「ファン・マヌエル・ロペス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
28行目:
{{MedalBottom}}
 
'''ファン・マヌエル・ロペス'''('''Juan Manuel López'''、男性、[[1983年]][[6月30日]] - )は、[[プエルトリコ]]の[[プロボクサー]]。第14代[[世界ボクシング機構|WBO]]世界[[スーパーバンタム級]]王者。第16代WBO世界[[フェザー級]]王者。世界2階級制覇王者。アマチュア時代にはプエルトリコ代表として[[2004年]]の[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]に出場した。
 
KO率通りのパンチの破壊力はもちろんのこと、相手の入り際に合わせる右のカウンターの切れ味とタイミングはズバ抜けたものがあるが、ガードが甘く打たれ脆いことでダウンを喫することが間々あり、肝心な所で敗戦を喫した([[オルランド・サリド]]との2度の対戦はいずれも逆転負け、後の3敗は一方的に試合を進められた)
 
== 来歴 ==
53行目:
[[2006年]]9月30日、14戦目で空位の[[世界ボクシング機構|WBO]]ラテンアメリカ[[スーパーバンタム級]]王座をホセ・アロンソと争い、3RTKOで勝利する。この王座は4度防衛。
 
[[2008年]]6月7日、WBO世界スーパーバンタム級王者[[ダニエル・ポンセ・デ・レオン]]([[メキシコ]])を相手に世界タイトル初挑戦。ここまで無敗のロペスであったが、同じサウスポーのハードパンチャーで35戦34勝30KOという戦績を誇るチャセ・デ・レオンの方が戦前の評価は高かった。試合は1R初回にロペスがチャセ・デ・レオンから2度のダウンを奪いTKO勝ち。大きな番狂わせを起こした。
 
2008年10月4日と12月6日に立て続けに防衛戦を行い、いずれも1RKO勝ち。世界戦3連続1RKO勝ちとなった。
67行目:
2010年7月11日、地元プエルトリコにてバーナベ・コンセプション(フィリピン)を迎えて初防衛戦を行い、1Rからお互いにダウンを奪い合う展開となり、続く2Rで2度ダウンを奪ったところでレフェリーストップ。TKO勝ちで初防衛に成功した<ref>[http://boxingnewsboxon.blogspot.com/2010/07/blog-post_5533.html ファンマ、倒し、倒され、また倒す WBOフェザー級] ボクシングニュース「Box-on!」 2010年7月12日</ref>。
 
2010年11月6日、2度目の防衛戦を元[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[バンタム級]]王者で元[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界スーパーバンタム級王者の[[ラファエル・マルケス (ボクサー)|ラファエル・マルケス]](メキシコ)と行い、マルケスが8R8回終了時に右肩の異常を訴えたために8R8回終了TKO勝ちで2度目の防衛に成功した<ref>[http://boxingnewsboxon.blogspot.com/2010/11/blog-post_1361.html ロペス、マルケスをストップ WBOフェザー級戦] ボクシングニュース「Box-on!」 2010年11月7日</ref>。
 
[[2011年]]4月16日、同級9位の[[オルランド・サリド]](メキシコ)と3度目の防衛戦を行う。最初の4ラウンドは連取するが5回に右フックをもらってダウンを喫した。何とか立て直したロペスだったが、8R8回に連打をもらってレフェリーストップがかかり試合終了。8回1分30秒逆転TKO負けで3度目の防衛に失敗、王座から陥落した<ref>[http://boxingnewsboxon.blogspot.com/2011/04/blog-post_1759.html ショック!フアンマ・ロペスTKOで落城 WBOフェザー級] ボクシングニュース「Box-on!」 2011年4月17日</ref>。なお試合後のジャッジのスコアはドローだった(3者とも66-66)。
 
2011年10月1日、WBOラテンアメリカフェザー級[[暫定王座]]決定戦でマイク・オリバー([[アメリカ合衆国|アメリカ]])と対戦し、2回TKO勝ちを収め王座獲得<ref>[http://boxingnewsboxon.blogspot.com/2011/10/blog-post_5697.html フアンマ・ロペス、序盤TKOで再起] ボクシングニュース「Box-on!」 2011年10月3日</ref>。
 
[[2012年]]3月10日、プエルトリコ・[[サンフアン (プエルトリコ)|サンフアン]]の[[ロベルト・クレメンテ・コロシアム]]で、WBO世界フェザー級王者オルランド・サリドと再戦した。5回に右フックでサリドの両手がキャンパスに着くダウンを奪ったが、その後はサリドに猛反撃を受け、10回に左右ストレコンビネションでダウンを奪い返される。なんとか起き上がるも足元がふらつきレフェリーストップがかかり10回32秒TKO負け<ref>[http://boxingnewsboxon.blogspot.jp/2012/03/blog-post_5350.html 激闘再び サリドがフアンマを返り討ちに] ボクシングニュース「Box-on!」 2012年3月13日</ref>。試合後、レフェリーを務めた地元のロベルト・ラミレス・シニア(第1戦は同名の息子が務めた)に「ストップのタイミングを賭けていてサリドを助けた」と言って掴みかかりWBOから罰金2000ドルと1年間の出場停止処分(その後9か月に軽減)と100時間の奉仕活動を課す厳しい処分を下した。
 
[[2013年]]2月2日、プエルトリコ・[[バヤモン]]のルーベン・ロドリゲスコロシアムで、アルディミール・シルバ・サントス([[ブラジル]])と128ポンド契約のノンタイトル戦を行い、9回1分4秒TKO勝ちで約11ヶ月振りの復帰戦を白星で飾った。