「マツモト電器」の版間の差分
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*'''狭山店'''→ベスト電器狭山店、ゲオ狭山店、ゲオコミュニケーションズ狭山店 |
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*入曽店(ワンダーグー)→解体、戸建分譲住宅 |
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*'''新座野寺店'''(ワンダーグー)→ゲオ新座片山店 |
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*清瀬店(旧ニチイ清瀬店内)→[[サティ (チェーンストア)#かつて存在していた店舗|ニチイ閉店・解体]]後、マンション |
*清瀬店(旧ニチイ清瀬店内)→[[サティ (チェーンストア)#かつて存在していた店舗|ニチイ閉店・解体]]後、マンション |
2008年2月3日 (日) 14:59時点における版
マツモト電器株式会社(まつもとでんき)は、かつて存在した日本の家電量販店企業。
ここでは、会社を示す場合は「マツモト電器」、店舗を示す場合は「マツモトデンキ」と表記する。
概略
埼玉県を中心に展開、かつての本社は埼玉県富士見市大字鶴馬2662番地[1]。東武鉄道東上線鶴瀬駅近く(本社の位置)にあった家業の青果市場の片すみで、社長の松本昌慶氏が(商売というよりは趣味に近い感じで)ラジオ修理をしていたことに端を発する。
「ナショナルのお店」など特定のメーカーに限定しない品揃えは、当時としては画期的で好評を博す。埼玉県下においては老舗の有力電器店で、最大時には20余店舗を有するまでに成長した。
しかし、コジマなど全国展開をする競合他社の相次ぐ出店により、価格競争が年々激化。それに対抗するため、スクラップアンドビルドを推進、既存店の改装を積極的に推し進めるも、店舗が比較的、住宅街や繁華街に近かったため増床が難しく、各社の店舗面積の巨大化に追いつくことができなかった。また、それらが一層の設備投資負担として経営の重荷となり採算性が悪化。
2003年民事再生法の申請に至り、マツモトデンキの10店と従業員を事業再生のスポンサーとなったレンタルビデオチェーン大手のゲオ(愛知県春日井市)が引き継ぐとともに、約10億円の資金繰り支援を行い、翌年完全子会社化。
- 現在では社名も変わり、ほとんどがゲオの店に業態転換された。
沿革
- 1951年1月、設立。
- 1991年11月26日、店頭市場に株式公開 証券コードは9917。
- 2000年、営業赤字。
- 2001年、売上高が過去最高の256億円。1億2千万円の営業黒字となり業績回復。
- 2002年、営業赤字が5億1千万円になる。
- 2003年、4億4000万円の営業赤字となり、本業で黒字を出せない体質となった。
- 2003年7月9日、民事再生法申請、負債総額は77億円。レンタルビデオチェーン大手のゲオ(愛知県春日井市)が事業再生のスポンサーとなる。
- 2003年(平成15年)11月30日、創業店である「つるせ本店」を閉店。
- 2004年5月、マツモト電器株式会社を完全子会社化。
ロゴ・キャッチコピー
- ロゴは、正方形を横に三等分し、青の上下の中央に赤で「マツモト」と書いたシンプルなデザイン。
- 以前のキャッチコピーは「人のそばに、暮らしのそばに」。
- テレビ埼玉で放映したコマーシャルは「でっかい電器のマツモトデンキ」、タウンページの広告には「でっかい電器の専門店」と書かれていた。
- 後年は「マルチメディア&家電」に変わった。
ポイントカード
- かつては「Mカード」と称し、現金専用とクレジット機能付きがあった[2]。
- クレジット機能付きは、日本信販、オリエントコーポレーションと提携していた。
- その後、日本信販と提携した新「マツモトデンキカード」に変わり、現金専用カードはバーコードを読み取るタイプになった。
店舗
- ※同時期に存在しない店舗もあるが一覧にまとめてある。
- ※→の右が、マツモトデンキ閉店後。
- ※太字=民事再生法の申請を行なった時に残っていた店舗。
家電量販店
- 本社(建物完成時は1階に鶴瀬本店があった)→別の会社が入居
- つるせ本店
- 電器館(白物家電中心の店舗)→1階:衣料品リサイクル店、2~3階:飲食店
- メディア館[3](オーディオ機器やパソコンなど)→ゲオつるせ店(通常のゲオより規模が大きく「メガゲオ」といい、24時間営業)、ゲオコミュニケーションズつるせ店
- 深谷店→ベスト電器深谷店、ゲオ深谷店、ゲオコミュニケーションズ深谷店
- 東松山店→ゲオ東松山店、ゲオコミュニケーションズ東松山店
- デジネット坂戸店→飲食店
- 鶴ヶ島店→ドラッグストア
- 上福岡店→マンション
- 飯能店→ゲオ飯能店、ゲオコミュニケーションズ飯能店
- 入間春日店→雑貨店
- 入間店→ゲオ入間店、ゲオコミュニケーションズ入間店
- 狭山店→ベスト電器狭山店、ゲオ狭山店、ゲオコミュニケーションズ狭山店
- 入曽店(ワンダーグー)→解体、戸建分譲住宅
- 所沢東店→雑貨店→所沢社会保険事務所総合相談室
- 所沢北野店→2nd STREET所沢北野店
- 新座野寺店(ワンダーグー)→ゲオ新座片山店
- 清瀬店(旧ニチイ清瀬店内)→ニチイ閉店・解体後、マンション
- ひばりが丘店→ゲオひばりが丘店
- 北本店→ベスト電器北本店、ゲオ北本店、ゲオコミュニケーションズ北本店
- 指扇店→貸し倉庫
- 大宮店→ドラッグストア(このドラッグストアは皮肉にも、マツモト電器創業の地である鶴瀬に本部を置く会社)
- 与野店→古本店
- 戸田店→ドラッグストア
携帯電話専門店
- デジネット加須店(加須駅ビル・加須マイン内)
- デジネット小川店(小川ショッピングセンター2階東武ストア内)
- デジネット鶴瀬店(鶴瀬駅ビル・鶴瀬フェスト2階)
持込修理専門店
- ミスターコンセント鶴瀬店→現在も同地にて存続
- ミスターコンセント狭山店→閉店、建物はそのまま残る
その他店舗について
- 上記以外にも、志木店や川越(新河岸)店も存在した。
- ゲオがスポンサーになった際、つるせ、深谷、狭山、ひばりが丘、北本の5店舗を電器店として残す方向だったが、その後、つるせ、ひばりが丘の2店が新たに業態転換し、残った3店舗はベスト電器とフランチャイズ契約を結ぶ。
関連する会社
- 株式会社松本商会
- 松本家の家業であった青果市場の流れを受け継ぐ伝統ある企業。現在は不動産会社。
- マツモト電器株式会社の社長・松本昌慶氏の兄弟が経営。
- 旧マツモトデンキつるせ本店隣にあるダイエー三芳店の建物などを持っており、富士見市内でも有力の企業。
- マツモト建設株式会社
- 「朝日匠の会」にも加盟していた工務店。旧マツモトデンキつるせ本店駐車場の横に「光遊館」というモデルハウスがあった。
- マークは株式会社松本商会と同一のもの、ロゴタイプはマツモトデンキと同一の書体だった。
- マツモト建設株式会社は近年、廃業した様子。
- 以上2社と表立った活動(例えば「松本グループ」などと名乗るなど)はなかったが、マツモト電器株式会社を含めた3社で「つるせ」というコミュニティー新聞を発行(毎月1日)し、新聞折り込みにて富士見市内に配布していた[4]。
- 紙面下の広告スペース(3社が広告を出していた)を除いて、内容は地域情報や季節の話題などに徹しており、読み応えのある作りであったが、マツモト電器株式会社の民事再生法の申請以降、2社で何度か発行するも、後に休刊になる。
その他・参考文献
- ^
- チラシの店舗案内図の目印になる建物は「さん」付けだった(例:ダイエーさん、丸広さん)。
- 鶴瀬本店の表記は漢字で「鶴瀬本店」だったが、後年はひらがなで「つるせ本店」になった。営業時間の表記も「あさ10時→よる8時」と、「あさ」「よる」がひらがなであった。このことは、ゲオグループで携帯電話を販売するゲオコミュニケーションズの埼玉地区に折り込まれるチラシにも受け継がれており、またチラシに載っている店舗案内図も一部を除きマツモト電器時代のをそのまま使っている(「さん」付けではなくなった)。
- ^ 年数回、「Mカード」会員向けの特別招待会があり、ダイレクトメールの封筒(引換券が同封されている場合も)と引き換えに、お皿などを配っていた。お皿は「たち吉」が多かった。
- ^ つるせ本店に「メディア館」が開店したときは、東武東上線の車内広告を1編成まるまる買い取り展開した。またラジオコマーシャルも流した。
- ^ 毎年12月31日の新聞には必ず折り込みチラシが入り、NHKテレビ「紅白歌合戦」の出場歌手一覧が載っていて、「紅白までに配達します」というのが恒例で、年末の風物詩と化していた。