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京阪2200系電車

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京阪2200系電車
新塗装の京阪2200系(土居駅)
基本情報
製造所 汽車製造川崎車輛/川崎重工業
主要諸元
編成 7両
軌間 1435
電気方式 直流600V架線給電(昇圧前)
直流1500V架線給電(昇圧後)
最高運転速度 110
設計最高速度 120
起動加速度 2.5
減速度(常用) 4.0
最大寸法
(長・幅・高)
18,700 × 2,720 × 4,185 (mm)
主電動機出力 130kw(昇圧前)
155kW(昇圧後)
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動
歯車比 5.60
制御装置 抵抗制御方式(竣工時)
界磁添加励磁制御方式(更新後)
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(竣工時)
発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ、回生ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ(更新後)
保安装置 京阪形ATS
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京阪2200系電車(けいはん2200けいでんしゃ)は、1964年昭和39年)に登場した京阪電気鉄道通勤形電車

概要

車内

本系列は、京阪本線天満橋 - 淀屋橋間の延伸を含む高度経済成長期の乗客増加に対応するために1964年(昭和39年)から新造された車両である。2000系では全車電動車によって編成が組まれていたが、本系列では当初から付随車を組み込んでいる。また1981年より大阪方に2600系が組み込まれている編成が1本存在している(当時存在していた短編成1本を7両化するため)。このため加速度は2.5km/h/sに、減速度は4.0km/h/sとしている(以後、8000系0番台までの京阪線の新造車はこの加速度を標準としていた)。

本線・鴨東線中之島線の、主に普通・区間急行・準急・急行で運用されている。

京阪線系列全線で運用に就いているが(交野宇治両線には回数は少なかったものの、運用開始当初より1981年まで短編成が入線していたこともあった)、1968年まで行われていた近鉄京都線への乗り入れには1650形や2000系と同様に充当されたことがない(これらの形式は車両限界の相違から直通運転可能車両の対象外であった為)。

歴史

600V時代

京阪2200系電車(冷房改造後・改修工事前)

1960年代の京阪では普通や区間急行用として製造された高加減速車2000系が大量に投入されていたが、急行や準急は依然として元特急用車両(1700系1800系)をはじめとした2扉車が多く運用されていた。乗降の少ない運用に長編成化した2扉車を回したり、大型化更新と称して戦前製の車両を3扉の通勤形車体に更新する(600系)ことで混雑や遅延を防ごうとしてきたものの、沿線人口の急激な増大でそれも限界に達しつつあった。そこで、3扉を有し急行や準急に使うことのできる走行性能を有し、かつ経済性にも優れた車両を新造することとなった。

車体は基本的に2000系2次車をベースとしているが、正面にスカートを設置されている点、制御電動車のパンタグラフが連結面寄りに設置されている点、貫通幌が幌吊りを内蔵した成田式リコ型に変更されている点、などの相違がある。制御装置「ACDF-H4155-576A」は発電ブレーキ付きの抵抗制御であったが、制御段数を多く取り、空転対応機能を備えている。付随車を組み込む前提のため、モーター出力は130kwとなっている。歯車比は5.60とした。ブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(HSC-D)を装備している。

台車は、電動車には2000系で採用されたエコノミカル式を発展させた汽車製造製のKS-73系、付随車には住友金属工業が開発した側梁緩衝ゴム式のFS-337系が使用された。製造は全車川崎車輌(現・川崎重工業)で、本系列以降の京阪の新系列車はすべて川崎製となった。

本系列は、当初の計画通り急行準急を中心として運用された。登場時は2、4、6両編成であった[1]が、急増する利用客に対処するため7両編成への組み替えが行われ、一部の先頭車両の運転台が簡易撤去された。この時、一部に貫通7両編成が新たに出た[2]。また1972年には余剰となった制御車3両が運転台を簡易撤去して2000系に編入され、後に2600系に車体流用[3]された。そのうちの1両であった2253→2158→2922号車が2002年に廃車解体されている。

架線電圧の1500Vへの昇圧が決定し、その対策と冷房改造を一度に行うこととなり、1974年 - 1976年にかけて工事が行われた。この工事では冷房装置を除いて外見にはほとんど手を加えていないが、屋根上にはクーラーが載るため、コンパクトな下枠交差形パンタグラフ「PT-4805A」に変更され、床下機器では補助電源装置がクーラー用電源としても必要なために大容量のMG「TDK-3750A(140KVA)」に交換された。前照灯は白熱灯のケースにシールドビームを入れる形で交換されている。

改修工事と京阪初の8両編成化

京阪2200系電車(前期更新車)
(新塗装)
京阪2200系電車(後期更新車)
(旧塗装)

1500V昇圧の翌年の1984年(昭和59年)11月出場の2222Fを手始めに改修工事が開始された。この工事では車体にも大きく手が加えられ、正面の貫通扉を外開きの非常口に変更した上で列車種別・行先表示器が設けられ、また6000系で初採用された停車駅にてドアが開く際の自動案内放送装置および戸閉予告ブザーが設置された。また改修4本目となる2224Fからは先頭の窓枠が黒Hゴム支持から銀枠支持に、尾灯・標識灯のデザインが3000系以降と同じものになっている。さらに一部先頭車の中間車化も行われている(丸妻とやや幅の狭い窓にその痕跡をとどめる)。

1987年4月以降の改修車(5編成)では、制御装置がACRF-8155-576に交換され、回生ブレーキ付きの界磁添加励磁制御となり、以後の京阪の更新工事対象車両にも施されることになる。

一方では、1500V昇圧により長年通勤輸送の足枷となっていた最長7両編成という制約から解放され、1985年から淀屋橋 - 樟葉間で8両編成の列車を運転するにあたって新たに本系列の7両編成に増結するための付随車(2380形)が新造された。2380形は2600系(30番台)の付随車をベースにしている。

当時の最新鋭車であった6000系ではなく本系列を8両化したのは、当時8両運転が朝夕ラッシュ時限定だった事に加えて、京都寄りの七条 - 三条間の地下化工事が進行中で、その完成に合わせて本線全線で8両編成を運行する予定になっていたためである。この工事が終わっていない時点で6000系を8両化すると樟葉以北で当時の最新型車両を運行できないこととなり、それを回避するためであった。

定期特急運用

運行開始当時より1971年までは臨時特急で使用されたりもしていたが(その後も1971年以降の予備特急車であった1900系に6・7両編成が少なく、かつ非冷房車だった1980年代前半まで、冷房が必要な夏季を中心に数度あった)、2000年7月1日のダイヤ改正より8両編成については片道1本あったロングシート車両使用の特急(2000年改正で新規に設定されたもの)で運用されていたこともある。本系列の定期特急充当はこれが初であった。ただし、他の一般車8両と共通運用であったため、必ずしも本系列が運用されるとは限らなかった。なお、本系列は2002年8月に特急運用を終了している。これは本系列が同年10月より設定された女性専用車両の指定をされなかったためである。

それ以降

2003年9月のダイヤ改正で8両編成の運用が減少して7両編成の運用が増加したため、8両編成の車両が7両編成に再び戻された。ただ、検査などで車両不足が生じた際には一時的に1両を挿入して8両編成に組み替えられ特別編成で運用に就くことがあった。この中間車は車両番号2351号車が指定されていた[4]しかし、2351は2009年11月に廃車となった為、現在2200系が特別編成になることはない。なお、この特別編成はK特急運用には入っていなかった。

特別編成による特急運用は2003年12月の2218-2264(中間に2351)と2005年7・8月に2226編成(こちらも中間に2351)の合計3回の特急運用の実績がある。いずれも代走で走行したものである。

その他

前面扉が交換された2270号車(旧塗装)
  • 1969年11月21日から1970年11月14日にかけて、2358号車にKS75アルミ合金台車を取り付けて使用試験がおこなわれた。なお、この台車は試験終了後、劣化状態や負荷データ取りのために切りきざまれて現存しない。
  • 冷房改造工事で下枠交差式と交換されて取り外されたパンタグラフは一部が京福電気鉄道に譲渡され、1978年10月に叡山本線・鞍馬線(現・叡山電鉄叡山本線鞍馬線)の集電装置をポールから変更するのに使用された。その一部は現在も現役で使用されている。また冷房対応の大型のものに取替られて余剰となった一部の電動発電機(MG)も同社に譲渡され、デナ500形デオ600形への改造等に使用されている。
  • 大阪市鶴見緑地で開催された「EXPO90国際花と緑の博覧会」のPRで1989年4月20日から1990年9月13日まで、2217F(2217-2307-2375+2357-2338-2322-2263)が、白を基調に緑色のライン、博覧会のマスコットキャラクター「花ずきんちゃん」のデカールを貼り『みどり号』として運用された。
  • 2270号車は、森小路駅での人身事故で前面を破損した際、すでに貫通扉は更新後に同一規格となった2400系のものに在庫が統一化されていたために、同系列とほぼ同様の前面となっている。
  • 2216号車は、2007年3月に西三荘駅での人身事故により貫通扉が破損し、復旧の際に廃車となっていた1900系から取り外した扉を再利用した(外観ではわかりにくいが、運転台側からでは化粧板の色の相違でわかる)。
  • 一時期、8連で組成されていた回生ブレーキ組4本と、7連で組成されていた発電ブレーキ組4本との間で2382 - 2385号車を入れ替えることにより編成替えを行っていたことがあるが、これは回生ブレーキ組の普通列車使用により省エネ効果のさらなる向上を図るためのものであった(逆に発電ブレーキ組を8連化、その後運用見直しにより2200系はすべて7連化された)。
  • 2226Fは唯一、編成内に運転台撤去跡を有する中間車が存在しない。

新塗装化

  • 2008年6月4日 - 2216Fが幕を交換するとともに車両番号表記がプレート式からインレタ式に交換された(のちに2211Fもインレタ化されている)。
  • 2008年7月9日 - 本系列の2221Fが新塗装に変更され、通勤車の新塗装は7200系7201Fに続く2本目となった。7月24日には2225F(初期更新車)が、9月15日に2226Fが、12月1日に2209Fも新塗装に変更された[5]
  • 2010年3月現在、2210F・2217F・2222F・2224Fも新塗装化されている[5]

本系列を含めた京阪線車両は、2013年5月までに新塗装への変更を完了した[6]

廃車

本系列は登場からすでに約50年が経過し、京阪の車両の一般的な寿命(40 - 50年前後)に達している。また、初期に更新工事を受けた編成は1900系全廃後は京阪で唯一の抵抗制御車両である。最後に更新工事を受けた車両でも20年以上経過するため、2600系0番台ともども新型車両(2008年投入の3000系(2代)、2012年投入の13000系)への置き換えが開始されている。

それに先立ち、8両編成から7両編成へ減車によって休車状態だった2359・2361・2362・2364の4両が2007年12月31日付けで同系列初の廃車となり(先述の旧2000系→2600系0番台編入車を除く)、解体が翌2008年3月に開始された。

  • 2009年9月12日のダイヤ改正後、2629号車と混結していた2218Fが運用から外れ、11月30日に2003年9月改正以降、2200系の突発的な8連化の際に組み込む保留車(社内では「半端車」と呼ばれていた)2351と共に廃車となった[7]
  • 2219F・2223Fの2編成が2011年6月30日付けで廃車、新塗装化した2222Fも同年8月31日付けで廃車になった。なお2381・2383号車は休車とされている[8]
  • 2013年3月には2207Fが運用離脱し、同年5月に廃車となった。なお2382号車は休車となっている。
  • 2015年4月には、2224Fが廃車となった。

京阪公式ホームページの京阪2200系の在籍数は66両と表示されている[9]

脚注

  1. ^ ただし非冷房車時代は1両単位で頻繁に組替えされて運用されていたこともあった。
  2. ^ ただし7連貫通編成は深草車庫への出入りが禁止されていた。
  3. ^ 但し2000系時代の車籍は引き継がれないため、正確には「代替新造」となっている。
  4. ^ 現在の半端車は6000系6551と6552の2両(ただし6552は現在の所編成に組み込まれている)
  5. ^ a b 出典・「関西の鉄道」No59 105頁「京阪だより」
  6. ^ Kプレス2013年6月号(vol.171) - 「くらしの中の京阪6月号 vol.448」内「京阪線車両のカラーデザイン変更が完了しました」を参照。
  7. ^ 2009年9月発売の時刻表の巻末の京阪編成表・鉄道ファン2010年3月号P167に「2218Fは2009年12月に解体された」との記事あり。さらに「関西の鉄道」No58(関西鉄道研究会刊)14頁冒頭でもその旨を採り上げているほか、同誌15頁では先に記した編成の新塗装化についても採り上げている。
  8. ^ 出典・「関西の鉄道」No60 102頁「京阪だより」
  9. ^ 車両紹介2200系

関連項目