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2011年10月5日 (水) 12:47時点における版
名島火力発電所(なじまかりょくはつでんしょ)は、かつて福岡県福岡市名島(現:東区名島)にあった火力発電所。1920年(大正9年)より操業を開始し1960年(昭和35年)に廃止された。
沿革
第一次世界大戦後、電力需要の高まりから大型発電所の建設が求められた。建設候補地を選定したところ、民家が少なく博多湾に面し船による石炭搬入が容易な福岡県糟屋郡多々良町名島に決定、九州電灯により1918年(大正7年)12月より建設か開始された。 1920年(大正9年)4月に10,000kw、同年6月には10,000kwを発電する設備が完成し総発電量は合計20,000kwにも昇り東洋一と評された。また、施設を囲むように設置された4本の煙突は高さ61メートルを誇り発電所の象徴とされ、高層建築物が少なかった当時はその姿を市内の至る所から確認できたといわれる。九州電灯の東邦電力との合併後は発電設備を拡張し、最終的に46,000kwの発電能力を誇った。また同社の火力技術研究センターとしての役割も担ったとされる。
戦後、エネルギー政策の転換と、他に高出力の発電所が新設されたことにより1960年(昭和35年)12月に廃止され、象徴であった4本の煙突は1961年(昭和36年)から1962年(昭和37年)にかけて順次解体された。 跡地は九州電力のグラウンドを経て名島運動公園となり、園内には当時を偲ぶ記念碑が建っている。
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出典・参考資料
- 柳猛直『福岡歴史探訪 東区編』(海鳥社、1995年)P164-167。
- “福岡市東区 歴史・名所 ~名島火力発電所、名島水上飛行場跡~”. 福岡市東区 区政推進部 企画振興課 (2010年3月27日). 2011年6月28日閲覧。