コンテンツにスキップ

「アダム・リグス」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Withnari (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
5行目: 5行目:
[[2001年]]にマイナー在籍6年で取得できるFA権を行使しドジャース傘下から[[サンディエゴ・パドレス]]傘下に移籍。この年は久々にメジャー昇格を果たし12試合に出場した。しかしシーズン終了後自由契約となり、[[2002年]]、今度は[[セントルイス・カージナルス]]傘下へ移籍する。この年はメジャー昇格できず、シーズン終了後トレードに出され[[ロサンゼルス・エンゼルス|アナハイム・エンゼルス]]傘下へ入団。[[2003年]]は9月にメジャー登録枠が拡大されたと同時にメジャーに昇格し、地区優勝の美酒も味わった。[[2004年]]はメジャーのキャンプにマイナーからの招待選手として参加。開幕メンバー入りは出来なかったが、31歳にしてマイナーで自己最高ともいえる打撃成績を残し、去年と同じく9月にメジャー昇格してプレーオフにも出場(結果は1打数無安打)。この年も地区優勝の輪に入ることが出来た。
[[2001年]]にマイナー在籍6年で取得できるFA権を行使しドジャース傘下から[[サンディエゴ・パドレス]]傘下に移籍。この年は久々にメジャー昇格を果たし12試合に出場した。しかしシーズン終了後自由契約となり、[[2002年]]、今度は[[セントルイス・カージナルス]]傘下へ移籍する。この年はメジャー昇格できず、シーズン終了後トレードに出され[[ロサンゼルス・エンゼルス|アナハイム・エンゼルス]]傘下へ入団。[[2003年]]は9月にメジャー登録枠が拡大されたと同時にメジャーに昇格し、地区優勝の美酒も味わった。[[2004年]]はメジャーのキャンプにマイナーからの招待選手として参加。開幕メンバー入りは出来なかったが、31歳にしてマイナーで自己最高ともいえる打撃成績を残し、去年と同じく9月にメジャー昇格してプレーオフにも出場(結果は1打数無安打)。この年も地区優勝の輪に入ることが出来た。


[[2005年]]には日本の[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]からオファーが届き、[[2004年]]秋季キャンプを経て入団。日本の投手の変化球攻めにあいシーズンは2軍スタートとなった。ところがシーズン後半に[[鈴木健]]の離脱でスタメンの機会を得ると、持ち味のシュアな打撃を武器に活躍をみせ始め、この年無敵とまで言われた[[阪神タイガース|阪神]]のセットアッパー[[藤川球児]]から決勝本塁打を放ったり(その年、藤川に唯一の黒星を付けた。)、8月の巨人戦では8打席連続安打を記録するなど、規定打席不足ながらも打率3割を残した。それが認められる形で[[2006年]]の契約も勝ち取り、2006年シーズンは主に2番打者として活躍している。
[[2005年]]には日本の[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]からオファーが届き、[[2004年]]秋季キャンプを経て入団。日本の投手の変化球攻めにあいシーズンは2軍スタートとなった。ところがシーズン後半に[[鈴木健 (内野手)|鈴木健]]の離脱でスタメンの機会を得ると、持ち味のシュアな打撃を武器に活躍をみせ始め、この年無敵とまで言われた[[阪神タイガース|阪神]]のセットアッパー[[藤川球児]]から決勝本塁打を放ったり(その年、藤川に唯一の黒星を付けた。)、8月の巨人戦では8打席連続安打を記録するなど、規定打席不足ながらも打率3割を残した。それが認められる形で[[2006年]]の契約も勝ち取り、2006年シーズンは主に2番打者として活躍している。


俊足選手としても有名で、ガッツあふれるプレーが持ち味で、外国人選手としては珍しくヘッドスライディングをするなどチームのムードメーカー的存在でもある。バッターとしては巧打タイプだが、先制、勝ち越し、同点、逆転など貢献度の高いホームランが多く、ホームランを打った試合のチームの成績は7割超。アメリカでは[[二塁手]]が本業で、一塁・外野も守れるユーティリティプレイヤーだが、肩が弱いことからヤクルト移籍後はほぼ[[一塁手]]に専念している。また学生時代は[[アメリカンフットボール|アメフト]]の選手だったこともあって走力はチーム随一を誇り、広島戦では捕手[[倉義和]]の1塁送球間にホームへ突入したこともある(記録は盗塁にはならず)。守備面では早い打球の処理にやや難があるものの、抜けそうな打球を横っ飛びでキャッチしたり、[[一塁手]]としての送球処理は無難にこなす。
俊足選手としても有名で、ガッツあふれるプレーが持ち味で、外国人選手としては珍しくヘッドスライディングをするなどチームのムードメーカー的存在でもある。バッターとしては巧打タイプだが、先制、勝ち越し、同点、逆転など貢献度の高いホームランが多く、ホームランを打った試合のチームの成績は7割超。アメリカでは[[二塁手]]が本業で、一塁・外野も守れるユーティリティプレイヤーだが、肩が弱いことからヤクルト移籍後はほぼ[[一塁手]]に専念している。また学生時代は[[アメリカンフットボール|アメフト]]の選手だったこともあって走力はチーム随一を誇り、広島戦では捕手[[倉義和]]の1塁送球間にホームへ突入したこともある(記録は盗塁にはならず)。守備面では早い打球の処理にやや難があるものの、抜けそうな打球を横っ飛びでキャッチしたり、[[一塁手]]としての送球処理は無難にこなす。

2006年8月18日 (金) 13:28時点における版

アダム・リグス(Adam David Riggs1972年10月4日 - )は、アメリカオハイオ州ステューベンヴィル出身のプロ野球選手。現在は日本の球団である東京ヤクルトスワローズに所属。ポジションは内野手及び外野手。スワローズでは主に一塁手を務める。背番号は2。

1994年ドラフトでロサンゼルス・ドジャースから22巡目、全体608位指名を受け入団。当時の期待は低かったものの、入団3年目の1997年にメジャー昇格。結局9試合に出場したものの、翌年からは再度長期に渡ってマイナーでのプレーを余儀なくされる。

2001年にマイナー在籍6年で取得できるFA権を行使しドジャース傘下からサンディエゴ・パドレス傘下に移籍。この年は久々にメジャー昇格を果たし12試合に出場した。しかしシーズン終了後自由契約となり、2002年、今度はセントルイス・カージナルス傘下へ移籍する。この年はメジャー昇格できず、シーズン終了後トレードに出されアナハイム・エンゼルス傘下へ入団。2003年は9月にメジャー登録枠が拡大されたと同時にメジャーに昇格し、地区優勝の美酒も味わった。2004年はメジャーのキャンプにマイナーからの招待選手として参加。開幕メンバー入りは出来なかったが、31歳にしてマイナーで自己最高ともいえる打撃成績を残し、去年と同じく9月にメジャー昇格してプレーオフにも出場(結果は1打数無安打)。この年も地区優勝の輪に入ることが出来た。

2005年には日本のヤクルトスワローズからオファーが届き、2004年秋季キャンプを経て入団。日本の投手の変化球攻めにあいシーズンは2軍スタートとなった。ところがシーズン後半に鈴木健の離脱でスタメンの機会を得ると、持ち味のシュアな打撃を武器に活躍をみせ始め、この年無敵とまで言われた阪神のセットアッパー藤川球児から決勝本塁打を放ったり(その年、藤川に唯一の黒星を付けた。)、8月の巨人戦では8打席連続安打を記録するなど、規定打席不足ながらも打率3割を残した。それが認められる形で2006年の契約も勝ち取り、2006年シーズンは主に2番打者として活躍している。

俊足選手としても有名で、ガッツあふれるプレーが持ち味で、外国人選手としては珍しくヘッドスライディングをするなどチームのムードメーカー的存在でもある。バッターとしては巧打タイプだが、先制、勝ち越し、同点、逆転など貢献度の高いホームランが多く、ホームランを打った試合のチームの成績は7割超。アメリカでは二塁手が本業で、一塁・外野も守れるユーティリティプレイヤーだが、肩が弱いことからヤクルト移籍後はほぼ一塁手に専念している。また学生時代はアメフトの選手だったこともあって走力はチーム随一を誇り、広島戦では捕手倉義和の1塁送球間にホームへ突入したこともある(記録は盗塁にはならず)。守備面では早い打球の処理にやや難があるものの、抜けそうな打球を横っ飛びでキャッチしたり、一塁手としての送球処理は無難にこなす。

余談だが、三振してアウトになりベンチへ帰っていくとき、首を横に振る姿がよくテレビに映る。逆に、ホームランを打った後はベンチ横のカメラに向かって猫ひろしの「にゃ~」のモノマネをする。(猫ひろし本人からTシャツを貰った事もある)

ファンサービスでは子供から大人まで全員にサインをするなどサービス精神旺盛で、熱狂的なファンには専用のリストバンドをクラブハウスに用意している。2年目ということで、ファンからの人気や期待も日増しに高まっている。


プロフィール

成績

  • 打率 .306 本塁打 14 打点 44 (2005年)

タイトル・表彰

外部リンク