松長藩

日本の江戸時代に、駿河国に所在した藩。相模小田原藩の支藩

これはこのページの過去の版です。Roga246 (会話 | 投稿記録) による 2007年9月27日 (木) 12:05個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

松長藩(まつながはん)は駿河国駿東郡松長村(現在の静岡県沼津市松長)にあった相模国小田原藩の支藩である。松永陣屋が藩庁である。

概要

小田原藩主(後期)大久保氏の初代、大久保忠朝の次男の大久保教寛の代、元禄11年(1698)に6千石分知をして、宝永3年(1706)に若年寄に就いたことで、さらに5千石の加増され一万一千石で諸侯に列したのが始まりであり、松長陣屋を置いた。

その後、5千石の加増を受け、都合、1万6千石となったが、2代藩主教端(のりまさ)の代に弟教平に3千石を分知をした。 第5代藩主教翅(のりのぶ)の時、天明3年(1783)相模国愛甲郡(現在の神奈川県厚木市)の荻野山中陣屋に陣屋を構えた。この時点で松長藩は廃藩となったのである。

歴代藩主

  • 1.大久保教寛(のりひろ)
  • 2.大久保教瑞(のりまさ)
  • 3.大久保教起(のりおき)
  • 4.大久保教倫(のりみち)
  • 5.大久保教翅(のりのぶ)