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取引所

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アルゼンチンロサリオにある証券取引所

取引所(とりひきじょ)は、一般に商品証券の需要と供給を一定の場所に集約ことにより取引成立の機会を多くし、一物一価の価格形成が行われるようにする物的施設である。

機能

従来、取引所とは、会員がある決められた立会時間に証券や商品を取り引きするために設立した会員組織の法人を指していた。そして、原則として会員の自主運営に任され、日常業務に関する意思決定は理事などの取引所の役員が担当していた。しかし1990年代後半から証券市場の国際化によって国際的な市場間競争が激化し、国際的地位の確保と競争力強化を図るため、証券取引所では株式会社化・非会員組織化を柱とする組織の改革が次々と行われた。なお政府も市場の公正性を確保するなどの目的で取引所を監督している。

会員組織であろうと株式会社であろうと、取引所の基本的機能は、取引参加者に取り引きの場所を提供することである。その他にも、取引関係などの調査、統計資料の収集、価格情報の公表、取引の規約や基準の決定などを行う。取引所は、おもに会員権や取引資格の売却収入と、取引所の経費を賄うために会員や取引参加者から徴収される会費や取引参加者負担金で運営される。

取引所の活動は世界中ほぼ同一であるため、取引所の建物の構造もたいへんよく似ている。かつてはどの取引所にも会員(場内立会人)が取引を執行するピットやフロアとよばれる立会場、取引価格や出来高を表示する目につきやすい掲示板などがあった。しかし1990年代後半からは取引所のシステム化が急速に進行し、立会場は縮小または廃止される方向に流れた。

歴史

ロシアルイビンスクにある株式取引所

商取引の中心地にある中央集会所は、古代ギリシャ古代ローマの時代から国家や都市の経済生活にとって不可欠なものであった。そこには著名な商人たちが、特定の時間に規則的に集合した。中世では、定期的に開かれた市が取引のための公の会所となった。

近代的な取引所が最初に設立されたのは、13世紀イタリアフランドルの商業都市であった。オランダブルージュの名門ブルセ家に多数の商人が毎日集まり、取引を行うようになった。そのためブルセが、取引所を意味するドイツ語のdie Börseやフランス語のla bourseの語源となっている。しかし、このような商人集会所は今日の取引所とは大いに趣を異にしていた。

現在のような取引所が最初に設立されたのは、ブルージュの商権を継承したベルギーアントワープである。1531年に設立されたアントワープ取引所では、商品それ自体よりもその受領書、さらに、為替手形、預金証書、各種の公債などの証書が取り引きされていた。

16世紀には、このような取引所がヨーロッパの多くの商業都市に設立された。たとえば、リチャード・グレシャム1538年にアントワープ取引所を手本に同様な取引所をロンドンに建設するために尽力したが、失敗した。しかし、彼の意志はその子トーマス・グレシャムにひきつがれ、1566年ロンドンに取引所を設立した。この取引所は1571年に王立取引所と改称された。

1549年にはフランスのトゥールーズに取引所が開設された。そのほか、ハンブルクアムステルダムパリにも開設された。アメリカでは1791年に24人の事業主がニューヨーク証券取引所の前身である協会を設立した。1848年には、アメリカ初の公的な商品取引所としてシカゴ商品取引所が設立された。日本では1878年東京証券取引所の前身である東京株式取引所が開設された。

種類

一般に、政府によって取引が制限されない限り、取引自由の原則に基づき市場に集まった需要と供給が一致するときに取引が成立する。取引は現物取引先物取引の2つに分けられる。現物取引は商品の引き渡しを直ちに行うものである。一方、先物取引は予め定めた価格で将来の一定時点後に商品の引き渡しを行うものである。商品取引においては先物取引のほうがより重要であり、多くの場合、高度に発達した投機の手段としても利用される。

ヨーロッパ各国では取引所の設立と運営に政府が深く関与しており、大部分、ひとつの取引所で証券と商品の両方が取り引きされている。他方、アメリカとイギリスでは民間団体によって取引所が設立され、証券と商品はかならず別々の取引所で取り引きされている。日本は証券と商品は別々の取引所で取り引きされているのでアメリカとイギリスに近いが、取引所の運営には諸官庁が深く関与している。