利用者:沢町/下書1

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円妙寺
所在地 三重県桑名市東方1425
山号 光徳山
宗派 日蓮宗
創建年 明暦3年(
開山 日隆
開基 日隆
正式名 光徳山円妙寺
文化財 松平定良公霊廟附養仙院殿墓(桑名市指定文化財)
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円妙寺(えんみょうじ)は、三重県桑名市にある日蓮宗の寺院である。

歴史

明暦2年()、当時の桑名藩主である松平定良が病に臥せった。(1)実母である曜安院は自らが信仰する日蓮宗の僧侶で、かつて名古屋大光寺住職であった日隆を、桑名城下の顕本寺に逗留させて病気平癒の祈祷を依頼した(1)(2)。しかし、同年7月18日に定良は京都で客死する。(1)定良は日蓮宗を病の加治祈祷で信仰したこともあり、これまでの桑名藩久松松平家歴代藩主の菩提寺である浄土宗照源寺ではなく、新たに日蓮宗寺院を定良の菩提寺として建立することになった(5)。そこで、かつて真言宗霊応寺があった跡地(現・三重県立桑名高等学校の道を挟んで北側)に、顕本寺の塔頭寺院を元にして、定良の法号より光徳山円妙寺と号して一寺を創建、日隆がその開山となった(1)。また、塔頭寺院として、定良の殉死者である三名の院号をそのまま号した一安院・法性院・蓮心院も建立され、それぞれの菩提も弔われた(2)。境内は約9000坪にも及ぶ大寺院であった。(3)

定良には嗣子がなかったので、伊予国松山藩の久松松平本家から、松平定重が養嗣子として迎えられ次代藩主となった(2)。その定重の実母である養仙院も日蓮宗を信仰しており(2)、天和3年()に亡くなった際に定重は江戸高輪に高林山養仙寺と号する一寺を建立して菩提を弔った(1)。しかしその頃、江戸幕府により新しい寺院の建立が認められなくなっため、領国桑名で同じ日蓮宗の当寺境内へ移転させ、養仙院の法号から養珠庵と仙妙庵と号して、各庵五人扶持の寺領二百石の二つの塔頭寺院という形に変えて存続させた(1)。また、養仙院の墓は居住していた松山にあったが、定重により当寺境内にも建立された(2)。

宝永7年閏8月15日に、久松松平家は越後国高田藩へ国替えが行われたが(寛政重修諸家譜巻55P296)、当寺は移ることなく当地で存続していた。しかし、宝暦年間()に火災に遭い境内が全焼したので、当時の旧桑名藩主久松松平家の領国である陸奥国白河藩へ、当寺と塔頭の一安院・法性院・蓮心院は移転した(2)。ただし、養珠庵と仙妙庵と墓地はそのまま当地に残った(2)。

文政6年、白河藩の久松松平家は旧領国である桑名へ再び国替えとなり、当寺も塔頭三院と共に桑名に戻されることになった(1)。当寺が元あった場所は焼けたままで建物も無かったが、ちょうどその時、近隣に在った大福田寺が移転するということになったので、その大福田寺跡(現・大福田寺所在地)に入った(3)。この時に養珠庵と仙妙庵は廃庵となった(1)が、それまでどこで存続していたのかはっきりとわかっていない(2)。『桑名日記』に拠れば、天保10年8月23日に、円妙寺墓地から「やうしゆあん」へ回ったという記述があるので、養仙院墓の近くであろうと推測されている(2)。また、廃庵となっていても、天保10年頃には建物くらいは残っていたとも考えられている(2)。

弘化4(1847)年12月、当寺と大福田寺の場所の入れ替わりがあった(7)。当寺はそれまで大福田寺が在った、日当たりも眺望も優れたすぐ東側の丘の上に移転し、大福田寺は元々在った場所に戻る形となった。この入れ替わりの理由は不明であるが、一説によれば、大福田寺側に問題があり懲罰的な意味合いで、それまでの条件の良い土地を追われ、元の谷間の窪地に戻されたのではないかとしている(3)。ただし、墓地の移転は行われず、大福田寺の墓地は丘陵上(現・円妙寺の南側)に残り、当寺の墓地も移転されることなく、それぞれ現在に至っている(3)。

昭和20年(1945年)、太平洋戦争の空襲を受け、ほとんどの境内の建物や寺宝が焼失する中(1)、嘉永年間に建てられた山門だけは被害を免れた(3)。現本堂は昭和47年()に再建され現在に至っている(4)。

境内

  • 本堂 - 昭和20年(1945年)、太平洋戦争の空襲で焼失した(1)。昭和47年()に再建される(4)。
  • 山門 - 嘉永年間()に、久根添源十郎を棟梁として建てられる(3)。昭和20年(1945年)の戦災に遭わず現在に至る(1)。
  • 松平定良墓 - 桑名藩主。定綱系久松松平家2代。明暦3年7月18日没(8)。
  • 堀田五郎左衛門一可墓 - 桑名藩士。明暦3年7月18日没(8)。
  • 多賀主馬介道次墓 - 桑名藩士。明暦3年7月18日没(8)。
  • 長瀬四郎左衛門政直墓 - 桑名藩士。明暦3年7月18日没(8)。
  • 青木翠樹重威墓 - 儒学者、藩武術師範。安政6年6月17日没(8)。
  • 青木鳳毛重隆墓 - 学頭。安政6年8月20日没(8)。
  • 岩埼些斎舎従墓 - 儒者。天保10年8月14日没(8)。
  • 片山恒斎成器墓 - 儒官。嘉永2年5月30日没(8)。
  • 服部源右衛門正辰墓 - 寛文3年2月5日没(8)。
  • 服部正辰娘墓 - 延宝2年6月5日没(8)。
  • 松平定弘墓 - 松平定重十男(御宝号)。元禄15年8月21日没(8)。
  • 松平政七郎墓 - 松平定重八男(御宝号)。貞享2年7月21日没(8)。
  • 松平定重御局墓 - 万治3年10月20日没(8)。
  • 養仙院墓 - 天和3年11月16日没(8)。やや斜面を下がった東側に独立している。

文化財

桑名市指定史跡

  • 松平定良公霊廟附養仙院殿墓 - 当寺墓地の北隅に在り東の方角を向いている。石廟造り、正面4mの墓が松平定良、その後方は三名の殉死者の墓で、右から堀田一可、多賀道次、長瀬政直である(5)。

  • 赤栴檀釈尊立像(厨子入)
  • 迦羅坐像釈尊
  • 黄金清正公像(厨子入)
  • 祖師真筆
  • 光徳院書簡
  • 楽翁公筆御定書
  • 定邦公和歌
  • 松平定綱書状(4)
  • 松平定良和歌
  • 日朝上人曼荼羅

脚注

注釈

出典

参考文献

関連項目


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