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'''宇賀神 友弥'''(うがじん ともや、[[1988年]][[3月23日]] - )は、[[埼玉県]][[戸田市]]出身の[[サッカー選手]]。[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]所属。[[サッカーのポジション|ポジション]][[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]][[ドフィールダー]]。
'''宇賀神 友弥'''(うがじん ともや、[[1988年]][[3月23日]] - )は、[[埼玉県]][[戸田市]]出身の[[プロサッカー選手]]。[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]所属。ポジションは[[ミッドフィールダー]][[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]。元[[日本代表|日本代表]]。
元[[サッカー日本代表|日本代表]]。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
=== プロ入り前 ===
=== プロ入り前 ===
中学・高校年代ではジュニアユース・ユースと[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]のアカデミーに所属し、同期には[[堤俊輔]]、[[西澤代志也]]、[[小池純輝]]らがいたが、トップ昇格果たせず、[[流通経済大学サッカー部|流通経済大学]]に進学。
中学・高校年代ではジュニアユース・ユースと[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]のアカデミーに所属し、同期には[[堤俊輔]]、[[西澤代志也]]、[[小池純輝]]らがいたが、トップ昇格果たせず、[[流通経済大学サッカー部|流通経済大学]]に進学。流通経済大学でも当初はRKU-19、20、21、22(サテライトチーム)からのスタートでクラブ・ドラゴンズ(社会人チーム)流通経済大学FC(社会人チーム)を経てトップチーム(学生リーグ用)に昇格した
流通経済大学でも当初はRKU-19、20、21、22(サテライトチーム)からのスタートでクラブ・ドラゴンズ(社会人チーム)流通経済大学FC(社会人チーム)を経てトップチーム(学生リーグ用)に昇格した。


2009年シーズン途中に流通経済大学に在籍しながら、[[特別指定選手]]として浦和にトップチーム登録された<ref>[http://www.urawa-reds.co.jp/tools/cgi-bin/view_news.cgi?action=view&nid=5088 宇賀神友弥選手、特別指定選手承認]</ref>。
2009年シーズン途中に流通経済大学に在籍しながら、[[特別指定選手]]として浦和にトップチーム登録された<ref>[http://www.urawa-reds.co.jp/tools/cgi-bin/view_news.cgi?action=view&nid=5088 宇賀神友弥選手、特別指定選手承認]</ref>。
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[[アビスパ福岡]]からのオファーもあったが、[[2009年]][[10月21日]]、2010年シーズンより正式に浦和に加入する事が発表された<ref>[http://www.urawa-reds.co.jp/tools/cgi-bin/view_news.cgi?action=view&nid=5226 宇賀神友弥選手(流通経済大学)加入内定]</ref>。ユース→大学→トップチームという経歴の選手は、浦和では宇賀神が初となる。
[[アビスパ福岡]]からのオファーもあったが、[[2009年]][[10月21日]]、2010年シーズンより正式に浦和に加入する事が発表された<ref>[http://www.urawa-reds.co.jp/tools/cgi-bin/view_news.cgi?action=view&nid=5226 宇賀神友弥選手(流通経済大学)加入内定]</ref>。ユース→大学→トップチームという経歴の選手は、浦和では宇賀神が初となる。


2010年、キャンプや練習試合で左サイドバックとして質の高いプレーを披露し、2月20日に行われた[[プレシーズンマッチ]]、対[[徳島ヴォルティス]]戦では[[柏木陽介]]、[[ロブソン・ポンテ]]が欠場したことにより左サイドハーフとして先発出場した。この試合では序盤から積極的なプレーで攻撃陣を牽引し、後半には鋭い突破から精度の高いクロスを上げ[[エスクデロ・セルヒオ]]のゴールをアシストした。そして3月6日J1第1節、対[[鹿島アントラーズ]]戦で左サイドバックとして先発出場。これがプロでの公式戦デビューとなった。その後は[[ウィルフリード・サヌ|サヌ]]と左サイドバックのポジションを争う中でJ1第15節の[[京都サンガF.C.|京都サンガ]]戦で途中出場し、J1初得点を記録。J1第18節、対[[名古屋グランパスエイト|名古屋グランパス]]戦では一時同点となる鮮やかなミドルシュートを決めるなど、守備的なポジションでありながらも左サイドの攻撃の起点として活躍。終盤は故障での離脱を繰り返すこともあったが、最終的に公式戦32試合に出場し、3得点を記録した。
2010年、キャンプや練習試合で左サイドバックとして質の高いプレーを披露し、2月20日に行われた[[プレシーズンマッチ]][[徳島ヴォルティス]]戦では[[柏木陽介]]、[[ロブソン・ポンテ]]が欠場したことにより左サイドハーフとして先発出場した。この試合では序盤から積極的なプレーで攻撃陣を牽引し、後半には鋭い突破から精度の高いクロスを上げ[[エスクデロ競飛王]]のゴールをアシストした。そして3月6日J1第1節[[鹿島アントラーズ]]戦で左サイドバックとして先発出場。これがプロでの公式戦デビューとなった。その後は[[ウィルフリード・サヌ]]と左サイドバックのポジションを争う中でJ1第15節の[[京都サンガF.C.]]戦で途中出場し、J1初得点を記録。J1第18節[[名古屋グランパスエイト|名古屋グランパス]]戦では一時同点となる鮮やかなミドルシュートを決めるなど、守備的なポジションでありながらも左サイドの攻撃の起点として活躍。終盤は故障での離脱を繰り返すこともあったが、最終的に公式戦32試合に出場し、3得点を記録した。


2011年は背番号を3番に変更し、開幕当初は左サイドバックのレギュラーとして定着していたが、不安定なプレーに終始しJ1第15節、対[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]戦から[[平川忠亮]]にポジションを奪われてしまった。その後も故障や体調不良に悩まされ、前年から大きく出場機会を減らすこととなった。
2011年は背番号を3番に変更し、開幕当初は左サイドバックのレギュラーとして定着していたが、不安定なプレーに終始しJ1第15節[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]戦から[[平川忠亮]]にポジションを奪われてしまった。その後も故障や体調不良に悩まされ、前年から大きく出場機会を減らすこととなった。


2012年は、ベンチスタートが多いものの途中出場ではコンスタントに出場。また、左ウィングバックの[[梅崎司]]が2シャドーに入る試合は左ウイングバックでスタメン出場している。
2012年は、ベンチスタートが多いものの途中出場ではコンスタントに出場。また、左ウィングバックの[[梅崎司]]が2シャドーに入る試合は左ウイングバックでスタメン出場している。


2015年からは[[橋本和]]の加入で右ウイングバックにコンバートを予想されたが、橋本とのポジション争いに競り勝スタメン出場してるが、右ウイングバックでも出場した。この年はJ1最多タイの9回の[[イエローカード|警告]]を受けた<ref>[http://soccer-db.net/competition/ranking_player.php?comp=1001&yr=2015#data4 2015明治安田生命J1リーグ選手ランキング] Soccer D.B.</ref>。
2015年からは[[橋本和]]の加入で右ウイングバックにコンバートを予想されたが、橋本とのポジション争いに競り勝ってスタメン出場してるが、右ウイングバックでも出場した。この年はJ1最多タイの9回の[[イエローカード|警告]]を受けた<ref>[http://soccer-db.net/competition/ranking_player.php?comp=1001&yr=2015#data4 2015明治安田生命J1リーグ選手ランキング] Soccer D.B.</ref>。


2016年は左ウイングバックでスタメン出場を続け、日本代表サポートメンバーに選出された。Jリーグ2ndステージ9節で[[槙野智章]]が怪我を[[遠藤航]]が槙野の代わりに[[サッカー日本代表]]に選出されたため[[Jリーグカップ]]準々決勝[[ヴィッセル神戸]]は自身初の左センターバックで出場した。また準決勝第2戦[[FC東京]]戦も左センターバックで出場した[[阿部勇樹]]が肋骨を骨折し出場を回避したためキャプテンマークを巻いた。
2016年は左ウイングバックでスタメン出場を続け、日本代表サポートメンバーに選出された。Jリーグ2ndステージ9節で[[槙野智章]]が負傷し[[遠藤航]]が槙野の代わりに[[サッカー日本代表]]に選出されたため[[Jリーグカップ]]準々決勝[[ヴィッセル神戸]]は自身初の左センターバックで出場した。また準決勝第2戦[[FC東京]]戦も左センターバックで出場したほか、[[阿部勇樹]]が肋骨を骨折し出場を回避したためキャプテンマークを巻いた。


2018年12月9日、[[天皇杯 JFA 第98回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]決勝の[[ベガルタ仙台]]戦では決勝ゴールを決めて優勝に貢献した。
2018年12月9日、[[天皇杯 JFA 第98回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]決勝の[[ベガルタ仙台]]戦では決勝ゴールを決めて優勝に貢献した。


2021年11月18日、浦和レッズとの契約が満了となり、今季限りで退団することをクラブが発表した<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20211118/1589375.html 阿部勇樹、槙野智章に続き…浦和MF宇賀神友弥が今季限りで退団]サッカーキング(2021年11月18日)2021年11月20日閲覧。</ref>。
2021年11月18日、浦和レッズとの契約が満了となり、今季限りで退団することをクラブが発表した<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20211118/1589375.html 阿部勇樹、槙野智章に続き…浦和MF宇賀神友弥が今季限りで退団] サッカーキング(2021年11月18日)2021年11月20日閲覧。</ref>。


=== FC岐阜 ===
=== FC岐阜 ===
2022年、[[FC岐阜]]へ完全移籍<ref>[http://www.fc-gifu.com/news_information/81682.html 宇賀神友弥選手、浦和レッズ(J1)より完全移籍加入のお知らせ]FC岐阜(2022年1月3日)2022年1月4日閲覧。</ref>。FC岐阜社長の小松裕志は浦和レッズユースの同級生であり、また浦和でチームメイトだった柏木が在籍していた縁もあって移籍を決断した<ref>{{Cite web|和書|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/852427|title=浦和ユース同級生の社長から「ウガ、一緒に上を目指さないか?」宇賀神友弥が13年目の初移籍で「J3岐阜」を選んだ理由|publisher=Number web|date=2022/03/18|accessdate=2022/03/23}}</ref>。
2022年、[[FC岐阜]]へ完全移籍<ref>[http://www.fc-gifu.com/news_information/81682.html 宇賀神友弥選手、浦和レッズ(J1)より完全移籍加入のお知らせ] FC岐阜(2022年1月3日)2022年1月4日閲覧。</ref>。FC岐阜社長の小松裕志は浦和レッズユースの同級生であり、また浦和でチームメイトだった柏木が在籍していた縁もあって移籍を決断した<ref>{{Cite web|和書|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/852427|title=浦和ユース同級生の社長から「ウガ、一緒に上を目指さないか?」宇賀神友弥が13年目の初移籍で「J3岐阜」を選んだ理由|publisher=Number web|date=2022/03/18|accessdate=2022/03/23}}</ref>。


=== 浦和レッズ復帰 ===
=== 浦和レッズ復帰 ===
2024年1月9日、古巣・浦和レッズへ完全移籍で加入することが発表された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.urawa-reds.co.jp/topteamtopics/207721/|title=宇賀神友弥選手 完全移籍加入のお知らせ|website=浦和レッドダイヤモンズ公式サイト|date=2024-01-09|accessdate=2024-01-14}}</ref>。3年ぶりの復帰となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.ntv.co.jp/category/sports/eeae3ba06dfc4b8b86f19735cc20bf09|title=「共に闘いましょう。ただいま」サッカー元日本代表 宇賀神友弥が浦和に復帰|website=日テレNEWS NNN|date=2024-01-10|accessdate=2024-01-14}}</ref>。6月30日、J1第21節[[ジュビロ磐田]]戦で途中出場し、浦和での公式戦通算400試合出場を達成し勝利に貢献した。
2024シーズン、古巣浦和レッズへの完全移籍を果たす。


=== 日本代表 ===
=== 日本代表 ===
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* 浦和との契約を決断したのは、2009年天皇杯での[[ガンバ大阪]]戦。本人曰く「通用しなかったらJ2から始めようと思っていた」が、得意とするプレーがある程度通用したため、J1の浦和との契約に踏み切った。また、[[流通経済大学]]の先輩にあたる[[宮崎智彦]]に「(オファーを受けたクラブの中で最も競争が厳しい)[[鹿島アントラーズ|鹿島]]を選んだことに後悔していない」とアドバイスされたことも影響したと語っている<ref>[[週刊サッカーダイジェスト]] 2010年4月6日号 p.22 インタビュー 宇賀神友弥(浦和)「運命の遠回り」</ref>。
* 浦和との契約を決断したのは、2009年天皇杯での[[ガンバ大阪]]戦。本人曰く「通用しなかったらJ2から始めようと思っていた」が、得意とするプレーがある程度通用したため、J1の浦和との契約に踏み切った。また、[[流通経済大学]]の先輩にあたる[[宮崎智彦]]に「(オファーを受けたクラブの中で最も競争が厳しい)[[鹿島アントラーズ|鹿島]]を選んだことに後悔していない」とアドバイスされたことも影響したと語っている<ref>[[週刊サッカーダイジェスト]] 2010年4月6日号 p.22 インタビュー 宇賀神友弥(浦和)「運命の遠回り」</ref>。
* プロ入り後は、ユース時代の同期である西澤をライバルとして強く意識していると語っていた。その西澤は[[2010年]]途中、[[ザスパクサツ群馬|ザスパ草津]]へ[[期限付き移籍]]し、[[2011年]]に[[栃木SC]]へ完全移籍したが、その年の[[2月27日]]に行われた[[プレシーズンマッチ]]、栃木SC対浦和レッズ戦で西澤は右サイドバックで、宇賀神は左サイドバックで先発出場し、対面サイドでのマッチアップが実現した。
* プロ入り後は、ユース時代の同期である西澤をライバルとして強く意識していると語っていた。その西澤は[[2010年]]途中、[[ザスパクサツ群馬|ザスパ草津]]へ[[期限付き移籍]]し、[[2011年]]に[[栃木SC]]へ完全移籍したが、その年の[[2月27日]]に行われた[[プレシーズンマッチ]]、栃木SC対浦和レッズ戦で西澤は右サイドバックで、宇賀神は左サイドバックで先発出場し、対面サイドでのマッチアップが実現した。
* 2018年7月30日、地元[[埼玉県]][[戸田市]]にサッカースクール「エスフォルソ」ならびにフットサルコートをオープンした。
* 2018年7月30日、地元[[埼玉県]][[戸田市]]にサッカースクール「エスフォルソ」ならびにフットサルコートをオープンした。
* 2019年10月、台風19号による記録的な大雨で荒川が氾濫した際に水没した、埼玉県のサッカー場「[[レッズランド]]」と「[[彩湖・道満グリーンパーク]]」の復興支援の[[「きみのて」プロジェクト]]を、浦和レッズのユース時代を共に過ごした現役Jリーガーたちと立ち上げた。上記クラウドファンディングで1000万円以上の支援を集めた。
* 2019年10月、台風19号による記録的な大雨で荒川が氾濫した際に水没した、埼玉県のサッカー場「[[レッズランド]]」と「[[彩湖・道満グリーンパーク]]」の復興支援のため[[「きみのて」プロジェクト]]を、浦和レッズのユース時代を共に過ごした現役Jリーガーたちと立ち上げた。上記クラウドファンディングで1000万円以上の支援を集めた。


== 所属クラブ ==
== 所属クラブ ==
* 戸田南FC ([[戸田市立戸田南小学校]])
* 戸田南FC([[戸田市立戸田南小学校]]
* 2000年 - 2002年 浦和レッズジュニアユース ([[戸田市立戸田中学校]])
* 2000年 - 2002年 浦和レッズジュニアユース[[戸田市立戸田中学校]]
* 2003年 - 2005年 浦和レッズユース ([[埼玉県立いずみ高等学校]])
* 2003年 - 2005年 浦和レッズユース[[埼玉県立いずみ高等学校]]
* 2006年 - 2009年 [[流通経済大学サッカー部|流通経済大学]]
* 2006年 - 2009年 [[流通経済大学サッカー部|流通経済大学]]
** 2007年 [[流通経済大学サッカー部|クラブ・ドラゴンズ]]
** 2007年 [[流通経済大学サッカー部|クラブ・ドラゴンズ]]
** 2009年 {{flagicon|JPN}} [[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]] ([[特別指定選手]])
** 2009年 {{flagicon|JPN}} [[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]][[特別指定選手]]
* 2010年 - 2021年 {{flagicon|JPN}} 浦和レッズ
* 2010年 - 2021年 {{flagicon|JPN}} 浦和レッズ
* 2022年 - 2023年 {{flagicon|JPN}} [[FC岐阜]]
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* [[AFCチャンピオンズリーグエリート|AFCチャンピオンズリーグ]]:1回([[AFCチャンピオンズリーグ2017|2017年]])
* [[Jリーグカップ/コパ・スダメリカーナ王者決定戦|スルガ銀行チャンピオンシップ]]:1回([[スルガ銀行チャンピオンシップ2017|2017年]])
* [[Jリーグカップ/コパ・スダメリカーナ王者決定戦|スルガ銀行チャンピオンシップ]]:1回([[スルガ銀行チャンピオンシップ2017|2017年]])


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== 関連項目 ==
* [[埼玉県出身の人物一覧]]
* [[流通経済大学の人物一覧]]
* [[特別指定選手としてJリーグクラブに登録された選手一覧]]
* [[浦和レッドダイヤモンズの選手一覧]]
* [[FC岐阜の選手一覧]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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2024年8月31日 (土) 13:12時点における最新版

宇賀神 友弥
名前
愛称 ウガ
カタカナ ウガジン トモヤ
ラテン文字 UGAJIN Tomoya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1988-03-23) 1988年3月23日(36歳)
出身地 埼玉県戸田市
身長 172cm
体重 71kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 浦和レッズ
ポジション MF / DF
背番号 35
利き足 右足
ユース
2000-2002 日本の旗 浦和レッズジュニアユース戸田市立戸田中学校
2003-2005 日本の旗 浦和レッズユース(埼玉県立いずみ高等学校
2006-2009 日本の旗 流通経済大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2010-2021 日本の旗 浦和レッズ 293 (16)
2022-2023 日本の旗 FC岐阜 64 (4)
2024- 日本の旗 浦和レッズ
通算 357 (20)
代表歴
2018 日本の旗 日本 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

宇賀神 友弥(うがじん ともや、1988年3月23日 - )は、埼玉県戸田市出身のプロサッカー選手Jリーグ浦和レッズ所属。ポジションはミッドフィールダーディフェンダー。元日本代表

来歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

中学・高校年代ではジュニアユース・ユースと浦和レッズのアカデミーに所属し、同期には堤俊輔西澤代志也小池純輝らがいたが、トップ昇格は果たせず、流通経済大学に進学。流通経済大学でも当初はRKU-19、20、21、22(サテライトチーム)からのスタートでクラブ・ドラゴンズ(社会人チーム)流通経済大学FC(社会人チーム)を経てトップチーム(学生リーグ用)に昇格した。

2009年シーズン途中に流通経済大学に在籍しながら、特別指定選手として浦和にトップチーム登録された[1]

浦和レッズ

[編集]

アビスパ福岡からのオファーもあったが、2009年10月21日、2010年シーズンより正式に浦和に加入する事が発表された[2]。ユース→大学→トップチームという経歴の選手は、浦和では宇賀神が初となる。

2010年、キャンプや練習試合で左サイドバックとして質の高いプレーを披露し、2月20日に行われたプレシーズンマッチ徳島ヴォルティス戦では柏木陽介ロブソン・ポンテが欠場したことにより左サイドハーフとして先発出場した。この試合では序盤から積極的なプレーで攻撃陣を牽引し、後半には鋭い突破から精度の高いクロスを上げエスクデロ競飛王のゴールをアシストした。そして3月6日のJ1第1節・鹿島アントラーズ戦で左サイドバックとして先発出場。これがプロでの公式戦デビューとなった。その後はウィルフリード・サヌと左サイドバックのポジションを争う中でJ1第15節の京都サンガF.C.戦で途中出場し、J1初得点を記録。J1第18節・名古屋グランパス戦では一時同点となる鮮やかなミドルシュートを決めるなど、守備的なポジションでありながらも左サイドの攻撃の起点として活躍。終盤は故障での離脱を繰り返すこともあったが、最終的に公式戦32試合に出場し、3得点を記録した。

2011年は背番号を3番に変更し、開幕当初は左サイドバックのレギュラーとして定着していたが、不安定なプレーに終始しJ1第15節のサンフレッチェ広島戦から平川忠亮にポジションを奪われてしまった。その後も故障や体調不良に悩まされ、前年から大きく出場機会を減らすこととなった。

2012年は、ベンチスタートが多いものの途中出場ではコンスタントに出場。また、左ウィングバックの梅崎司が2シャドーに入る試合は左ウイングバックでスタメン出場している。

2015年からは橋本和の加入で右ウイングバックにコンバートを予想されたが、橋本とのポジション争いに競り勝ってスタメン出場しているが、右ウイングバックでも出場した。この年はJ1最多タイの9回の警告を受けた[3]

2016年は左ウイングバックでスタメン出場を続け、日本代表サポートメンバーに選出された。Jリーグ2ndステージ第9節で槙野智章が負傷し遠藤航が槙野の代わりにサッカー日本代表に選出されたため、Jリーグカップ準々決勝のヴィッセル神戸戦は自身初の左センターバックで出場した。また準決勝第2戦のFC東京戦も左センターバックで出場したほか、阿部勇樹が肋骨を骨折し出場を回避したためキャプテンマークを巻いた。

2018年12月9日、天皇杯決勝のベガルタ仙台戦では決勝ゴールを決めて優勝に貢献した。

2021年11月18日、浦和レッズとの契約が満了となり、今季限りで退団することをクラブが発表した[4]

FC岐阜

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2022年、FC岐阜へ完全移籍[5]。FC岐阜社長の小松裕志は浦和レッズユースの同級生であり、また浦和でチームメイトだった柏木が在籍していた縁もあって移籍を決断した[6]

浦和レッズ復帰

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2024年1月9日、古巣・浦和レッズへ完全移籍で加入することが発表された[7]。3年ぶりの復帰となる[8]。6月30日、J1第21節ジュビロ磐田戦で途中出場し、浦和での公式戦通算400試合出場を達成し勝利に貢献した。

日本代表

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2017年5月25日、日本代表に初選出された[9]。2018年3月23日、酒井宏樹の代役として国際親善試合・マリ戦で右サイドバックとして先発出場し日本代表デビューを果たした。しかし、前半終了間際にPKを与えてしまい、前半の出場のみで交代した[10]

人物・エピソード

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  • 金久保順船山貴之石川大徳林彰洋は大学の同期。また1年後輩に浦和でチームメイトになる武藤雄樹がいた[11]
  • トップチームに昇格出来なかった悔しさから、流通経済大学在学中は「ライバルクラブ、大宮アルディージャの選手として埼スタに乗り込んで、レッズを倒したい」と思っていたという[12]。また、浦和への練習参加の話もユース時代の同僚に「成長していないと思われるのが嫌だ」と当初は拒否の姿勢を示していた中での参加だったが、そこでフォルカー・フィンケ監督に見初められ、特別指定選手として加入する事になった。
  • 浦和との契約を決断したのは、2009年天皇杯でのガンバ大阪戦。本人曰く「通用しなかったらJ2から始めようと思っていた」が、得意とするプレーがある程度通用したため、J1の浦和との契約に踏み切った。また、流通経済大学の先輩にあたる宮崎智彦に「(オファーを受けたクラブの中で最も競争が厳しい)鹿島を選んだことに後悔していない」とアドバイスされたことも影響したと語っている[13]
  • プロ入り後は、ユース時代の同期である西澤をライバルとして強く意識していると語っていた。その西澤は2010年途中、ザスパ草津期限付き移籍し、2011年栃木SCへ完全移籍したが、その年の2月27日に行われたプレシーズンマッチ、栃木SC対浦和レッズ戦で西澤は右サイドバックで、宇賀神は左サイドバックで先発出場し、対面サイドでのマッチアップが実現した。
  • 2018年7月30日、地元の埼玉県戸田市にサッカースクール「エスフォルソ」ならびにフットサルコートをオープンした。
  • 2019年10月、台風19号による記録的な大雨で荒川が氾濫した際に水没した、埼玉県のサッカー場「レッズランド」と「彩湖・道満グリーンパーク」の復興支援のため「きみのて」プロジェクトを、浦和レッズのユース時代を共に過ごした現役Jリーガーたちと立ち上げた。上記クラウドファンディングで1000万円以上の支援を集めた。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006 流経大 - JFL 2 0 - 0 0 2 0
2007 ドラゴンズ 8 関東2部 - -
2007 流経大 - JFL 1 0 - 0 0 1 0
2008 29 18 2 - 2 1 20 3
2009 6 10 3 - 1 0 11 3
2010 浦和 35 J1 26 2 4 0 2 1 32 3
2011 3 14 0 4 0 3 0 21 0
2012 24 2 4 2 3 0 31 4
2013 31 1 5 0 0 0 36 1
2014 31 3 4 0 1 1 36 4
2015 31 1 2 0 3 1 36 2
2016 26 3 4 0 1 0 31 3
2017 22 0 0 0 1 0 23 0
2018 29 2 3 0 6 2 38 4
2019 21 1 1 0 2 0 24 1
2020 19 0 1 0 - 20 0
2021 19 1 8 0 6 1 33 2
2022 岐阜 30 J3 30 3 - 0 0 30 3
2023 3 34 1 - 1 0 35 1
2024 浦和 35 J1 -
通算 日本 J1 293 16 40 2 28 6 361 24
日本 J3 64 4 - 1 0 65 4
日本 JFL 31 5 - 3 1 34 6
日本 関東2部 - -
総通算 388 25 40 2 32 7 460 34

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2013 浦和 3 5 0 -
2015 3 0 -
2016 5 1 -
2017 6 1 1 0
2019 8 0 -
通算 AFC 27 2 1 0

その他の国際公式戦

タイトル

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クラブ

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浦和レッズ

個人

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  • 浦和レッズ後援会 会長賞:1回(2018年)
  • 戸田市スポーツ賞:1回(2018年)

代表歴

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試合数

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  • 国際Aマッチ 1試合 0得点 (2017年 - 2018年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2017 0 0
2018 1 0
通算 1 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2018年3月23日 ベルギーの旗 リエージュ スタッド・モーリス・デュフラン マリ共和国の旗 マリ △1-1 ハリルホジッチ 国際親善試合

脚注

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  1. ^ 宇賀神友弥選手、特別指定選手承認
  2. ^ 宇賀神友弥選手(流通経済大学)加入内定
  3. ^ 2015明治安田生命J1リーグ選手ランキング Soccer D.B.
  4. ^ 阿部勇樹、槙野智章に続き…浦和MF宇賀神友弥が今季限りで退団 サッカーキング(2021年11月18日)2021年11月20日閲覧。
  5. ^ 宇賀神友弥選手、浦和レッズ(J1)より完全移籍加入のお知らせ FC岐阜(2022年1月3日)2022年1月4日閲覧。
  6. ^ 浦和ユース同級生の社長から「ウガ、一緒に上を目指さないか?」宇賀神友弥が13年目の初移籍で「J3岐阜」を選んだ理由”. Number web (2022年3月18日). 2022年3月23日閲覧。
  7. ^ 宇賀神友弥選手 完全移籍加入のお知らせ”. 浦和レッドダイヤモンズ公式サイト (2024年1月9日). 2024年1月14日閲覧。
  8. ^ 「共に闘いましょう。ただいま」サッカー元日本代表 宇賀神友弥が浦和に復帰”. 日テレNEWS NNN (2024年1月10日). 2024年1月14日閲覧。
  9. ^ 初選出のG大阪DF三浦弦太「遠慮せずに」…日本代表メンバーのJ所属選手コメント一覧 ゲキサカ、2017年5月25日
  10. ^ 代表デビュー戦でまさかのPK献上。不完全燃焼の宇賀神友弥が漏らしたのは… サッカーダイジェスト 2018年3月24日
  11. ^ 武藤雄樹や宇賀神友弥などJリーガー多数…流通経済大出身の主な選手 ゲキサカ(2015年9月9日)
  12. ^ 宇賀神、出戻りシンデレラボーイ 決勝PK演出!…浦和今季初勝利
  13. ^ 週刊サッカーダイジェスト 2010年4月6日号 p.22 インタビュー 宇賀神友弥(浦和)「運命の遠回り」
  14. ^ 試合速報|浦和レッドダイヤモンズ公式サイト

関連項目

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外部リンク

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