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「大築尚志」の版間の差分

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[[1865年]]([[元治]]2年)[[幕臣]]に取立てられ、歩兵差図役として幕府の洋式軍隊編成にあたった。[[明治維新]]後、主家の駿河移封に従い、[[沼津兵学校]]創設を推進し、[[西周 (啓蒙家)|西周]]を頭取として招くことに尽力。西辞任後[[1870年]](明治3年)には頭取並となる。
[[1865年]]([[元治]]2年)[[幕臣]]に取立てられ、歩兵差図役として幕府の洋式軍隊編成にあたった。[[明治維新]]後、主家の駿河移封に従い、[[沼津兵学校]]創設を推進し、[[西周 (啓蒙家)|西周]]を頭取として招くことに尽力。西辞任後[[1870年]](明治3年)には頭取並となる。


[[1871年]]の[[廃藩置県]]後に沼津兵学校は兵部省に移管され、陸軍中佐兼兵学助となる。その後、陸軍省第3局副長、造兵正御用取扱、砲兵本廠提理、砲兵会議副議長、砲兵局長、砲兵会議議長心得を経て、[[1886年]](明治19)[[陸軍少将]]・砲兵会議議長となる。さらに砲兵監、[[日清戦争]]の際は臨時東京湾守備隊司令官を命じられ、[[1889年]](明治32)には[[陸軍中将]]となり同時に[[後備役]]に編入された。
[[1871年]]の[[廃藩置県]]後に沼津兵学校は兵部省に移管され、陸軍中佐兼兵学助となる。その後、陸軍省第3局副長、造兵正御用取扱、[[東京砲兵工廠|砲兵本廠]]提理、[[陸軍技術本部#砲兵会議|砲兵会議]]副議長、砲兵局長、砲兵会議議長心得を経て、[[1886年]](明治19)[[陸軍少将]]・砲兵会議議長となる。さらに砲兵監、[[日清戦争]]の際は臨時東京湾守備隊司令官を命じられ、[[1889年]](明治32)には[[陸軍中将]]となり同時に[[後備役]]に編入された。


1900年6月12日、66歳で没する。死去にあたり正四位[[旭日章|旭日重光章]]を賜る。[[青山墓地]](東京都港区南青山)に葬られ、戒名は大興院殿真常尚志大居士。
1900年6月12日、66歳で没する。死去にあたり正四位[[旭日章|旭日重光章]]を賜る。[[青山墓地]](東京都港区南青山)に葬られ、戒名は大興院殿真常尚志大居士。

2007年12月29日 (土) 14:45時点における版

大築 尚志(おおつき たかゆき、1835年12月24日天保6年11月5日) - 1900年明治33年)6月12日)は、日本陸軍軍人陸軍中将。幼名、保太郎(やすたろう)。沼津兵学校頭取、兵部省兵学助、陸軍省砲兵局長などを歴任。江戸幕府、明治政府で軍事技術者として活躍、日本における大砲などの武器の整備の近代化に大きく貢献した。息子の大築千里京都帝国大学教授、また東京帝国大学出身で明治38年に麹町女学校を創立した大築佛郎は四男。

略歴

下総国佐倉藩士大築弥市尚忠の子として、佐倉城内で生まれる。母はつな。佐倉藩の藩校、成徳書院(現在の千葉県立佐倉高等学校の前身)で12歳の時の1847年弘化4年)4月21日には、儒学の基礎である四書論語孟子中庸大学)を声に出して読む素読の試験を受け優秀な成績を収める。

1851年嘉永4年)に藩から高島流砲術修行を命ぜられた。1853年(嘉永6年)と翌年のペリー艦隊来航に際して、沿岸警備のため下総国千葉郡寒川浦(現、千葉市)へ出張。藩命により1854年(嘉永7年)から、藩の洋学者である手塚律蔵などから蘭学、英学などを学んだ。1860年万延1年)、佐倉において藩の洋学指南役を拝命、師の推挙で1862年文久2年)蕃書調書出役教授手伝となった。

1865年元治2年)幕臣に取立てられ、歩兵差図役として幕府の洋式軍隊編成にあたった。明治維新後、主家の駿河移封に従い、沼津兵学校創設を推進し、西周を頭取として招くことに尽力。西辞任後1870年(明治3年)には頭取並となる。

1871年廃藩置県後に沼津兵学校は兵部省に移管され、陸軍中佐兼兵学助となる。その後、陸軍省第3局副長、造兵正御用取扱、砲兵本廠提理、砲兵会議副議長、砲兵局長、砲兵会議議長心得を経て、1886年(明治19)陸軍少将・砲兵会議議長となる。さらに砲兵監、日清戦争の際は臨時東京湾守備隊司令官を命じられ、1889年(明治32)には陸軍中将となり同時に後備役に編入された。

1900年6月12日、66歳で没する。死去にあたり正四位旭日重光章を賜る。青山墓地(東京都港区南青山)に葬られ、戒名は大興院殿真常尚志大居士。

関連文献

  • 『大築尚志略伝』樋口雄彦・沼津市博物館紀要(第11号)1987年
  • 『幕末維新論集〈12〉明治維新の人物像』宮地正人編・吉川弘文館、2000年 ISBN 9784642037327 (4642037322)