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== 来歴 ==
中学時代までを[[似島]]で過ごし、その後、広島市へ移った<ref name="boxon200908">[http://boxingnewsboxon.blogspot.com/2009/08/blog-post_6212.html 広島で故・辻選手の納骨式 西岡、リナレスも墓参] [[ボクシング・ビート|ボクシングニュース「Box-on!」]] 2009年8月9日</ref>。アマチュア時代は、高校で[[全国高等学校総合体育大会ボクシング競技大会|インターハイ]]ベスト8、大学で[[国民体育大会ボクシング競技|国体]][[ライトフライ級]]準優勝の成績を残した。大学時代はボクシング部の主将も務めた<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20090330-476963.html 長嶋史上初日本&東洋2階級] [[日刊スポーツ]] 2009年3月30日</ref>
 
2002年10月19日、プロデビュー戦では[[久田恭裕]]に2-0の判定勝利を収めた。2003年11月18日、熊田和真に2-1(59-57、59-57、58-59)の判定勝利を収めた。2004年4月2日、[[黒木健孝]]に3-0(78-74、78-76、78-76)の判定勝利を収めた。2005年5月21日、熊田和真と再戦し、0-3(76-79、76-79、76-77)の判定でプロ8戦目にして初黒星を喫した。同年12月10日、[[沖縄県|沖縄]]・[[北谷町運動公園|北谷ドーム]]で行われた米須啓との6回戦に3回KO勝利を収めて再起を果たした。他のプロ公式試合15戦はいずれも[[後楽園ホール]]で戦った。2006年3月18日、斎藤直人との8回戦は三者三様の判定で引き分けとなった。この試合中、左[[拳]]を[[骨折]]し、1年間のブランクを余儀なくされた<ref>[http://s02.megalodon.jp/2009-0322-0924-42/www.chugoku-np.co.jp/sports/Sp200903170142.html 30歳辻、タイトル初挑戦 21日にボクシング日本王座決定戦] [[中国新聞]] 2009年3月17日閲覧</ref>。2007年3月17日、ブランク明けのリングでは過去に2戦1勝1敗となっていた熊田和真に3-0(78-74、78-76、77-76)の判定勝利を収めた。
 
2005年5月21日、熊田和真と再戦し、0-3(76-79、76-79、76-77)の判定でプロ8戦目にして初黒星を喫した。同年12月10日、[[沖縄県|沖縄]]・[[北谷町運動公園|北谷ドーム]]で行われた米須啓との6回戦に3回KO勝利を収めて再起を果たした。他のプロ公式試合15戦はいずれも[[後楽園ホール]]で戦った。
2008年7月1日、[[日本タイトル挑戦権獲得トーナメント]][[ミニマム級]]準決勝で[[八重樫東]]に2-0の判定勝利を収めた<ref>[http://s02.megalodon.jp/2009-0324-1307-30/boxon.jp/news/003000.php 辻、八重樫破る-最強後楽園開幕] 「[[ボクシング・ビート|月刊ボクシングワールド]]」オフィシャルサイト 2008年7月1日閲覧</ref>。同年10月8日、同トーナメント決勝で[[堀川謙一]]に2-1の判定勝利を収めて優勝し、日本王座への挑戦権を獲得した。日本ミニマム級王者黒木健孝が[[東洋太平洋ボクシング連盟|OPBF]]東洋太平洋同級王座獲得後の12月20日に日本王座を返上し、同王座は空位となった。
 
2006年3月18日、斎藤直人との8回戦は三者三様の判定で引き分けとなった。この試合中、左[[拳]]を[[骨折]]し、1年間のブランクを余儀なくされた<ref>[https://megalodon.jp/2009-0322-0924-42/www.chugoku-np.co.jp/sports/Sp200903170142.html 30歳辻、タイトル初挑戦 21日にボクシング日本王座決定戦] [[中国新聞]] 2009年3月17日閲覧</ref>。2007年3月17日、ブランク明けのリングでは過去に2戦1勝1敗となっていた熊田和真に3-0(78-74、78-76、77-76)の判定勝利を収めた。
2009年3月21日、[[チャンピオン・カーニバル (ボクシング)|チャンピオンカーニバル]]で行われた日本ミニマム級王座決定戦では担当トレーナーの[[大和心]]とともに入場し、日本1位・OPBF2位・[[世界ボクシング評議会|WBC]]18位として、日本3位・OPBF6位の[[金光佑治]]と対戦した。ダウン経験のない両選手の試合は開始とともに激しい打ち合いとなり、最終回に辻はロープダウン<ref>ロープがなければダウンしていたとレフェリーが判断した際にとられるダウンと解釈されるが、現行のルールブックにはない。選手が受けたダメージの度合いに対する判断としてはスタンディングダウンと同等に扱われるが、スタンディングカウントも1998年2月以降は廃止されている。詳細は[[ノックダウン]]の項を参照。</ref>からカウントアウトされ、KO負けとなった。この直後リング上で意識不明となり、[[急性硬膜下血腫]]の診断で開頭手術を受けた。
 
2008年7月1日、[[日本タイトル挑戦権獲得トーナメント]][[ミニマム級]]準決勝で[[八重樫東]]に2-0の判定勝利を収めた<ref>[httphttps://s02.megalodon.jp/2009-0324-1307-30/boxon.jp/news/003000.php 辻、八重樫破る-最強後楽園開幕] 「[[ボクシング・ビート|月刊ボクシングワールド]]」オフィシャルサイト 2008年7月1日閲覧</ref>。同年10月8日、同トーナメント決勝で[[堀川謙一]]に2-1の判定勝利を収めて優勝し、日本王座への挑戦権を獲得した。日本ミニマム級王者黒木健孝が[[東洋太平洋ボクシング連盟|OPBF]]東洋太平洋同級王座獲得後の12月20日に日本王座を返上し、同王座は空位となった。
辻は9回終了時にはコーナーで椅子に腰掛けることもままならず、[[意識障害]]が懸念される状態であった。しかし試合は続行され、KOラウンドとなった10回にはパンチを無防備に浴び続けた。結果的には勝利した金光も硬膜下血腫の診断を受けたことにより引退を余儀なくされ、レフェリングを始めとする当日のリスク管理に問題があったのではと指摘する声もあった<ref>[http://s03.megalodon.jp/2009-0701-1432-44/www.asahi.com/sports/spo/TKY200906300106.html ボクサーの死、根絶へ本腰 王座戦の悲劇きっかけ JBC(1/2ページ)] [[朝日新聞]] 2009年7月1日閲覧</ref>。
 
2009年3月21日、[[チャンピオン・カーニバル (ボクシング)|チャンピオンカーニバル]]で行われた日本ミニマム級王座決定戦では担当トレーナーの[[大和心]]とともに入場し、日本1位・OPBF2位・[[世界ボクシング評議会|WBC]]18位として、日本3位・OPBF6位の[[金光佑治]]と対戦した。ダウン経験のない両選手の試合は開始とともに激しい打ち合いとなり、最終回に辻はロープダウン<ref>ロープがなければダウンしていたとレフェリーが判断した際にとられるダウンと解釈されるが、現行のルールブックにはない。選手が受けたダメージの度合いに対する判断としてはスタンディングダウンと同等に扱われるが、スタンディングカウントも1998年2月以降は廃止されている。詳細は[[ノックダウン]]の項を参照。</ref>からカウントアウトされ、KO負けとなった。この直後リング上で意識不明となり、[[性硬膜下血腫]]の診断で開頭手術を受け搬送された。
2009年3月24日、意識不明の状態のまま入院先の病院で死去した<ref>[http://megalodon.jp/2010-0704-1021-22/www.daily.co.jp/ring/2009/03/25/0001775027.shtml 辻選手が死亡 KO負け後に意識不明] [[デイリースポーツ]] 2009年3月25日閲覧</ref>。同月25日に通夜、26日に告別式がいずれも東京・港区の[[増上寺]]で、同年8月9日には納骨式が広島市内で営まれた<ref>[http://boxingnewsboxon.blogspot.com/2009/08/blog-post_6212.html 広島で故・辻選手の納骨式 西岡、リナレスも墓参] [[ボクシング・ビート|ボクシングニュース「Box-on!」]] 2009年8月9日閲覧</ref>。
 
2009年3月24日[[急性硬膜下血腫]]の診断で開頭手術を受けたが、意識不明の状態のが戻らないまま、3日後の3月24日入院先の病院で死去した<ref>[httphttps://megalodon.jp/2010-0704-1021-22/www.daily.co.jp/ring/2009/03/25/0001775027.shtml 辻選手が死亡 KO負け後に意識不明] [[デイリースポーツ]] 2009年3月25日閲覧</ref>。同月25日に通夜、26日に告別式がいずれも東京・港区の[[増上寺]]で、同年8月9日には納骨式が広島市内で営まれた<ref>[http://boxingnewsboxon.blogspot.com/2009/08/blog-post_6212.html 広島で故・辻選手の納骨式name="boxon200908" 西岡、リナレスも墓参] [[ボクシング・ビート|ボクシングニュース「Box-on!」]] 2009年8月9日閲覧</ref>。
 
一方、勝利した金光も同じく硬膜下血腫の診断により引退を余儀なくされ、レフェリングを始めとする当日のリスク管理に問題があったのではと指摘する声もあった<ref>[https://megalodon.jp/2009-0701-1432-44/www.asahi.com/sports/spo/TKY200906300106.html ボクサーの死、根絶へ本腰 王座戦の悲劇きっかけ JBC(1/2ページ)] [[朝日新聞]] 2009年7月1日閲覧</ref>。また、事故の対策などでコミッショナーなどが改めて話し合う切っ掛けともなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/m/battle/news/p-bt-tp0-20090405-479049.html|title=ボクシング協会とJBC健康管理委一本化|publisher=日刊スポーツ|date=2009-04-05|accessdate=2021-11-13}}</ref>。
 
== 戦績 ==
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* プロボクシング:16戦12勝 (3KO) 2敗 (1KO) 2分
{{Fightstatstop}}
{{Fightstatscont|1|2002年10月19日|{{Yes2}}☆|4R|判定2-0|[[久田恭裕]] (横浜さくら)|{{JPN}}|プロデビュー戦}}
{{Fightstatscont|2|2003年2月15日|{{Yes2}}☆|3R 0:53|KO|星野恭一 (鹿沼協栄)|{{JPN}}|}}
{{Fightstatscont|3|2003年6月21日|{{Yes2}}☆|6R|判定2-1|山崎光洋 (埼玉池田)|{{JPN}}|}}
{{Fightstatscont|4|2003年11月18日|{{Yes2}}☆|6R|判定2-1|熊田和真 (オサム)|{{JPN}}|}}
{{Fightstatscont|5|2004年4月2日|{{Yes2}}☆|8R|判定3-0|[[黒木健孝]] (ヤマグチ土浦)|{{JPN}}|}}
{{Fightstatscont|6|2004年9月18日|{{Yes2}}☆|8R|判定3-0|岸田直哉 (クラトキ)|{{JPN}}|}}
{{Fightstatscont|7|2005年1月15日|{{Yes2}}☆|2R 2:48|KO|田中強士 (京浜)|{{JPN}}|}}
{{Fightstatscont|8|2005年5月21日|{{No2}}★|6R|判定0-3|熊田和真 (オサム)|{{JPN}}|}}
{{Fightstatscont|9|2005年12月10日|{{Yes2}}☆|3R 2:55|KO|米須啓 (沖縄ワールドリング)|{{JPN}}|}}
{{Fightstatscont|10|2006年3月18日|{{Draw}}△|8R|判定1-1|斎藤直人 (角海老宝石)|{{JPN}}|}}
{{Fightstatscont|11|2007年3月17日|{{Yes2}}☆|8R|判定3-0|熊田和真 (オサム)|{{JPN}}|}}
{{Fightstatscont|12|2007年10月6日|{{Draw}}△|8R|判定1-0|小川利樹 (角海老宝石)|{{JPN}}|}}
{{Fightstatscont|13|2008年3月5日|{{Yes2}}☆|8R|判定3-0|[[田中教仁]] (ドリーム)|{{JPN}}|}}
{{Fightstatscont|14|2008年7月1日|{{Yes2}}☆|6R|判定2-0|[[八重樫東]] (大橋)|{{JPN}}|[[日本タイトル挑戦権獲得トーナメント]][[ミニマム級]]準決勝}}
{{Fightstatscont|15|2008年10月8日|{{Yes2}}☆|8R|判定2-1|[[堀川謙一]] (SFマキ)|{{JPN}}|日本タイトル挑戦権獲得トーナメントミニマム級決勝}}
{{Fightstatscont|16|2009年3月21日|{{No2}}★|10R 1:09|KO|[[金光佑治]] (六島)|{{JPN}}|日本ミニマム級王座決定戦}}
{{Fightstatsbottom}}
 
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== 外部リンク ==
* {{Boxrec|id=245913|name=辻昌建}}
* [http://www.boxrec.com/list_bouts.php?human_id=245913&cat=boxer BoxRecによる戦績]
* [httphttps://www.jbc.or.jp/web/kokuji/2009/k20090322.html 日本ボクシングコミッション 告示 2009年3月22日付 事故報告]
 
{{DEFAULTSORT:つし まさたて}}
[[Category:日本の男子ボクサー]]
[[Category:競技中に死亡したボクサー]]
[[Category:法政大学出身の人物]]
[[Category:崇徳高等学校出身の人物]]
[[Category:広島市出身の人物]]
[[Category:1978年生]]