香川真司
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名前 | ||||||
愛称 | シンジ | |||||
カタカナ | カガワ シンジ | |||||
ラテン文字 | KAGAWA Shinji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1989年3月17日(35歳) | |||||
出身地 | 兵庫県神戸市垂水区 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 63kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | セレッソ大阪 | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 8 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2006- | セレッソ大阪 | 113 (48) | ||||
代表歴2 | ||||||
2008- | 日本 | 13 (2) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2009年11月24日現在。 2. 2010年2月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
香川 真司(かがわ しんじ、1989年3月17日 - )は、兵庫県出身でセレッソ大阪所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。
来歴
小学校一年時にサッカーをはじめ、神戸NKサッカークラブを経てFCみやぎバルセロナジュニアユースに入団した。しばらくは祖母と二人で生活し、FCみやぎバルセロナユースへ昇格した後は新設されたクラブの寮に移っている[1]。 FCみやぎでは個人技の練習に時間が多く割かれており、試合において「パス禁止令」がでたこともあった。2006年セレッソ大阪に入団し、同時に宮城県黒川高校から大阪府ウィザス高校に転校している。高校卒業前の選手がプロ契約を結ぶのは、Jクラブのユース所属選手がトップチームに昇格した場合を除くと史上初だった。この年はクラブでの試合出場こそなかったが、U-17日本代表に選ばれ、サニックス杯国際ユースサッカー大会に数試合出場している。
J2で迎えた2007年シーズン中盤からは、レヴィー・クルピ新監督によって見出されてレギュラーを獲得し、リーグ戦35試合に出場した。また、カナダで開催されたFIFA U-20ワールドカップ日本代表にも飛び級で選出され、2試合に出場した。
2008年シーズンは、開幕からC大阪の主力として活躍し、本来の世代であるU-19代表のほか、U-23の北京五輪代表にも飛び級で選出。さらには平成生まれとしては初めてA代表にも選出され、10月4日の対UAE戦ではA代表初ゴールを挙げたが、その過密日程により、夏場以降徐々にパフォーマンスが低下した。代表日程を消化し、調子を取り戻した秋以降は、出場12試合で12得点を挙げる活躍を見せた。
2009年シーズンから背番号を森島寛晃が長年着けてきた「8」へ変更。第15節水戸戦でプロ入り初のハットトリックを達成。その後も4試合連続ゴールを記録するなど得点を重ねる。シーズン終盤は怪我の影響で主にスーパーサブとしての出場だったが最終的にリーグ戦27得点を挙げ、J2得点王に輝く。10月にはエールディヴィジのVVVフェンローから獲得のオファーがあったことが発表され[2]、シーズン終了後に当該チームの施設見学などをしたが、最終的には残留を決意し、C大阪と2010年シーズンの契約を結んだ。
2010年7月1日より、ドイツ・ブンデスリーガ一部のボルシア・ドルトムントに完全移籍する予定[3]。
評価・プレースタイル
- ポジションはMF。元々はボランチであったが、豊富な運動量や巧みなドリブルを生かし、2列目からの飛び出しなど積極的な攻撃参加を得意とする攻撃的MFとしてレギュラーを獲得している。ドリブル突破だけでなく、ワンツーやクロスオーバーなど味方の選手を利用した突破もでき、攻撃のレパートリーが豊富な選手である。
- 一方でヘディングは苦手なようで、岡田武史日本代表監督から居残り指導を受け、かつてチームメイトであった大久保嘉人も、「相当ヘタクソ」とコメントしている。(その後2008年10月19日のサガン鳥栖戦などで、ヘディングでの得点を決めている)また、U-19日本代表などでは左右のサイドバックとしてもプレーした経験がある。
- チームメイトである乾貴士とのコンビネーションは特筆すべきものがあり、解説者の野々村芳和は2009年のJリーグアフターゲームショー内で「(キャプテン翼の)翼くんと岬くんの様」と表現している。
所属クラブ
- 2001年 - 2003年 FCみやぎバルセロナジュニアユース
- 2004年 - 2005年 FCみやぎバルセロナユース
- 2006年 - 現 在 セレッソ大阪
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | C大阪 | 29 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2007 | C大阪 | 26 | J2 | 35 | 5 | - | 1 | 2 | 36 | 7 | |
2008 | C大阪 | 26 | J2 | 35 | 16 | - | 0 | 0 | 35 | 16 | |
2009 | C大阪 | 8 | J2 | 44 | 27 | - | 0 | 0 | 44 | 27 | |
2010 | C大阪 | 8 | J1 | 10 | 6 | ||||||
通算 | 日本 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
日本 | J2 | 114 | 48 | - | 1 | 2 | 115 | 50 | |||
総通算 | 114 | 48 | 0 | 0 | 1 | 2 | 115 | 50 |
経歴
- Jリーグ初出場 - 2007年4月7日 J2 第7節 対サガン鳥栖戦(長居第2陸上競技場)
- Jリーグ初得点 - 2007年5月23日 J2 第17節 対水戸ホーリーホック(笠松陸上競技場)
- A代表初出場 - 2008年5月24日 キリンカップサッカー2008 対コートジボワール戦(豊田スタジアム)
- A代表初得点 - 2008年10月9日 キリンチャレンジカップ 対UAE戦(東北電力ビッグスワンスタジアム)
代表歴
- 2005年
- U-18代表 AFCユース選手権2006予選 - 出場なし
- 2006年
- U-19代表 AFCユース選手権2006 - 2試合0ゴール
- 2007年
- U-20代表 FIFA U-20ワールドカップ2007 - 2試合0ゴール
- 2008年
- 北京五輪日本代表 北京五輪・サッカー - 3試合0ゴール
試合数
- 国際Aマッチ 13試合 2得点(2008年 - )
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2008 | 6 | 1 |
2009 | 4 | 1 |
通算 | 13 | 2 |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
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1. | 2008年10月9日 | 日本、新潟 | アラブ首長国連邦 | △1-1 | キリンチャレンジカップ |
2. | 2009年2月4日 | 日本、東京 | フィンランド | ○5-1 | キリンチャレンジカップ |
エピソード
- 巨人ファンであるとともに、野球通で知られる。好きな選手はダルビッシュ有や、松井秀喜など。大阪ドームの清原和博の引退試合も観戦している。
- 長澤まさみのファン。長澤まさみにTV番組で会えるくらいにサッカー選手として大きくなりたいとコメントしていた。