に登録を抹消され、そのまま二軍でシーズンを終えた。
 
{{by|2011年}}は、キャンプでは再度の先発ローテーション入りを目指すが<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110302-743439.html 【巨人】西村先発ローテ入りへ存在感] 日刊スポーツ 2011年3月2日</ref>、中継ぎとして自身3年ぶりの開幕一軍入り。7月からは先発ローテーションに入り<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110628-796611.html 西村第6の男!巨人ローテ再編3本柱解体] 日刊スポーツ 2011年6月28日</ref>、7月16日のヤクルト戦でプロ入り初の完投勝利<ref name="#1nikkansports20110717">[https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110717-806268.html イメチェン西村緩急でプロ初完投] 日刊スポーツ 2011年7月17日</ref>。9月10日の広島戦で自身最多となる7勝目を挙げた<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110910-833172.html 【巨人】西村ピンチしのぎ自己最多7勝] 日刊スポーツ 2011年9月10日</ref>。夏場に5連勝する一方で終盤に4連敗と苦しんだが、最終成績は防御率1.82で7勝5敗4ホールドと勝ち越した。契約更改の席で「初めて1年間一軍にいて、充実した1年だった」と振り返るシーズンとなった<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp1-20111206-873328.html 【巨人】西村1200万増「目標2ケタ」] 日刊スポーツ 2011年12月6日</ref>。
 
{{by|2012年}}は、前年守護神だった[[久保裕也 (野球)|久保裕也]]の故障により、開幕前に[[リリーフ#抑え|抑え]]を託された<ref name="closer">[https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120318-919113.html 巨人開幕守護神は西村だ] 日刊スポーツ 2012年3月18日</ref>。4月1日のヤクルト戦で自身5年ぶりのセーブを挙げる<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120401-927120.html 【巨人】西村3人斬りで5年ぶりセーブ] 日刊スポーツ 2012年4月1日</ref>。6月末からは[[スコット・マシソン]]がクローザーを任されたことで[[リリーフ#セットアッパー|セットアッパー]]に配置転換されるが<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120630-975765.html 【巨人】原監督決めた!守護神マシソン] 日刊スポーツ 2012年6月30日</ref>、[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスター]]明けにマシソンが離脱したことで再び抑えを務め、8回・[[山口鉄也]]、9回・西村と継投で逃げ切る必勝パターンを築く。2人の平均防御率は0.99と抜群の安定感を保った。優勝へのマジック1で迎えた9月21日のヤクルト戦では30セーブ目を挙げると同時に胴上げ投手となった<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120921-1020974.html 西村胴上げ投手「うれしい」/巨人V] 日刊スポーツ 2012年9月21日</ref>。一方[[2012年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]では4試合で4回3失点、[[北海道日本ハムファイターズ]]との[[2012年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも2試合で1回1/3を1失点でともに1敗を喫し、日本一の際の胴上げ投手も山口に譲った。[[最多セーブ投手 (日本プロ野球)|セーブ王]]は1セーブ差で[[トニー・バーネット|バーネット]](ヤクルト)、[[岩瀬仁紀]](中日)に譲るも、防御率はバーネットの1・82(57試合)、岩瀬の2・29(54試合)を大きく上回る1・14(69試合)を記録。『[[週刊ベースボール]]』の「2012年度ベストナイン」ではベスト抑えに選ばれた他、[[豊田泰光]]から「巨人の試合で山口、西村の8、9回だけは見応えがあった」と絶賛された<ref>『[[週刊ベースボール]]』2012年10月15日号 「豊田泰光のオレが許さん!」第955回</ref>。オフの11月6日に、「[[侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」]]」の日本代表が発表され<ref>[https://npb.jp/japan/news/20121106.html 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー] NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧</ref>代表入りした<ref>[https://npb.jp/japan/2012fal/roster_japan.html 日本代表メンバー] NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧</ref>。契約更改では、倍増の8000万円で更改した。
 
{{by|2013年}}は、守護神の地位を確立し、セーブのつく場面でマシソンや山口が用いられる場面はほぼなかった。8月14日の対[[横浜DeNAベイスターズ]]戦で球団史上初の2年連続30セーブを達成した。最終的に両リーグ最多の71試合に登板し、巨人の球団新記録となる42セーブを挙げ<ref>[https://web.archive.org/web/20130927053758/http://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20130927-OHT1T00025.htm 健太朗、球団新42Sで初セーブ王確定!] スポーツ報知 2013年9月27日</ref>、10年目で自己初、チームとしては2008年の[[マーク・クルーン]]以来、日本人としては1993年の[[石毛博史]]以来(この時は最優秀救援投手)の[[最多セーブ投手 (日本プロ野球)|最多セーブ投手]]のタイトルを獲得した。楽天との[[2013年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では第1戦でセーブを挙げるが、第5戦で9回から登板し、同点に追いついた直後の延長10回に勝ち越しを許し敗戦投手になり、2年連続で日本シリーズでは結果を残せなかった。しかしオフにシーズンの活躍の甲斐があり1億円増の1億8000万円で契約を更改した<ref>{{Cite web|和書 ja |url=https://www.sanspo.com/article/20131204-KNXWGHCG6NIR3EAULLQLQJ2B2Y/ |title=G・西村、1億円増の年俸1億8000万円「すごくいい評価」 |publisherwebsite=サンケイスポーツ |date=2013-12-04 |accessdate=2021-07-25}}</ref>。
 
{{by|2014年}}は開幕直後こそ守護神だったが、延長戦での勝ち越し点など、救援失敗が目立ってくると守護神の座を途中でマシソンに譲り、中継ぎに回った。中継ぎに回った後は持ち直し、最終的に49試合に登板し、防御率2.98の成績を残した。阪神との[[2014年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]では第2戦から第4戦にかけて3試合に登板。第2戦と第4戦は無失点だったが、第3戦は6回の途中から登板するも、[[福留孝介]]に同点適時打を打たれてしまった。降板後の7回に勝ち越されチームは敗れた。オフの10月21日に、「[[日本プロ野球80周年記念試合]]」の阪神・巨人連合チームに選出されたことが発表された<ref>[https://hanshintigers.jp/news/topics/info_3504.html 2014 SUZUKI 日米野球シリーズ 阪神・巨人連合チーム出場選手発表] 阪神タイガース公式サイト (2014年10月21日) 2015年5月26日閲覧</ref><ref>[{{Cite web ja |url=https://www.giants.jp/Gnews/gnews16368/news_399062.html |title=阪神・巨人連合対MLBの出場選手発表] |website=読売ジャイアンツ(巨人軍)公式サイト |date=2014-10-22 |accessdate=2024-08-29}}</ref>。
 
{{by|2015年}}、前年オフに原監督から先発転向を指示されキャンプから先発再転向の為に準備をしオープン戦でも結果を残したが、マシソンがオープン戦の内容が悪く急遽開幕はリリーフで迎えた。しかし開幕二戦目の対横浜戦、9回に[[筒香嘉智]]に本塁打を打たれその回を投げきったがこれが2015年シーズン一軍での唯一の登板となった。二軍で再度先発再転向の準備をした矢先の5月1日のイースタンリーグのヤクルト戦、[[西浦直亨]]の打球が顔面に直撃し、救急車で緊急搬送され右目瞼を10針縫った<ref>{{Cite web|和書 ja |url=https://www.sanspo.com/article/20150502-JOXHSXHN2JI25FGNF6T2O75LSE/ |title=顔面に打球直撃の巨人・西村が退院 右まぶた10針縫う手術 |publisherwebsite=サンケイスポーツ |date=2015-05-02 |accessdate=2021-07-25}}</ref>。5月30日に復帰登板を果たしたが不幸は続き、6月16日のイースタンリーグのDeNA戦、[[白崎浩之]]の打球が左足の脛に直撃し、イニング終了時に降板した。7月2日に復帰はしたものの今度は7月24日のファーム交流戦の対ソフトバンク戦の登板を最後に肘に異変が起き、ノースロー調整を続けたが回復せず8月23日に球団から9月初旬に右肘の遊離軟骨除去手術を横浜市内の病院で受けることが発表された。全治は2か月と診断されシーズン中の復帰は絶望となった<ref>{{Cite web|和書 ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/08/25/kiji/K20150825010999820.html |title=巨人・西村 右肘手術へ…全治2カ月見込み、今季絶望 |publisherwebsite=スポニチ Sponichi Annex |date=2015-08-25 |accessdate=2021-07-25}}</ref>。
 
{{by|2016年}}、前年の手術の影響で27試合に留まり、40%減の年俸7800万円で契約更改した<ref>[{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1746252.html |title=巨人西村40%減「1軍に上がるのが遅かった」] |website=日刊スポーツ |date=2016-12月2日掲載-02 |accessdate=2024-08-29}}</ref>。
 
{{by|2017年}}は9月に下半身のコンディション不良で戦線を離脱したが<ref>[{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201709270000054.html |title=巨人西村が負傷交代 下半身コンディション不良か] |website=日刊スポーツ |date=2017年9月-09-27日掲載 |accessdate=2024-08-29}}</ref>、中継ぎとして45試合に登板し10ホールドを挙げた。
 
{{by|2018年}}は7月に二軍戦で右肩を脱臼し、リハビリに努めたものの回復が遅れ一軍登板がなく、10月3日に現役引退を発表した<ref>{{Cite newsweb ja |url=https://www.sanspo.com/article/20181003-A4TXSFJ2ZZMDFKFPJ32OWOGT3A/ |title=巨人・西村が引退会見「もう投げられるか分からないので決断しました」 |date=2018-10-03 |url=https://www.sanspo.com/article/20181003-A4TXSFJ2ZZMDFKFPJ32OWOGT3A/ |agencywebsite=サンケイスポーツ |date=2018-10-03 |accessdate=2018-10-03}}</ref>。
 
=== 引退後 ===
{{by|2019年}}からも巨人に残り、ジャイアンツアカデミーコーチに就任。また、[[日テレジータス]](CS放送)の[[野球解説者]]としても活動する。
 
2020年に離婚し、2024年に一般女性との再婚を公式Instagramにて発表する<ref>{{Cite web ja |url=https://www.instagram.com/k_nishimura0510/?igsh=cWI4MGRkNHZheXh2 |title=西村健太朗 |website=Instagram |date= |access-date=2024-08-28}}</ref>。
 
== 選手としての特徴 ==
完投・連投を可能とする頑健な体を武器とし、チーム事情に合わせて先発、中継ぎ、抑えをこなした{{R|closer}}。
 
平均球速約145km/h<ref>{{Cite book |和書 |author=ja |year=2014 |title=2014 プロ野球オール写真選手名鑑 |publisher=日本スポーツ企画出版社 |pages=108 |id=ISBN 978-4-905411-17-8}}</ref>、最速153km/hの[[速球|ストレート]]、高校時代の決め球の[[スライダー (球種)|縦スライダー]]、2005年オフに修得した平均球速143km/h<ref>{{Cite book |和書 |author=ja |year=2012 |title=2012プロ野球オール写真選手名鑑 |publisher=日本スポーツ企画出版社 |pages=129 |id=ISBN 978-4-905411-04-8}}</ref>の高速[[シュート (球種)|シュート(ツーシーム)]]、2007年オフに修得した[[フォークボール|フォーク]]<ref>[{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/professional/f-bb-tp1-20080203-315883.html |title=【巨人】西村がフォーク習得に手応え] |website=日刊スポーツ |date=2008年2月3日-02-03 |accessdate=2024-08-29}}</ref>、2010年のキャンプで修得した[[チェンジアップ]]<ref>[[スポーツ報知]]2010年5月31日号より</ref>、2012年から取り組んでいた[[カーブ (球種)|カーブ]]<ref>{{Cite web|和書 ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120208-900965.html |title=【巨人】西村が新球カーブ交え47球 |publisherwebsite=日刊スポーツ |date=2012-02-08 |accessdate=2021-07-25}}</ref>など、多彩な球種を投げ分けた。プロ入り後はシュートが最大の武器だったが、2011年シーズン以降はシュートに頼らず緩急を活かした投球スタイルに移行した<ref name="#1"/>{{R|nikkansports20110717}}
 
2009年に受けた右肘の手術がきっかけで自己管理に目覚め、監督の[[原辰徳]]からは「シーズンオフの自己管理はチーム内でもトップクラス」と評された<ref>{{Cite web|和書 ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/08/15/kiji/K20130815006421590.html |title=西村 巨人初2年連続30S 手術きっかけにチーム屈指の自己管理 |publisherwebsite=スポニチ Sponichi Annex |date=2013-08-15 |accessdate=2013-10-08}}</ref>。
 
== 人物 ==
高校時代からの愛称は「[[フランケンシュタイン|フランケン]]」<ref>{{Cite web|和書 ja |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2012/08/25/post_184/ |title=【プロ野球】陰のMVP候補、巨人・西村健太朗のハンパない頑固ぶり 1 |publisherwebsite=web Sportiva |date=2012-08-25 |accessdate=2021-07-25}}</ref>。命名したのは高校時代の監督である[[中井哲之]]。
 
[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]に詳しく、『[[ひぐらしのなく頃に]]』や『[[機動戦士ガンダムSEED]]』などを好んでいる。『このアニメがすごい!』([[宝島社]])には過去に2回登場している(2008年、2009年。2008年は『[[ひぐらしのなく頃に (アニメ)#ひぐらしのなく頃に解|ひぐらしのなく頃に解]]』、2009年は『[[CHAOS;HEAD#テレビアニメ|CHAOS;HEAD]]』を1位に選んでいる)。[[2007年]]には妻の勧めで選手登場曲にアニメ『[[涼宮ハルヒの憂鬱]]』の主題歌「[[ハレ晴レユカイ]]」を希望したが実現しなかった。
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* 初安打・初打点:2005年9月1日、対ヤクルトスワローズ17回戦(松山中央公園野球場)、7回裏に[[川島亮]]から中越適時二塁打
; その他の記録
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム出場]]:1回(2013({{NPBオールスター|2013}}
 
=== 背番号 ===
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{{NPB|31035119}}
{{BASEBALLstats|brjpn=nishim001ken|cube=Kentaro-Nishimura|mlb=506453}}
* [https://sp.baseball.findfriends.jp/player/19850035/ 選手情報] - 週刊ベースボールONLINE
 
{{セントラル・リーグ最多セーブ投手}}
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[[Category:NPBオールスターゲーム選出選手]]
[[Category:アジアシリーズ選手]]
[[Category:広島県出身の人物スポーツ選手]]
[[Category:1985年生]]
[[Category:存命人物]]