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「ダブルヘッダー」の版間の差分

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* アメリカ・大リーグでは[[1920年]][[10月2日]]には[[ピッツバーグ・パイレーツ]]と[[シンシナティ・レッズ]]が20世紀唯一のトリプルヘッダーを行った。
* アメリカ・大リーグでは[[1920年]][[10月2日]]には[[ピッツバーグ・パイレーツ]]と[[シンシナティ・レッズ]]が20世紀唯一のトリプルヘッダーを行った。
* 2000年と2003年に交流試合([[インターリーグ]])の[[ニューヨーク・ヤンキース]]対[[ニューヨーク・メッツ]]の試合が同じ日・同じカードでありながらそれぞれの[[フランチャイズ]]球場([[ヤンキースタジアム]]、[[シェイスタジアム]])で行われた。これは雨天中止で日程未消化の試合が発生したことによる処置で、選手らは第1試合終了後パトカーや白バイ隊の誘導を従えて第2試合の会場に移動したという。この両チームの対戦カードは、それぞれの球場が地下鉄で結ばれていることから「サブウェイ(地下鉄)・シリーズ」と呼ばれるが、多くの観客たちはその地下鉄で球場を移動したため文字通りのサブウェイ・シリーズとなった。
* 2000年と2003年に交流試合([[インターリーグ]])の[[ニューヨーク・ヤンキース]]対[[ニューヨーク・メッツ]]の試合が同じ日・同じカードでありながらそれぞれの[[フランチャイズ]]球場([[ヤンキースタジアム]]、[[シェイスタジアム]])で行われた。これは雨天中止で日程未消化の試合が発生したことによる処置で、選手らは第1試合終了後パトカーや白バイ隊の誘導を従えて第2試合の会場に移動したという。この両チームの対戦カードは、それぞれの球場が地下鉄で結ばれていることから「サブウェイ(地下鉄)・シリーズ」と呼ばれるが、多くの観客たちはその地下鉄で球場を移動したため文字通りのサブウェイ・シリーズとなった。
* 日本では1953年8月9日の[[北海道日本ハムファイターズ|東急フライヤーズ]]対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄パールス]](後楽園)のダブルヘッダーは夕方17時からの第1試合が延長20回・4時間46分もかかった。当時は同一カードのダブルヘッダーの場合は第1試合は時間・回数制限を一切行わなかった(変則ダブルの場合は第1試合は12回までで打ち切り)ためだった。このため第2試合は22:11からの試合開始となり、7回の攻撃が終了したところで時限の23:45が来たためコールドゲームとなった。
* 日本では1953年8月9日の[[北海道日本ハムファイターズ|東急フライヤーズ]]対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄パールス]](後楽園)のダブルヘッダーは夕方17時からの第1試合が延長20回・4時間46分もかかった。当時は同一カードのダブルヘッダーの場合は第1試合は時間・回数制限を一切行わなかった(変則ダブルの場合は第1試合は12回までで打ち切り)ためだった。このため第2試合は22:11からの試合開始となり、7回の攻撃が終了したところで時限の23:45が来たためコールドゲームとなった。現在では、第1試合の終了時間が20:40を過ぎると、第2試合は中止されるのでこの記録が破られることは、規則変更がなされない限りはない
* 1967年10月12日に[[広島東洋カープ|広島]]が日中に[[読売ジャイアンツ|巨人]](後楽園)、夜は[[東京ヤクルトスワローズ|サンケイ]](神宮)と、フランチャイズ制が確立した1952年以降では唯一、同一日に対戦カード・会場を変えて変則ダブルヘッダーを実施。<br>1971年10月11日には[[川崎球場]]でいづれも中日がビジターでホームチームが異なる変則ダブルヘッダーをした。第1戦が川崎が本来のホームタウンである[[横浜ベイスターズ|大洋ホエールズ]]と、第2戦は[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトアトムズ]]との対戦。ヤクルトは[[大学野球]]との絡みで[[明治神宮野球場]]が使えない日もあり、[[横浜スタジアム|横浜平和球場]]等とともに別会場で消化試合を振り替えたことがこの当時多かった<br>更に1973年10月13日[[北海道日本ハムファイターズ|日拓]]vs[[西武ライオンズ|太平洋]](後楽園)の試合は第1試合が本来の日拓の主催で、第2試合は太平洋の主催でダブルヘッダーを行った。いずれもシーズン終盤の日程調整の関係でこのような変則的な日程となった。
* 1967年10月12日に[[広島東洋カープ|広島]]が日中に[[読売ジャイアンツ|巨人]](後楽園)、夜は[[東京ヤクルトスワローズ|サンケイ]](神宮)と、フランチャイズ制が確立した1952年以降では唯一、同一日に対戦カード・会場を変えて変則ダブルヘッダーを実施。<br>1971年10月11日には[[川崎球場]]でいづれも中日がビジターでホームチームが異なる変則ダブルヘッダーをした。第1戦が川崎が本来のホームタウンである[[横浜ベイスターズ|大洋ホエールズ]]と、第2戦は[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトアトムズ]]との対戦。ヤクルトは[[大学野球]]との絡みで[[明治神宮野球場]]が使えない日もあり、[[横浜スタジアム|横浜平和球場]]等とともに別会場で消化試合を振り替えたことがこの当時多かった<br>更に1973年10月13日[[北海道日本ハムファイターズ|日拓]]vs[[西武ライオンズ|太平洋]](後楽園)の試合は第1試合が本来の日拓の主催で、第2試合は太平洋の主催でダブルヘッダーを行った。いずれもシーズン終盤の日程調整の関係でこのような変則的な日程となった。
* 2006年8月18日に[[ボストン]]・[[フェンウェイパーク]]のニューヨーク・ヤンキース対[[ボストン・レッドソックス]]のダブルヘッダーが行われたことにより同年8月21日まで同一カード5連戦となる。
* 2006年8月18日に[[ボストン]]・[[フェンウェイパーク]]のニューヨーク・ヤンキース対[[ボストン・レッドソックス]]のダブルヘッダーが行われたことにより同年8月21日まで同一カード5連戦となる。

2006年9月18日 (月) 16:16時点における版

ダブルヘッダーは、野球の試合において、特定のチーム同士が同一球場において1日のうちに2試合を開催することを意味する。 なおダブルヘッダー第2試合は、第1試合終了後原則20分後からでないと開始できない。

日本プロ野球

  • 球場難やフランチャイズが確立されていなかった1930~60年代前半においては同一球場で違うカードを開催する変則ダブルヘッダーの開催が比較的多かった。特に、関東ではプロ野球においては後楽園球場駒沢球場川崎球場が使用されているが、後楽園をホームとするチームが多く、巨人軍のゲームを19時以後開始のナイターで開き、その前に巨人軍以外のチームが絡む試合を16時ごろからの薄暮開催とした変則開催が多かった。
  • 1960年代後半以降も、試合数が増加した関係もあり、1カード3連戦の原則から主に毎週日曜日や祝日に同一カードでのダブルヘッダー開催を多く開催したことがあった。しかし、巨人軍と大毎(-1962年シーズン途中まで)日本ハム(東映、日拓 1964年以後)がいずれも前年度Aクラス入賞でホーム開幕権利を獲得すると、日程の都合で変則ダブルヘッダーで行うケースもあった。(多くは巨人戦をデーゲーム、大毎、日本ハムはナイターというケースだったが、東京ドームで開幕を迎えた1994年1997年1999年の場合はこの逆だった)
  • しかし選手の健康面を考慮し日程にゆとりを持たせるようになった1980年代中盤以降はダブルヘッダーの常時開催がほとんどなくなり、シーズンの最終盤に雨天中止などの関係で日程が消化できなかった試合で同一カードダブルヘッダーを開催する程度にとどまっている。その上近年では雨天時でも試合を開催できるドーム球場を本拠地としている球団が多くなったため、前述の理由でのダブルヘッダー開催も行われなくなってきている。
  • 現在のところ
セ・リーグでは1998年10月10日横浜中日横浜スタジアム
第一試合横浜2-1中日、第二試合中日5-4横浜
パ・リーグでは1998年10月9日西武オリックス西武ドーム
第一試合西武3-1オリックス、第二試合西武6-2オリックス
が最後であり、1999年以降はダブルヘッダーは組まれていない。

メジャーリーグ

  • アメリカの場合はネオ・クラシカル様式球場がブームになっているため屋根付の球場が少ない。そのため、天候によって日程が左右されることがよくある。そのうえ、年間に162試合もの超過密日程をこなさねばならない。通常は、選手の疲労を考慮して、なるべくダブルヘッダーとならないよう試合開始前や試合中に天候悪化により試合ができなくなっても、天候が回復するまで1~2時間は待つのが当たり前である。それでも、雨天中止となった場合には、消化試合がなるべくシーズンの終盤に集中しないように昼夜のダブルヘッダー開催を実施することがよくある。

ダブルヘッダーにまつわる話

  • アメリカ・大リーグでは1920年10月2日にはピッツバーグ・パイレーツシンシナティ・レッズが20世紀唯一のトリプルヘッダーを行った。
  • 2000年と2003年に交流試合(インターリーグ)のニューヨーク・ヤンキースニューヨーク・メッツの試合が同じ日・同じカードでありながらそれぞれのフランチャイズ球場(ヤンキースタジアムシェイスタジアム)で行われた。これは雨天中止で日程未消化の試合が発生したことによる処置で、選手らは第1試合終了後パトカーや白バイ隊の誘導を従えて第2試合の会場に移動したという。この両チームの対戦カードは、それぞれの球場が地下鉄で結ばれていることから「サブウェイ(地下鉄)・シリーズ」と呼ばれるが、多くの観客たちはその地下鉄で球場を移動したため文字通りのサブウェイ・シリーズとなった。
  • 日本では1953年8月9日の東急フライヤーズ近鉄パールス(後楽園)のダブルヘッダーは夕方17時からの第1試合が延長20回・4時間46分もかかった。当時は同一カードのダブルヘッダーの場合は第1試合は時間・回数制限を一切行わなかった(変則ダブルの場合は第1試合は12回までで打ち切り)ためだった。このため第2試合は22:11からの試合開始となり、7回の攻撃が終了したところで時限の23:45が来たためコールドゲームとなった。現在では、第1試合の終了時間が20:40を過ぎると、第2試合は中止されるのでこの記録が破られることは、規則変更がなされない限りはない。
  • 1967年10月12日に広島が日中に巨人(後楽園)、夜はサンケイ(神宮)と、フランチャイズ制が確立した1952年以降では唯一、同一日に対戦カード・会場を変えて変則ダブルヘッダーを実施。
    1971年10月11日には川崎球場でいづれも中日がビジターでホームチームが異なる変則ダブルヘッダーをした。第1戦が川崎が本来のホームタウンである大洋ホエールズと、第2戦はヤクルトアトムズとの対戦。ヤクルトは大学野球との絡みで明治神宮野球場が使えない日もあり、横浜平和球場等とともに別会場で消化試合を振り替えたことがこの当時多かった
    更に1973年10月13日日拓vs太平洋(後楽園)の試合は第1試合が本来の日拓の主催で、第2試合は太平洋の主催でダブルヘッダーを行った。いずれもシーズン終盤の日程調整の関係でこのような変則的な日程となった。
  • 2006年8月18日にボストンフェンウェイパークのニューヨーク・ヤンキース対ボストン・レッドソックスのダブルヘッダーが行われたことにより同年8月21日まで同一カード5連戦となる。

その他

関連項目