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遠藤遼一

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遠藤 遼一(えんどう りょういち、1967年12月6日 - )は、日本ミュージシャン

経歴

1986年に藤井麻輝森岡賢と、音楽グループ「SOFT BALLET(ソフトバレエ)」を結成。1989年にアルファレコードよりメジャー・デビュー。1995年7月23日の渋谷公会堂のライブ後に活動休止。2002年の活動再開から一年後の2003年ツアー「大団宴」をもって再度活動停止中。

1996年から「THE ENDS」としてソロデビュー後はアーティスト名を「ENDS」に変更。音楽活動以外にも、CMにてナレーションワーク、及び出演も行っている。

概要・人物

  • 学生時代に「クール君」とあだ名される[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。ほど、表面上は極めて冷静沈着。しかし実際は独自の哲学や理論を持ちつつ、活動的で雄弁な一面もある。SOFT BALLET時代はバンドのイメージも相まって寡黙で神秘的な印象が強かったが、解散後は一転してフランクな面を積極的に見せる。
  • 声質はバリトン。SOFT BALLET時代はオペラを意識させるような声の響きをきかせた歌い方が特徴。
  • 音楽的には60年代~70年代のロックを意識している一方、ダブラガマフィンなどを取り入れるなど多種多様。
    • 個人的な音楽の好みもヴェルヴェット・アンダーグラウンドニコといった60年代~70年代のものが中心[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。またホルガー・チューカイ(元CAN)のPersian Loveを気に入っており、ゲスト出演する度にリクエストしていた事があった[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。が、Persian Loveだけが好みに合うだけで、チューカイの他の曲は好みに合わないとも述べている。
  • かつて新宿に存在したディスコ「ツバキハウス」の常連。森岡賢とはここで知り合う[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
  • 2002年11月から2006年3月までウェブ上で連載していた「エンズの心」では、国際情勢や政治問題、これまで一切語らなかった自分の肉親のことを語るなど、多くの話題を提供した。

ディスコグラフィー(ENDS)

オリジナル・アルバム

  • 「THE ENDS」(1996年)
  • 「SPACY」(1997年)
  • 「HOWL」(1998年)
  • 「FIRE WORKS」(1999年)
  • 「ADVENTURE 48」(2000年)
  • 「MAGIC DAYS」(2001年)
  • 「THE COUNTER」(2004年)
  • 「FOUND」(2005年)

その他のアルバム

  • 「MAGIC YEARS-the rise from the ends- ends best selection」(2001年)-ベスト盤
  • 「HI-UNPLUGGED」(2004年)-ライヴ盤
  • 「Jubilee」(2006年)-セルフカバー盤

シングル

  • 「蜘蛛と星」(1996年)
  • 「自由なこころ」(1997年)
  • 「シャララ」(1997年)
  • 「愛のうた」(1998年)
  • 「トキメキ」(1998年)
  • 「炎天」(1999年)
  • 「WAY」(1999年)
  • 「すべてに等しく吹きつける風のように」(2000年)
  • 「SWEET DREAMS FOREVER」(2000年)
  • 「LIMITLESS」(2005年)

関連項目

外部リンク