削除された内容 追加された内容
69行目:
=== 対日 ===
金大中は併合時代の朝鮮における日本語教育を受けており流暢な日本語を話すことができたため、非公式な場における日本のマスコミ向けのインタビューでは日本語で応じる事が多かった。[[盧武鉉]]、[[江沢民]]のように強固な反日姿勢はとっておらず、潜在的親日派とされているが(ただし若手議員時代には朴政権を親日売国政権と痛烈に批判していた。)
、国の事情により親日に踏み込んだ発言まではしていない。ただし、[[小泉純一郎]]の[[靖国神社参拝問題]]には反対の姿勢であった。また前述の[[金大中事件]]が[[KCiA]]の犯行と判明した際には当時の首相[[田中角栄]]等を角栄の没後であったのにも関わらず痛烈に批判している。(ただし日本語訳版も出た大統領就任直後に出版された自伝死線を越えてでは「[[金大中事件]]の際には日本の皆様には世話になった。」と表面的な日本に対する謝意は表明している。)大統領就任後の来日時には日本統治時代の恩師を訪問し「豊田です。」と日本語で[[創改名]]時の苗字を名乗ったため一部から批判を浴びた。
 
1998年来日に先立って、政府として天皇を表す「日皇」の呼称を取りやめ「天皇」を使用することを公式に宣言。また、来日前から「過去の清算」に強い意欲を持っていたとされる。皇居での晩餐会での天皇の言葉に対する答辞では植民地支配など過去の歴史の傷にはふれなかった。[[愛子内親王]]の誕生に際しては「皇室と国民が待ちこがれた皇孫が誕生した事を、韓国国民とともに心よりお祝いします。皇室がこの度の慶事を機に、一層繁栄することを確信します」との祝電を送った。また金は日本の常任理事国入りに対する韓国の支持を求めていた。