小湊鉄道
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 | 千葉県市原市五井中央東1丁目1番2号 |
設立 | 大正6年5月19日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 8040001053928 |
事業内容 | 鉄道・自動車による一般運輸業、土地建物の売買・賃貸業、旅行業、損害保険代理業 |
代表者 | 代表取締役社長 石井才治郎 |
資本金 | 2億0250万円(発行済み株 405万株) |
従業員数 | 536人 |
主要株主 |
九十九里鉄道株式会社 2,020,950株(49.9%) 京成電鉄株式会社 1,215,000株(30.0%) |
主要子会社 |
株式会社長南カントリークラブ 小湊タクシー株式会社 |
外部リンク | http://www1.odn.ne.jp/kominatotetsudou/ |
小湊鐵道株式会社(こみなとてつどうかぶしきがいしゃ)は、千葉県に路線を有する鉄道会社・バス会社である。本社は千葉県市原市五井中央東1丁目1番2号に所在する。
鉄道事業のほかに路線バス、観光バス事業も展開している。これは太平洋戦争下で行われた陸運統制令に伴う戦時統合により、房総半島木更津~勝浦以北のバス会社を袖ヶ浦自動車が統合し、さらに小湊が同社を合併したことによる。
京成電鉄の関連会社であり、京成グループに名を連ねているが、事実上独立し、小湊グループを形成している。同社は元々安田財閥に所属し、京成とは無関係であったが、戦時中の当局の勧奨により株式の大半が京成電鉄に買収され、京成電鉄の系列会社となったものである。しかし、1970年代に京成電鉄は経営危機に陥り、資産整理のため持株が放出された結果、小湊鉄道と九十九里鉄道が互いに株式を持ち合う形態になり、京成電鉄の出資割合は大幅に下がっている。
国土交通省への届出上は「小湊鉄道」となっているが、実際には「小湊鐵道」の表記の方がよく使われている。
鉄道事業
鉄道路線として、JR東日本内房線と接続する千葉県市原市の五井駅より、いすみ鉄道いすみ線に接続する夷隅郡大多喜町の上総中野駅まで39.1kmの小湊鉄道線を有する。
「小湊鉄道」という社名になったのは、当初は誕生寺への参拝客輸送を目的に安房郡天津小湊町(現・鴨川市)を目指して着工されたことからだが、資金不足、当時の土木建築技術の限界や、終着駅の上総中野駅に国鉄木原線(現・いすみ鉄道いすみ線)が接続したことから、同駅より先の建設は行われなかった。だが、天津小湊(安房小湊駅)方面へDMVを走らせる計画がある。
ほかに海士有木(あまありき)駅~千葉中央駅間の免許も持っていたが、こちらは千葉急行電鉄に譲渡された。その一部が現在の京成千原線である。
路線
路線についての詳細は以下の項目を参照のこと。
車両
車両はキハ200形14両(キハ201~キハ214)が使用されており、キハ209・210を除く12両が冷房車である。なお、全車ロングシートであり、トイレはない。ワンマン運転は行われておらず、車掌が乗務する。以前はキハ5800形が1両在籍していたが、1997年に除籍された。現在も五井機関区内に留置されている。
ほかに、車両の扱いではないがオートバイを改造した軌道自転車があり、保線作業に使用されている。運転操作方法はバイクと同じで、エンジンを使って走行する。
運賃
大人普通旅客運賃は以下の通り(2006年5月1日現在、小児半額・10円未満切り上げ)。
キロ程 (km) |
運賃 (円) |
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初乗り1~3 | 140 |
4 | 160 |
5 | 200 |
6 | 240 |
7 | 280 |
8 | 320 |
9 | 360 |
10 | 400 |
11 | 440 |
12 | 480 |
13 | 520 |
14 | 560 |
15 | 600 |
キロ程 (km) |
運賃 (円) |
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16 | 640 |
17 | 680 |
18 | 710 |
19 | 740 |
20 | 770 |
21 | 800 |
22 | 830 |
23 | 860 |
24 | 890 |
25 | 920 |
26 | 950 |
27 | 980 |
28 | 1,010 |
キロ程 (km) |
運賃 (円) |
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29 | 1,040 |
30 | 1,070 |
31 | 1,100 |
32 | 1,130 |
33 | 1,160 |
34 | 1,190 |
35 | 1,220 |
36 | 1,250 |
37 | 1,280 |
38 | 1,310 |
39 | 1,340 |
40 | 1,370 |
バス事業
小湊鉄道では、鉄道事業のほか、乗合と貸切の両バス事業を計250両強の車両によって営んでいる。乗合バスの営業エリアは房総半島中央部の内房線・外房線・小湊鉄道線沿線の広範囲に及ぶ。同社はバス共通カードには対応しておらず、PASMOへの加入予定もない。
沿革
小湊鉄道のバス事業は、1947年7月1日に傘下にあった袖ヶ浦自動車株式会社を合併したことにより始まる。同社は1927年に現在の市原市周辺の有志によって合資会社として設立された。当初は大多喜街道周辺のみで営業していた小さな事業者であったが、1933年に小湊鉄道が経営権を得てからは、潤間四郎八より千葉~木更津、千葉~長南などの路線を継承するなど、内房地域で路線網を拡張し、その後株式会社化を経て、戦時下の事業統合により1944年に外房地域の多数の事業者を合併、房総半島の中央部を東西に横断する広大な事業エリアを確立した。
小湊鉄道による合併後は、戦前からの路線をベースにした地域間の路線網強化を図るとともに、昭和30年代から急速に発展した東京湾岸の工業地域に向かう路線や、千葉市・市原市の住宅団地へ向けた路線を多数開設した。京成千葉駅(現在の千葉中央駅)を起点とする中・長距離路線も拡充され、一時は房総街道や産業道路、茂原街道、大多喜街道など千葉市と房総を結ぶ主要道路上を、特急・急行・快速など複数の種別を持つ小湊バスが行き交っていた。しかし、競合する内房線・外房線の本数増加や、マイカーの普及、渋滞の悪化、さらには沿線市町村の過疎化など複数の要因が重なって利用者が減少し、こうした路線は昭和の終わり頃までには概ね姿を消した。また、過疎化の進展はほかの路線にも影響を及ぼし、1980年代から1990年代に掛けて外房地域を中心に大幅な路線の整理が行われている。1990年代末には大多喜と茂原の2つの営業所が廃止され、この地域の営業所は同時に車庫から昇格した長南営業所に集約された。
その一方で、同じ頃千葉市や市原市、大網白里町などではニュータウンの造成が相次ぎ、短距離の住宅輸送路線が新設・強化されていった。また、1990年代末以降は東京湾アクアライン経由路線をはじめとする特急・高速路線の動きが活発になっており、長距離路線や夜行バスの運行はないものの、自社企画旅行ブランド「赤とんぼツアー」などにも支えられ、乗務員の一部契約社員化の効果もあり、他社と比較すると業績は良好と見られている。
営業所及び営業路線
乗合バスの営業所は、内房地域の路線を担当する塩田営業所(千葉市中央区)と、外房地域を担当する長南営業所(長南町)の2ヶ所がある。主な車庫として、塩田営業所の管轄下に姉崎・木更津の2車庫、長南営業所の管轄下に白子・茂原・大多喜・勝浦の4車庫を有する。一般乗合路線は、住宅輸送路線から工業地域の通勤路線、山間地域の生活路線、海岸沿いや渓谷を走る観光路線まで様々である。高速路線はすべて東京湾アクアラインを経由して東京や神奈川に至るもので、以下の路線を運行している。
- 羽田空港~市原駐車場・五井駅・東金駅(京浜急行バスと共同運行)
- 羽田空港~木更津金田バスターミナル・袖ヶ浦バスターミナル・木更津駅東口(京浜急行バス・日東交通・東京空港交通と共同運行)
- 横浜駅東口~五井駅東口(京浜急行バスと共同運行)
- 横浜駅東口・羽田空港~上総牛久駅・笠森・茂原駅(同上)
- 羽田空港~蘇我駅東口(同上)
- 横浜駅東口~袖ヶ浦バスターミナル・木更津駅東口(京浜急行バス・日東交通と共同運行)
- 川崎駅・浮島バスターミナル~海ほたる~袖ヶ浦バスターミナル・木更津駅東口(京浜急行バス・川崎鶴見臨港バス・日東交通・東京ベイサービスと共同運行 かつては川崎市交通局とも共同運行していた)
- ホテルパシフィック東京・品川駅前・品川駅東口~袖ヶ浦バスターミナル・木更津駅東口(京浜急行バス・日東交通と共同運行)
- 品川駅前は降車のみ、ホテルパシフィック東京は一部便のみ停車
車両
いすゞ自動車製、日産ディーゼル製、三菱ふそうトラック・バス製、日野自動車製の国産4メーカーのシャーシを導入している。1984年~1997年頃にかけて、各社とも富士重工業製の車体を架装した車輌を導入した(中型車など一部を除く)ことが特筆される。
その他
- 京成電鉄における持分法適用関連会社に名を連ねてはいるが、事実上独立しているため、観光・高速バスのカラーリングもKanacカラーではない。小湊・九十九里系各社では京成グループの統一ロゴ「K▼SEI GROUP」も使用していない。また、観光バスツアーも「Kanacツアー」ではなく、独自の「赤とんぼツアー」を展開している。ちなみに、ツアーはほとんど新京成電鉄が協力している場合が多い。
- 東京から近いこともありテレビドラマなどのロケなどでよく使われ、その数は埼玉県の秩父鉄道と並んで多い。
- 鉄道の車掌は全員女性である。また、2007年に初の女性運転士が誕生した(公式ウェブサイトより)。