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松波正信

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松波 正信
名前
愛称 ミスター・ガンバ
カタカナ マツナミ マサノブ
ラテン文字 MATSUNAMI Masanobu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-11-21) 1974年11月21日(49歳)
出身地 岐阜県岐阜市
身長 180cm
体重 76kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース

1987-1989
1990-1992
加納西小学校
境川中学校
帝京高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-2005 ガンバ大阪 280 (45)
監督歴
2012
2014-
ガンバ大阪
ガイナーレ鳥取
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

松波 正信(まつなみ まさのぶ、1974年11月21日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションフォワード(FW)

来歴

選手時代

岐阜県岐阜市出身。帝京高等学校時代の2年生次で出場した第70回全国高校サッカー選手権では7得点を挙げ大会得点王に輝き、同校を優勝に導いた大型ストライカーとして注目を集めた。卒業後の1993年、開幕したばかりのJリーグの4クラブ(名古屋グランパスエイト鹿島アントラーズジェフユナイテッド市原)から正式オファーがあり、ガンバ大阪に入団。同年1stステージ5月16日Jリーグ開幕万博記念競技場での浦和レッズ戦ではベンチ入りやリザーブも逃したが6月9日、第11節サンフレッチェ広島戦で決めたJ初ゴールがJリーグ通算100ゴールとなった。以後、初年度から出場機会を掴みリーグ戦29試合出場7得点を記録した。ファルカン監督時代の1994年には、A代表にも選出されたが、怪我の為に辞退。結局以後の招集は無く、国際Aマッチへの出場はなかった。

1996年アトランタオリンピックでは予備登録メンバーとして選出されるも、出場機会はなかった。1997年にはエムボマと2トップを組み、多くのチャンスを演出し、自身も初のリーグ戦2桁ゴールを挙げた。

以後、成績面では期待通りの活躍とまでいかなかったものの、年を追うごとに主に試合終盤に投入されるスーパーサブとしてチーム内で強烈な存在感を見せ、“ミスター・ガンバ”[1] としてサポーターから親しまれた。

2005年11月、現役引退を表明[2]。12月、ガンバがクラブ初タイトルとなるリーグ優勝を達成し、13年間ガンバ一筋でプレーした現役生活を最高の形で締めくくった。

指導者時代

引退後の2006年からガンバ大阪ユースチームのコーチに就任し、2008年S級ライセンス取得講習に専念する島田貴裕に替わってユースチームの監督に昇格し、第16回Jユースカップではガンバ大阪ユースを6年ぶりの優勝に導いた。2009年はS級ライセンスを取得した島田がユース監督に復帰し、自身はコーチ職に戻った。この年、自身もS級ライセンスを取得。

2010年、ガンバ大阪トップチームのコーチに就任し、2年間西野朗の下でトップチームを指導した。

2012年3月26日、成績不振により解任されたジョゼ・カルロス・セホーンの後任として、クラブOB初・クラブ最年少でガンバ大阪監督に就任[3]。しかし、前監督からの悪い流れを断ち切れず、中盤以降はやや持ち直したものの最終節の磐田戦に敗れクラブ初のJ2降格となってしまった。シーズン終了後に監督を退任し、新設された初代ガンバサダーに就任[4]

2014年ガイナーレ鳥取の監督に就任[5]

人物・エピソード

  • プロ入りまで関西に縁がなかった松波がガンバ大阪を選んだ理由は、帝京高校の先輩で当時ガンバに在籍していた礒貝洋光を慕ってのことである。また当時の監督で元日本代表のストライカーだった釜本邦茂から「お前を日本一のFWに育ててやる」と口説かれたのが入団の決め手となった。
  • 1993年11月20日、2ndステージ第14節ジェフユナイテッド市原戦(市原緑地運動公園臨海競技場)で当時高卒ルーキーだった松波はハットトリックを達成した。18歳と364日でのハットトリック達成は、Jリーグのトップカテゴリ(一部制のJリーグ→J1)では現在も最年少記録である(J2では2012年10月21日東京ヴェルディ中島翔哉が18歳59日でハットトリックを達成している)。
  • 1997-1998年モデルのユニフォーム(スタンドカラーが特徴)になって以降、エリック・カントナよろしくユニフォームの襟を立てて着るのがトレードマークとなっていた[6]。ユニフォームの襟がなくなった2003年以降は特製の襟付きアンダーシャツを着用し、審判団に睨まれつつもそのスタイルを守り通した。
  • かつて自身のホームページ上に「俳句道場」というコーナーを持っており、ファンからの秀逸な俳句、川柳を掲載していた。最終回では、全投稿分をコメントつきで掲載した。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993 G大阪 - J 29 7 4 1 1 2 34 10
1994 21 4 0 0 4 0 25 4
1995 15 0 - 4 0 19 0
1996 20 5 12 3 4 2 36 10
1997 11 32 13 6 1 3 0 41 14
1998 25 1 2 0 0 0 27 1
1999 24 J1 23 5 4 0 0 0 27 5
2000 29 4 4 2 4 0 37 6
2001 26 1 4 4 3 1 33 6
2002 11 23 5 6 0 1 0 30 5
2003 17 0 4 1 2 1 23 2
2004 9 0 2 0 1 1 12 1
2005 11 0 5 2 2 1 18 3
通算 日本 J1 280 45 53 14 25 8 358 67
総通算 280 45 53 14 25 8 358 67

代表歴

  • U-14日本代表
  • U-15日本代表
  • U-18日本代表
  • U-21日本代表
  • U-22日本代表
  • U-23日本代表
  • アトランタオリンピック予備登録メンバー(1996年)
  • 日本代表(1994年)招集歴はあるが試合の出場はない 

指導歴

  • 2006年 - 2013年 ガンバ大阪
    • 2006年 - 2007年 ユース:コーチ
    • 2008年 ユース:監督
    • 2009年 ユース:コーチ
    • 2010年 - 2012年 トップチーム:コーチ
    • 2012年 トップチーム:監督
    • 2013年 アンバサダー(ガンバサダー)
  • 2014年 - ガイナーレ鳥取監督

監督成績

年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦 備考
順位 勝点 試合 ナビスコ杯 天皇杯 ACL
2012 G大阪 J1 17位 38 31 9 11 11 ベスト8 準優勝 グループリーグ 就任(4節)以降の成績
2014 鳥取 J3 4位 53 33 14 11 8 - 2回戦 -
総通算 - - 64 23 22 19 - - - -

タイトル

選手

ガンバ大阪

指導者

ガンバ大阪ユース

脚註

関連項目

外部リンク