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「仏滅」の版間の差分

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周書異記に関する、一部原理主義団体の信者対応について。
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{{Otheruses|[[仏]]・[[如来]]の入滅・滅度|六曜の一つである仏滅|六曜#仏滅}}
'''仏滅'''(ぶつめつ)とは'''六曜'''の一つ。
[[File:19th century sketch and 21st century photo collage, Cave 26 Ajanta, Buddha Parinirvana.jpg|thumb|450px|right|[[アジャンター石窟群]]に描かれた釈迦の入滅([[世界遺産]])]]
[[六曜]]を参照のこと。
'''仏滅'''(ぶつめつ)とは、[[仏陀|仏]]・[[如来]]の入滅・滅度、すなわち[[死]]のこと。特に[[釈迦]]仏の滅度を指していわれる。
 
[[仏陀|釈迦]]および[[阿羅漢]]など死は煩悩を滅ぼしているものの、身体とい重荷があゆえ苦しみからの解放あり、絶対平安の境地そのものに入ることと考えられており、この涅槃を訳して「滅」あるいは「滅度」と呼んだ。


{{main2|仏の滅度|無余涅槃}}
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===釈迦の入滅===
[[釈迦]]または諸仏が死亡すること。釈迦および諸仏の死は[[輪廻転生]]のうちに起るのではなく、絶対平安の[[涅槃]]そのものに入ることと考えられており、この涅槃を訳して「滅」あるいは「[[滅度]]」と呼んだ。


==釈迦の入滅==
三時説によれば、釈迦の入滅後、最初の1000年(500年とも)を[[正法]]、次の1000年を[[像法]]、その後の万年を[[末法]]とする。平安時代は仏滅を紀元前949年とする説が一般的だった。
{{Seealso|釈迦#死までの1年間}}
釈迦が入滅した年代は諸説あり、一致していない。


大乗仏教における三時説([[末法思想]])によれば、釈迦の入滅後、最初の1000年(500年とも)を[[正法]]、次の1000年を[[像法]]、その後の1万年を[[末法]]とする。末法に入ったとされる平安時代は仏滅を紀元前949年とする説が一般的だった。
現在では、<br>

1.周書異記の記述を根拠とする紀元前949年説<br>
現在では下記の説が存在する
2.東南アジアの仏教国に伝わる紀元前544-543年説<br>
#[[周書異記]]の記述を根拠とする紀元前949年説
3.2をギリシャ資料によって修正した紀元前486年もしくは紀元前477年説<br>
4.中、チベット記述から紀元前400-368年説<br>
#東南アジアの仏教国に伝わる紀元前544-543年説
#<!--上に項目を追加すると番号が変わる→-->2を[[ギリシャ]]資料によって修正した紀元前486年もしくは紀元前477年説
説が存在するが、<br>
#中国、チベットに残る記述から紀元前400-368年説
周書異記は、中国仏教が[[儒教]]に対する優位性を確保するために制作された[[偽書]]で、この記述に従った場合に世界史全体を書き換える必要があるが、現在でも[[日蓮正宗]]や[[浄土真宗親鸞会]]と言った、[[原理主義]]色の強い[[佛教]]団体で根強く支持されている、もしこれらの団体信者と法論を行った場合(特に[[キリスト教]]の信者相手に)'''仏教の科学的優位'''を主張するが、この問題を起点とした反撃を行った場合に'''黙り込む'''か、'''国家権力の陰謀'''や'''歴史学者や仏教学会が嘘をついている'''と言った主張、[[火病]]を発病させ収拾不能に近い混乱を発生させ逃走し、'''音信不通'''となるのが常である。

[[category:仏教|ふつめつ]]
なお、周書異記は[[中国の仏教|中国仏教]]が[[儒教]]に対する優位性を確保するために制作された[[偽書]]であるため、この説の正当性については疑問が残る、という指摘もある。{{要出典|date=2008年3月}}

=== ことば ===
号泣する[[アーナンダ]]に対し、釈迦は繰り返し[[無常]]を説いた。
{{Quote|
Alaṃ ānanda mā soci, mā paridevi - nanu etaṃ ānanda mayā paṭikacceva akkhātaṃ sabbeheva piyehi manāpehi nānābhāvo vinābhāvo aññathābhāvo. Taṃ kutettha ānanda labbhā ’yantaṃ jātaṃ bhūtaṃ saṅkhataṃ palokadhammaṃ, taṃ vata tathāgatassāpi sarīraṃ’ māpalujjiti. Netaṃ ṭhānaṃ vijjati.<br>
Dīgharattaṃ kho te ānanda tathāgato paccupaṭṭhito mettena kāyakammena hitena sukhena advayena appamāṇena, mettena vacīkammena hitena sukhena advayena appamāṇena, mettena manokammena hitena sukhena advayena appamāṇena. Katapuñño’si tvaṃ ānanda padhānamanuyuñja , khippaṃ hehisi1 anāsavo"ti.

やめよ、アーナンダ。悲しむなかれ。嘆くなかれ。アーナンダよ、私は説いていたではないか。最愛で、いとしいすべてのものたちは、別れ離ればなれになり、別々になる存在ではないかと。[[生 (仏教)|生まれ]]、[[有|存在]]し、[[サンカーラ|形成]]され、壊れていくもの、それを「ああ、壊れるなかれ」ということがどうして得られようか。そのようなことはあり得ないのだ。<br>
アーナンダよ、汝は長い間、[[慈 (仏教)|慈愛]]あり、利益あり、幸いあり、比較できない無量の身体と言葉と心の行いによって如来に仕えてくれた。アーナンダよ、汝は善い行いをした。精進することに専修せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。
|{{SLTP|[[長部 (パーリ)|長部]][[大般涅槃経 (上座部)|大般涅槃経]] 5.14}} <ref>{{Cite|和書|title=釈尊の生涯 |series=平凡社ライブラリ 新書 |date=2003|author=中村元|isbn=978-4582764789 |page=222}}</ref> }}

釈迦の最後の言葉は以下であった。
{{Quote|
handa'dāni bhikkhave āmantayāmi vo,<br>
vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā

さあ比丘たちよ、いまあなたたちに伝えよう。<br>
[[サンカーラ|さまざまの事象]]は過ぎ去るものである。[[放逸|怠る]]ことなく修行を完成なさい。
|{{SLTP|[[長部 (パーリ)|長部]][[大般涅槃経 (上座部)|大般涅槃経]] 5.14}} }}

== 脚注 ==
{{reflist}}

==関連項目==
*[[仏滅紀元]]

{{Buddhism2}}

{{DEFAULTSORT:ふつめつ}}

[[Category:原始仏教]]
[[Category:仏教と死]]

2023年3月24日 (金) 01:30時点における最新版

アジャンター石窟群に描かれた釈迦の入滅(世界遺産

仏滅(ぶつめつ)とは、如来の入滅・滅度、すなわちのこと。特に釈迦仏の滅度を指していわれる。   釈迦仏および阿羅漢などの死は煩悩を滅ぼしているものの、身体という重荷があるゆえの苦しみからの解放であり、絶対平安の境地そのものに入ることと考えられており、この涅槃を訳して「滅」あるいは「滅度」と呼んだ。

釈迦の入滅

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釈迦が入滅した年代は諸説あり、一致していない。

大乗仏教における三時説(末法思想)によれば、釈迦の入滅後、最初の1000年(500年とも)を正法、次の1000年を像法、その後の1万年を末法とする。末法に入ったとされる平安時代では仏滅を紀元前949年とする説が一般的だった。

現在では下記の説が存在する。

  1. 周書異記の記述を根拠とする紀元前949年説
  2. 東南アジアの仏教国に伝わる紀元前544-543年説
  3. 2をギリシャ資料によって修正した紀元前486年もしくは紀元前477年説
  4. 中国、チベットに残る記述から紀元前400-368年説

なお、周書異記は中国仏教儒教に対する優位性を確保するために制作された偽書であるため、この説の正当性については疑問が残る、という指摘もある。[要出典]

ことば

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号泣するアーナンダに対し、釈迦は繰り返し無常を説いた。

Alaṃ ānanda mā soci, mā paridevi - nanu etaṃ ānanda mayā paṭikacceva akkhātaṃ sabbeheva piyehi manāpehi nānābhāvo vinābhāvo aññathābhāvo. Taṃ kutettha ānanda labbhā ’yantaṃ jātaṃ bhūtaṃ saṅkhataṃ palokadhammaṃ, taṃ vata tathāgatassāpi sarīraṃ’ māpalujjiti. Netaṃ ṭhānaṃ vijjati.
Dīgharattaṃ kho te ānanda tathāgato paccupaṭṭhito mettena kāyakammena hitena sukhena advayena appamāṇena, mettena vacīkammena hitena sukhena advayena appamāṇena, mettena manokammena hitena sukhena advayena appamāṇena. Katapuñño’si tvaṃ ānanda padhānamanuyuñja , khippaṃ hehisi1 anāsavo"ti.

やめよ、アーナンダ。悲しむなかれ。嘆くなかれ。アーナンダよ、私は説いていたではないか。最愛で、いとしいすべてのものたちは、別れ離ればなれになり、別々になる存在ではないかと。生まれ存在し、形成され、壊れていくもの、それを「ああ、壊れるなかれ」ということがどうして得られようか。そのようなことはあり得ないのだ。
アーナンダよ、汝は長い間、慈愛あり、利益あり、幸いあり、比較できない無量の身体と言葉と心の行いによって如来に仕えてくれた。アーナンダよ、汝は善い行いをした。精進することに専修せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。

釈迦の最後の言葉は以下であった。

handa'dāni bhikkhave āmantayāmi vo,
vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā

さあ比丘たちよ、いまあなたたちに伝えよう。
さまざまの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい。

脚注

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  1. ^ 中村元『釈尊の生涯』〈平凡社ライブラリ 新書〉2003年、222頁。ISBN 978-4582764789 

関連項目

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