コンテンツにスキップ

仙台市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Whiz (会話 | 投稿記録) による 2006年9月19日 (火) 11:21個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎スポーツ選手)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

せんだいし ウィキデータを編集
仙台市
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
市町村コード 04100-9
法人番号 8000020041009 ウィキデータを編集
面積 786.35km2
総人口 1,096,522[編集]
推計人口、2024年8月1日)
人口密度 1,394人/km2
隣接自治体

宮城県:
七ヶ浜町多賀城市利府町
富谷町大和町色麻町
名取市村田町川崎町
山形県:

尾花沢市東根市山形市
市の木 ケヤキ
市の花 ハギ
市の鳥
市の虫
カッコウ
スズムシ
仙台市役所
市長 郡和子
所在地 980-8671
宮城県仙台市青葉区国分町三丁目7番1号
外部リンク 仙台市
仙台市の位置
仙台市の位置
ウィキプロジェクト

仙台市(せんだいし)は、宮城県のほぼ中央に位置するで、同県の県庁所在地である。

概要

広瀬川青葉山などの自然が都心にあり、また緑が多い事から、「杜の都」の名で親しまれている。河岸段丘に形成された都市の典型で、都市計画ニューアーバニズムコンパクトシティの好例であるが近年では郊外に人口が拡散している。人口は約103万人で、昼間人口は約115万人に達する。

政令指定都市に指定されており、行政面や経済面では第三次産業の占める割合が高く、中央省庁や全国規模の企業の支部が集まっている事から「支店経済都市」となっている。

地理

地名の由来

地名の語源は諸説があり、国分氏が千代城と名付けたことが由来とも言われる。これは城の位置に千体仏があったためで、千体が転じて千代となった。その後、伊達政宗が「仙臺」と改名した。その他、アイヌ語の「セプナイ(広い川)」が「せんだい」になったのであり、広瀬川が仙台の名の由来という説もある。また仙台城のある川内地区を音読みで「せんだい」としたことが由来との説もある。

地形

仙台城趾から仙台市街を一望

仙台市は、東の境界を太平洋仙台湾)、北の境界を松島丘陵、西の境界を奥羽山脈、南の境界を名取川流域として、宮城県をほぼ帯状に横断する形状となっている。海岸から長町-利府線断層帯までが地質的には新しい沖積平野、その西が沖積平野より少し古い堆積岩類の台地であり、奥羽山脈の稜線近くは新生代に噴出した火山岩で出来ている。船形山、大東岳、神室岳などはいずれも50万年から150万年前に噴火した火山である。

広瀬川 評定河原橋

仙台市は奥羽山脈を挟んで山形県山形市と接している。都道府県庁所在地同士が隣接する例は、仙台市と山形市の他、京都市大津市福岡市佐賀市となっている(ただし、仙台市と山形市を直接結ぶ交通手段はJR仙山線面白山トンネルと未舗装の二口峠のみで、その他は両市以外を経由しなければならない)。また、仙台の北東には日本三景松島松島町)がある。

仙台駅と西口バスプール
定禅寺通りのけやき並木

地理的・地形的区分

仙台市の土地利用に影響してきた地理的・地形的構造はおおまかに東から沖積平野部・台地部・丘陵部・山地部の4区域に分けられる。

(参考)

沖積平野部

仙台湾に接する海岸線から活断層である長町-利府線(JRの貨物線とほぼ同等の位置)にいたる地域である。概ね標高20m以下の低平な平野となっており、後背湿地や浜堤列が存在している。土地利用としては住宅地・工業地域のほかに水田も多く、沖積平野であるため、軟弱地盤も多い。苦竹などに排水不良地域が残り、内水面氾濫が発生する場合もある。

台地部

七北田川や広瀬川の流域には、幅数キロにわたり河岸段丘が発達しており、この地域が台地部として分類される。標高は概ね20mから200m。仙台市役所などの都心部は、この台地部に当たる。段丘面が発達しているために、勾配はさほど多くないほか、段丘礫層下には第三紀の基盤岩もみられるなど地盤も安定している。七北田川や広瀬川では貫入蛇行も見られる。

丘陵部

河川間の稜線部には丘陵が発達している。各丘陵は、ゆるやなか傾斜地が多く平地がほとんどない。第三紀の未固結岩によって構成されており、高は概ね50mから500m。七北田川より北の丘陵は富谷丘陵、七北田川と広瀬川間の丘陵は七北田丘陵、広瀬川と名取川間の丘陵は青葉山丘陵、名取川より南は高館丘陵とも呼ばれる。各丘陵においては、大型住宅団地の開発が行われており、旗立団地など原形をとどめないほどに大規模な土木工事が行われた例もある。

山地部

仙台市の西端部には奥羽山脈があり、険しい山地となっている。ここが山地部と分類され、その東端は活断層である作並断層によって区切られている。高は概ね300m以上。作並断層より西において、火山活動および隆起運動が活発であったために、険しい山地となった。山地部の河川沿いには山形県との連絡道路や鉄道が走っている。

河川

河川は仙台市域を概ね東西方向に東に流れている。主な河川として七北田川動画7分広瀬川動画14分13分、名取川の3つの河川がある。広瀬川は名取川水系の河川であり、河口より4kmほど上流で合流している。

地形分類と土地利用

海岸線から長町-利府線まで

沖積平野で、ほぼ完全な平地となっており、松島丘陵より福島県境まで広がる広大な仙台平野となっている。東西軸の河川は直線的に太平洋に流れ込む。この長町-利府線を境として西側が高く、東側が低くなっている。そのため、構造線東側の斜面のふもとにあたるところは水利が良く、人が住み着いて古道が通っていたと考えられている。旧石器時代の富沢遺跡に始まり、数々の古墳郡山遺跡、陸奥国府の多賀城、陸奥国分寺、陸奥国分尼寺、若林城など、古くから仙台平野の主要な施設が設置されてきた。この沖積平野は、長町-利府線沿い以外は全体として水利が悪く開墾されなかったため、自然な状態の野原として「宮城野」という歌枕となった。江戸時代初期に灌漑が行き届いたため、広大な米作地となった。現在は土地利用規制によって開発が制限されているため、大半が米作地および仙台バイパス沿いの広大な流通団地として利用されており、住宅地や市街地指定されている所は比較的少ない。

長町-利府線から青葉山丘陵東側まで

北から南へ、東西軸沿いの平地(台地河岸段丘)と丘陵地が交替で存在し、仙台の中心部や市街地として利用されている。北から順に、

  • 富谷丘陵・松島丘陵:新興住宅地
  • 七北田川沿い平地・台地:副都心泉中央。旧奥州街道・七北田宿
  • 七北田丘陵(台原-北山の丘陵地):北山には仙台藩ゆかりの寺社が集中。その他は住宅地
  • 広瀬川左岸の河岸段丘:仙台市中心部。城下町・仙台。
  • 広瀬川
  • 広瀬川と名取川の間の平地:副都心・長町。旧奥州街道・長町宿
  • 名取川
  • 名取川の南側平地:旧奥州街道・中田宿、現・南仙台

と並んでいる。ただし、長町より南側は、実際は沖積平野で、前述の狭義の仙台平野に含まれ、七北田川沿い平野より北は、旧泉市(現泉区)や富谷町の一部となっており、やや様相が異なる。城下町・仙台が開かれた広瀬川の河岸段丘は水利が悪かったが、伊達政宗が、防御性を考えて青葉山に仙台城山城)を築いたため、隣接するこの地に城下町がつくられた。水利の悪さが後の「杜の都」を作り上げた。江戸時代のうちに四ツ谷用水が開削されて水利は改善され、以降、現在に至るまで仙台の中心部として機能している。その他の丘陵地や平地も市街地として利用され、仙台の主要部を構成している。この時代の城にしては珍しく平城でなく山城であり、市街地は海から離れたところに作られているのが特徴である。

青葉山丘陵

仙台城東北大学がある青葉山や、蕃山、太白山などが開発規制されているが、都心に近いため住宅地として利用されている。ただし、それぞれの山の頂上付近には、神社護国神社)・仏閣成田山・大年寺・仏舎利塔)・霊廟瑞鳳殿)等の宗教施設や、テレビ塔、電波塔が設置されている。この丘陵地は、政令市になる前の仙台市の西端を成していた。東西軸の河川は、これら山地・丘陵地の間を縫うように東西に流れて急峻な谷を形成しているため、丘陵地より西側(盆地群)と都心との連絡道路は、以前は川沿いの細い道路しかなかったが、青葉山トンネル(仙台西道路)や国道286号の拡幅などによって改善してきている。なお、この丘陵地群は、南へと断続的につながって、最終的に阿武隈山地に連なる。

青葉山丘陵西側から奥羽山脈の東端まで

大小さまざまな盆地群がいくつかある。盆地内は、河岸段丘が発達し、やや広い平地となっている。「昭和の大合併」の前は、盆地内が1つか2つの自治体として機能していた(北から根白石村大沢村広瀬村生出村秋保村)。それぞれいろいろな経緯を経て、最終的に仙台市と合併した。盆地と盆地の間の丘陵地は、高度経済成長期以後、住宅地として開発されたが、平地は国の農政の影響で農地指定のままだったため、街道沿いに集落があるのみだった。近年は、旧宮城町地域で平地が市街地・住宅地に指定が切り替わり、人口増加地区になっている。奥羽山脈との際近くには、温泉地、ウイスキーの蒸留所、山岳宗教の寺院などがある。

気候

仙台は太平洋に開けた平野部に位置するため、海洋性気候太平洋側気候)の傾向を持つ。そのため、冬は東北地方としては温暖で、冬日は比較的多いが、真冬日は少ない。降雪量は少なく、積雪が一週間以上残存することは少ない。夏は太平洋からの海風の影響で気温はあまり上昇せず、夏日にはなるが真夏日熱帯夜が少ない。ただし、梅雨から夏の時期や秋分前後に北東から冷たい海風が入り込み、曇りがちになって大きく冷え込むことがある。このため、北海道の札幌よりも気温が低いことがしばしばある。平年値は、年間平均気温:12.1度C、降水量:1241.8mm、日照時間:1842.6時間。

仙台は、一般的には東日本として区分されるが、気象予報上では北日本として区分されている。しかし、降雪量は少なく、気温もさほど低くはならない。東北地方の太平洋側南部に位置する仙台平野、並びに福島県中通り浜通りは、国土交通省からも「豪雪地帯」の指定を受けていない(→ 豪雪地帯特別措置法による「豪雪地帯」、及び、「特別豪雪地帯」の指定地域)。

  • 主な都市の降雪量・積雪量(平年値)
都市 降雪量累計 最深積雪 1月気温
札幌 630 cm 101 cm -4.1℃
青森 774 cm 114 cm -1.4℃
秋田 409 cm 41 cm -0.1℃
山形 491 cm 50 cm -0.5℃
盛岡 351 cm 36 cm -2.1℃
仙台 90 cm 17 cm 1.5℃
石巻 56 cm 17 cm 0.5℃
福島 235 cm 26 cm 1.4℃
いわき 14 cm 6 cm 3.6℃
NYC 57 cm - -0.6℃
都市 降雪量累計 最深積雪 1月気温
軽井沢 136 cm 32 cm -3.6℃
新潟 255 cm 39 cm 2.6℃
富山 433 cm 69 cm 2.5℃
金沢 360 cm 53 cm 3.7℃
彦根 131 cm 29 cm 3.6℃
岐阜 52 cm 16 cm 4.3℃
鳥取 263 cm 49 cm 3.9℃
松江 111 cm 24 cm 4.2℃
東京 13 cm 7 cm 5.8℃
シカゴ 97 cm - -5.6℃


降雪量累計気象庁の統計データでいう「降雪の深さ合計」のこと。日ごとの降雪量を、シーズン全体で合計した量(平年値)
最深積雪:一度に降る最も多い積雪量(平年値)
1月気温:1月の平均気温(平年値)
(参考):参考としてニューヨーク市(=NYC)とシカゴ市の値も付加。アメリカ合衆国の統計値はNational Weather Serviceによる。

以上、平年値の表からも判るように、仙台は、降雪量・積雪量が少ない。これは、奥羽山脈が「壁」の役割を果たし、太平洋側にある仙台には基本的には雪が降らず、晴れてからっ風が吹くためである。

また、仙台平野が太平洋に開けており、海洋性気候になっていることも影響している。仙台も東京などと同様の夏に降水量が多い「夏雨冬晴れ型」である(札幌や金沢など日本海側は、冬に降水量が多い「夏晴れ冬雪型」)。このため、冬季は晴天が多くなって、昼間は気温が上がり、夜間は放射冷却により気温が急激に下がる。昼間の最高気温が0℃を下回る真冬日の平均日数は約2日と少なく、一方、夜間の最低気温が0℃を下回る冬日の平均日数は約80日と多い。

初雪は11下旬~12月上旬頃に観測されることが多く、積雪を伴う降雪は12月下旬以降となる。「ホワイトクリスマス」 になる確率(雪が降る確率。積雪のあるなしは問わない)は、過去30年で42%。

冬季の降雪には2つのパターンがある。1つは「西高東低」の気圧配置による降雪パターン(冬の降雪パターン)である。奥羽山脈の標高が、仙台付近では2000m以下と低いため、その「壁」としての役割は、関東地方における「壁」の役割をしている2000m以上の越後山脈などと比べて弱く、寒気団の南下や西風(ナライ)が強いなどの諸要因が重なると、その「壁」を越えて仙台に雪を降らせる。この場合、雪を降らせる諸要因の強弱により、「山側の泉区・青葉区・太白区は雪、海側の宮城野区・若林区は晴れ」という天気になることもしばしばで、雪雲の端では、晴れている空から雪が降る「お天気雪」が発生する。日の出の時間帯に「お天気雪」になると、降ってくる雪が朝日を反射して、赤や金色の雪が舞っているように見える。

もう一つは「南岸低気圧型」の降雪パターン(早春の降雪パターン)である。2月下旬頃になると、西高東低の気圧配置の出現回数が減り、それに代わって日本南岸付近を低気圧(いわゆる台湾坊主)が通過するようになる。関東の南岸を低気圧が通過するときにそこに向かって寒気が吹き込んだ場合、東京から仙台の東日本太平洋側に雪が降ることがある。

暖冬でもない限り、市西部の奥羽山脈には十分な積雪が見込め、仙台市街地から1時間程度で行けるスキー場には多くのスキーヤーやスノーボーダーが繰り出す。

冬季の道路の路面状況は、積雪無しのドライ状態が最も多い。降雪があった場合でもすぐ融けるかシャーベット状になるかで、圧雪状態になることはほとんどない。積雪があった場合でも、市が除雪を行うことにより、自動車交通への影響は少なくなっている。但し、1月中旬から2月中旬にかけての厳冬期には、道路脇に除雪された雪が昼間に融け、その融水が夜間の放射冷却によって凍り、道路がまだらにアイスバーンとなるという現象がしばしば発生するため注意が必要である。このような路面状況のため、かつてはスパイクタイヤによる粉塵公害がひどく、「仙台砂漠」との悪名をつけられていた。故に仙台市は、スパイクタイヤの使用禁止運動に際して最も早く着手した。

3月下旬頃まで降雪がみられることもあるが、4月に降る事はまれである。が咲くのは例年4月初~中旬頃であり、入学式や始業式、新歓コンパの時期とほぼ重なる。仙台の桜の名所は西公園や榴ヶ岡公園、三神峯公園などである。三神峯公園は桜の種類が異なるため、ソメイヨシノが散っていくころが桜の見ごろである。また、定禅寺通り青葉通りのケヤキ並木の新緑は5月中旬頃から見られる。

3月から梅雨の始まる6月上旬までの時期は、降水量が少なく、夏至に近いこともあり、1年で最も日照時間が長い。そのため、すがすがしく、最も過ごし易い時期である。

  • 月別日照時間(平年値。:仙台、東京
  1. 151.3時間
    180.5時間
  2. 151.9時間
    161.1時間
  3. 182.3時間
    159.2時間
  4. 190.9時間
    164.9時間
  5. 198.7時間
    180.9時間
  6. 127.9時間
    120.1時間
  7. 127.7時間
    147.5時間
  8. 155.4時間
    177.5時間
  9. 119.8時間
    112.9時間
  10. 151.8時間
    129.9時間
  11. 140.2時間
    141.4時間
  12. 144.7時間
    171.1時間

梅雨

仙台の梅雨は6月下旬から7月下旬にかけてである。オホーツク海気団の影響によって冷涼となることが多いため、蒸し暑くならず、不快ではない。ただし、全国的にみれば「毎日が梅雨寒」といえるような気候であるため、「仙台には1年に冬が2度来る」ともいわれている。

  • 梅雨の時期に、仙台市近郊の利府町にて2002 FIFAワールドカップ日韓大会が行われたが、その内、決勝トーナメント1回戦の日本対トルコの試合(を含め3試合)が、宮城スタジアムで行われた。サッカー解説者の多くが「気温も湿度も高い蒸れた日本の梅雨の気候は、蒸し暑さに慣れている日本代表にとって有利だ」と語っていたが、宮城県沿岸部の梅雨は例年通り涼しかったために、この地域における梅雨が日本代表に利することはなかった。
  • 5~7月頃、湿った暖かい南東風(イナサ)が冷たい親潮の上を通過する際に海霧を発生し、それが太平洋に開けた仙台平野の内陸まで入り込み、街全体がに包まれることがしばしばある。フルキャストスタジアム宮城でのナイターの試合では、この霧に照明の光が乱反射し、フライになったボールがよく見えないという問題が起きている。

平年値(30年平均 )は、夏日が64.6日、真夏日が16.7日となっているが、過去30年のデータでは、夏日が40~86日、真夏日が1~40日と、年によるばらつきが非常に大きい。これは、冷夏になった年が何度かあるためである。最近10年は冷夏が少なかったので、平年値(10年平均 )は、夏日が70.4日、真夏日が19.7日となっている。また、熱帯夜の平年値(10年平均)は0.4日であり、ここ10年間で8年間は熱帯夜が観測されておらず、熱帯夜が観測された年でも2日ほどであった。

冷夏の年には、寒流である親潮の上を渡って来る冷たい北東風「やませ」(コチ)の影響で気温が上昇しない日が続き、農作物に大打撃を与え、海のレジャーがほとんど出来なくなる。冷夏に周期性はなく、また冷夏の程度にもばらつきがあるが、分かり易さのため、海のレジャーの面から「真夏日の日数が年10日を切った年」で判断すると、1970年代、80年代は10年に3度と多かったが、それよりも前、あるいは90年代以降には、10年に1度程度となっている。近年で最もひどかった冷夏は1993年で、「1993年米騒動」が起こった。

仙台が日本の他の地域と違うのは、前述した通り「梅雨が涼しい」ということである。関東西日本の梅雨の時期は、雨が降っていても気温が上昇して夏日や真夏日と判定されることが多いが、仙台では梅雨の晴れ間であっても真夏日となることはまれであり、また、梅雨前の5~6月に夏日になることもあまりなく、上記の夏日の大半と真夏日のほぼ全ては梅雨明け後に観測される。このように、仙台の夏は、梅雨明け後に急に始まり、「固め打ち」になるという特色がある。

いずれにせよ、仙台の夏(真夏日)は梅雨明け後からお盆過ぎまでの約1ヶ月に集中していて期間が短く、のレジャーが好きな人にとっては物足りない気候である。しかし、不快な蒸し暑さや寝苦しさ等がなく、熱中症リスクも低いことから、その点では過ごし易い。

  • 仙台の海でのレジャーには注意が必要である。仙台は、太平洋に面しているため波が高く、とても危険である。そのため、消波ブロックが設置してある海岸以外では遊泳禁止になっている。しかし、「波が高い」 ことは、一方で仙台の海をサーフィンのメッカにしており、プロ・サーフィン・ツアーの開催地にも選ばれている(→仙台港)。市内にはサーフショップがいくつもあり、スポーツ用品店ではボディボードが当たり前のように売られている。仙台の海は、冬は親潮の影響から水温が低いが、夏~10月くらいまでは黒潮の影響で水温が高い。サーファーたちは、季節によってウェットスーツを使い分け、水温・気温の高低に関わらず、一年中サーフィンを楽しんでいる。
  • 紀伊半島沖あたりまで台風が来ると、うねり仙台湾にまで達するようになる。そのため、仙台では台風を微塵も感じさせない快晴の天気であっても、海では波が高くなって危険である。一方、このうねりは、規則正しく整った大きな波として仙台の海に到達するので、ビッグウェーブを乗りこなせる上級サーファーたちが大勢海に繰り出す。もちろん、台風が仙台を直撃しているときは、強風で波が崩れてしまうので、全くサーフィンに適さない波となり、仙台のサーファーたちが海に出ることはない。湘南のような元々波の小さい海では、映画「稲村ジェーン」 のごとく台風直撃時の波に乗る人たちもいるようだが、もともと波の大きい仙台ではあり得ない。
  • 七夕祭りが開かれる8月6日から8日のうち、一日は必ず雨が降るというジンクスがある。

仙台では、秋季の降雨量の方が梅雨の降雨量より多い。仙台周辺に接近する台風は、ほとんどが「雨台風」であり、「風台風」はまれである。また、芋煮会の開かれる季節である。市内のコンビニエンスストアの前に芋煮会用の薪が高く積まれている様子は、市民にとっては風物詩だが、他の地方の観光客には不思議な光景に見える。

紅葉前線の到来は、例年11月の中旬頃。仙台周辺の紅葉は、針葉樹の緑をバックにして、黄色と赤が入り混じる。

天気予報区分

宮城県における天気予報および注意報警報の細分区域が2003年に変更され、一次細分区域がこれまで「平野」、「山沿い」だったのが「東部」、「西部」に名称変更し、二次細分区域が、仙台市を含む区域においてはかつての宮城県南部を一括りにした「平野南部」「山沿い南部」からさらに細分化され、「東部仙台」「西部仙台」という区分になった。この「東部・西部仙台」という名称は、基本的に仙台の西側が西部で東側が東部と思われているが、正式には、「東部仙台」は宮城野区・若林区の全域と青葉区・太白区の東側(旧宮城町・旧秋保町以外)で、「西部仙台」は泉区の全域と、青葉区の旧宮城町、太白区の旧秋保町である。

人口

2005年7月1日現在の推計人口は、約102万7000人である。
(住民基本台帳人口:約100万3000人。外国人登録人口:約1万人)

  • 世帯数:444,514世帯(2005年8月1日)
  • 生活保護受給者数:約1万人(この10年で倍加。高齢者比率:40%以上)
  • ホームレス:約150人(2004年末の約250人をピークに減少傾向といわれていたが、また増え始めている。同規模の都市の中では少ない方であるが、調査時期が冬で、ちょうど降雪時に当たっていたため、実情を反映していない可能性もある。)
  • 厚生労働省
  • 夜回りネット

日本の近代化の波に乗り遅れた東北地方では、他の地方と比べて産業が乏しかったため、田中角栄政権以降、公共事業に大いに頼って来た。そのため、東北6県では県庁が肥大化して、県内最大の「企業」の地位にのし上がることとなり、その「企業城下町」である県庁所在地の都市化が進んだ。中でも宮城県は、他の県に比べて面積は小さく、自然障壁の少ない仙台平野に県民の大半が住んでいたため、仙台市に県の機能が集中し、爆発的に都市化と一極集中が進んだ。

仙台市は「支店経済」の都市といわれているが、近年の高度情報化、ネットワーク化、および、景気低迷の流れから、他都市に本社がある企業の仙台支店が縮小・営業所への格下げ・閉鎖の傾向が見られる。そのため、以前のような社会増(転入超過)傾向はなくなり、社会動態における転入・転出はほぼ同数となっている。そのため人口増加は自然増に依存しており、近年は数千人程度の増加で留まっている。また、仙台市に隣接する富谷町利府町名取市などの宅地開発が進んでおり、これも転出増の原因となっている。平成16年度は社会動態が減少(転出超過)に転じたため、少子化傾向とあいまって、数年後には人口減少が始まるとみられている(転出先のトップは東京都)。仙台市には大学や各種専門学校が集中しているので、全国的に見ても若年者の人口に占める割合は大きい。

産業立地と都市構造

町の中心は仙台市役所の南にある一番町商店街であり、市役所は仙台駅から1.5キロほど距離がある。仙台駅前も商業施設の集積地となっている。市役所と東北大学片平キャンパスの間を結ぶのが南北に走る一番町通りである。仙台駅と大橋や東北大学川内キャンパスを結ぶのが東西に走る青葉通である。これらが交わる交差点が青葉通一番町である。ここと広瀬通一番町が、仙台の繁華街の中でももっとも賑わっている場所である。

仙台市中心部以外では、仙台市営地下鉄泉中央駅や、長町南駅周辺に商業施設が立地し、人を集めている。またJR長町駅東側の貨物ヤード跡地が再開発されている最中である。ここに中国資本が進出し中華街を作る計画があるが、2005年に当選した仙台市長は対中強硬派であり、この計画に反対している。地下鉄南北線の利用者数は、当初予定の半分以下であり赤字だが、現市長は土建政治を重視する開発推進家であり、地下鉄東西線の建設を推進している。しかし世論調査の結果では市民の過半が東西線計画に反対している。

中心商業地

中央通り商店街(2006年7月

仙台の中心商業地には、2つの極が存在する。1つは 「一番町」(東一番丁通り)であり、もう1つは 「仙台駅西口一帯」 である。(→「仙台経済圏」、 一番町 (宮城県)中央通り (仙台市)国分町参照)

一番町」 は、歩行者天国化されたアーケード商店街である。沿道には地元商店や路面店型の専門店、デパートやファッションビルが立ち並ぶ。近年は、高級デパート藤崎がある一番町三丁目 のブロック(「ぶらんどーむ一番町」、「マーブルロードおおまち」、および「サンモール一番町」の一部)を中心にブランド街化が進んできている。一番町と広瀬通りの交差点付近には、東北地方各都市からの高速バスの停留所があり、県外の買い物客も訪れる。

ファイル:Loft .JPG
仙台駅前ロフト(2004年8月)

仙台駅西口一帯」 は、ペデストリアンデッキによって大規模店がつながっている。既存デパートが若年層向け品揃えに変化させたり、仙台ロフトやパルコ(2008年春開店予定)が進出したりと、どちらかというと若者向けの街になりつつある。E.Beansの裏手には仙台朝市があり、庶民の台所として賑わっている。

これら2つの極は、同様に歩行者天国化されたアーケード街である「中央通り」(マーブルロードおおまち・クリスロード・ハピナ名掛丁)によって繋がっており、買物客の回遊性・滞留性を作り出している。

歓楽街

仙台の歓楽街は国分町である。歓楽街としての国分町は、一番町の西側に平行して通る国分町通りを中心に、稲荷小路・虎屋横丁などその周辺に広がり、ほとんどの飲食店は、おおよそ、東端が東一番丁通り、南端が広瀬通り、西端が晩翠通り、北端が定禅寺通りに囲まれたブロック内に集中している(広瀬通りを挟んで南側の国分町通りはオフィス街)。国分町地区の中には、「東一センター」という横丁があり、戦後の雰囲気を残している地区がある。晩翠通りを挟んで西側にある立町(たちまち)には、(呼べば芸者も来る)高級料亭と、ホテルが立地する。もともと国分町がオフィス街であり現在でも日本銀行があるが、手狭になったビルから企業が青葉通りなどへ出て行った後に、飲食店や風俗店が入居した。南北に走る国分町通りは江戸時代はもともと奥州街道であり、街の中心街であった。

その他の飲食店集中地区として、仙台駅西口周辺があるが、ほとんどがビルの中などに散在して存在する形になっている。一方で、政岡通りやじゃんじゃん横丁など、戦後の雰囲気を残した飲食店が並ぶ道もある。仙台駅前の飲食店は、仙台駅を利用して郊外に帰る通勤客や仙台出張の新幹線客等に対応し、終電後に閉店してしまうものが多かった。しかし、近年、東北地方各地から仙台に遊びに来る買い物客・観光客等に対応し、踊る方のクラブが初めて駅前のビルの中に出来た。

近年は、泉区泉中央地区(泉中央駅西口)にも飲食店が立地するようになってきている。また、仙台駅東口の方でも、北目町ガードを抜けた先の榴岡一丁目・新寺一丁目辺りに飲食店等が集まり始めている。

横丁・屋台

市内には横丁や小路が存在し、それぞれ独特の雰囲気を醸し出している。東一センター(東一連鎖街)、 東一市場、壱弐参横丁(いろはよこちょう)、文化横丁、仙台銀座、じゃんじゃん横丁など、ビルの間に、戦後の雰囲気を残した飲み屋街がある。これらの横丁には、第二次世界大戦後から延々と続く店がある一方で、国分町などの飲食店ビル等に比べて開店資金が少なくても済むメリットから、若者が新たに出店するケースも見られ、開放的なオープンバータイプの店など注目の店も増えた。若者の横丁回帰現象に対応し、東一市場と文化横丁には、踊る方のクラブも存在する。

かつては仙台駅前の青葉通りを中心に470軒あったとされる屋台は、現在5軒を残すのみとなっている。市民グループを中心に、屋台の新規営業の許可を市当局にかけあっているが、見通しは立っていない。これは屋台がテキヤ系暴力団の収入源となり戦後の一時期に宮城県警が取り締まりを行ったためである。革新系市長の時期に風俗営業店も厳しく取り締まりを受け、その結果として風俗店は現在でも都市規模の割に少なく、その代わりの娯楽として夜の飲食店が多い。

学生街

仙台には、旧学生街と新学生街の2つがある。

東北大学文学部

旧学生街 は、東北大学片平キャンパスの北門前にある一番町南端周辺 (一番町一丁目、サンモール一番町柳町通りなど)である。かつては、映画館本屋古本屋・楽器屋・レコード店・大手スポーツ用品店・古着屋・定食屋・飲み屋等が集中して、一番町の藤崎以北とは違ったアカデミックかつ庶民的な学生街として栄えた。しかし、東北大学の教養部やサークル棟が片平から川内キャンパスに移り、南隣りにある東北学院大学教養部が土樋キャンパスからが泉キャンパスに移転して以降徐々に衰退した。反面、出店コストが下がったため、文化横丁や壱弐参横丁などに若者が新規出店するなど新たな動きも見られる(メイド喫茶まで出店した)。

一方、新学生街 の中心は東四番丁 およびクリスロード であり、本町の専門学校生や予備校生が主な客層である。

仙台には専門学校予備校の集中地区が本町仙台駅周辺とにある。仙台駅周辺の方は、東口側に複数の大手予備校と専門学校が集中立地し、西口側には主に南町通り以南に専門学校が立地している。いずれも動線が集約されていないので、東口東南部にやや集積はあるものの、学生街というべきものは形成されていない。そのかわり、仙台駅西口の若者向けのデパートなどがその代用となっている。

他方、本町は、かつては家具屋が多く立地して「家具の街」といわれていたが、家具屋がロードサイド店として郊外移転し、現在は、専門学校や予備校の集中地区に変貌した。この本町の学生集中地区と、地下鉄南北線広瀬通駅、中央通り(クリスロード)、東日本旅客鉄道仙石線あおば通駅を一直線に結ぶ東四番丁通りが、通学路として動線を集約し、新学生街を形成した。

これらの学校に通う学生たちは、ファッション・音楽・携帯電話・間食などに対するニーズが高いのだが、本町のブロック内にはDate FMライブハウスクラブ、DJ用のレコードショップ、セレクトショップ、メイド喫茶、そして、学生の憩いの場の錦町公園等があり、本町と中央通り商店街とを繋ぐ東四番丁通り・東三番丁通り等には、ファッション関連のブランドショップ(Paul SmithJean-Paul GAULTIER等)やセレクトショップ、そしてスイーツ専門店等が集中立地し、中央通り(クリスロード)沿いには、靴屋、CD専門店、携帯電話会社の直営ショップ、ファーストフード店、カフェ、歩きながら食べられるタイプのちょっとした食べ物を売る路面店などが立地するなど、以前の学生街とは違った種類の店を呼び寄せて、新しいタイプの「学生街」を形成している。東四番丁には、仙台で生まれた地元ファッション・ブランドの店もある。クリスロードと連続して仙台駅に到る名掛丁にも学生向けの店がある。

サブカルチャー地区

ライブハウスは一番町周辺に多い。踊る方のクラブは、ライブハウス兼業のものは一番町に多く、その他は国分町地区のビルの中や横道の地下、または上階に立地する。アメリカ人やイギリス人がオーナーや店員をやっているクラブもあり、外国人客もいる。萌え系ショップは仙台朝市周辺、旧十字屋裏、新学生街のクリスロードに散在し、メイド喫茶は、新学生街の本町、旧学生街のサンモール一番町、歓楽街の国分町にそれぞれ1店ずつの合計3店。特色のある雑貨屋やメインストリームではないレコードやCDを扱っている店は、旧学生街の横丁や柳町通り等にある。以上のように、仙台のサブカルチャー関連のものは散在し、東京のように集中立地してはいないが、新旧学生街地区にやや集っている。

仙台の学生たちが作り出す消費文化を背景とした仙台のファッション誌 "COLOR" が、仙台の出版社であるプレスアートから出版されている。

オフィス街

青葉通り

オフィス街は、片側4車線の東二番丁通り、及び、銀行の本支店が集中する青葉通りを中心にその周囲に広がっている。高層オフィスビルは、30階建級が3棟、20階建級が5棟程度立地する。仙台は、30年おきに発生すると言われる宮城県沖地震のため、あまりにも高層なビルは避難に不適当である。また、免震構造などを取り入れて50階以上のビルを建てるとコストが高く付き、仙台の経済力には合わない。

2006年時点においては、階層数では地上31階建てのAERが、高さでは148.05mのエナジースクエア(東北電力本店ビル)が市内で最も高い建物である。前者は無料の展望スペースがあるが、後者は民間企業の建物であるので通常は立ち入り出来ない。

オフィス事情を見ると、最近の不況や高度情報化で、他都市に本社がある会社の仙台支店は縮小傾向であり、仙台のオフィス需要も下がり気味である。そのため、市当局による仙台駅北部市街地再開発(花京院地区)における高層オフィスビル計画は、20階建級の商業・オフィス複合ビルと、30階建級のマンションおよびホテル複合型の商業ビルに計画変更された。

一方、民間では、都銀の合併で仙台市内の店舗の整理統合が進み、空いた方の土地で20階建級の高層オフィスビルを建てる例と、仙台駅前に隣接して20階建て級オフィスビルを建て、低層部分にパルコが入る計画がある。また、本町方面には地上28階・アンテナ部分を含めると市内で最も高いエナジースクエア(東北電力本店ビル)、NTT DoCoMo 東北本社ビルが建設されている。東二番丁通り沿いや仙台駅周辺に次々と供給されている大型空き地(東北学院中学・高等学校跡地、JR仙台病院跡地、JT跡地など)を県外資本が次々と高額で買収しており、オフィスビルやホテル、高層マンションなどの計画を打ち出している。仙台のオフィス需要が下がっているのに、県外資本が積極的な投資をしているのは、東京で盛んな不動産投資信託が、利幅が減った東京から地方に投資先を振り向けたという背景がある。

再開発において、市当局が民業圧迫でないかどうかを考えながら計画・着工している一方、民間は「勝ち組」を目指して再開発しており、再開発ビルや投資のスタイルに差が生じている(仙台駅西口北部再開発地区のAERから花京院地区には高層建築が密集している)

高層マンションの開発により、30階建以上が4棟存在し、20階建級は多数立地している。建設中・計画中のものは、30階建級が3棟程度、20階建級が数棟ある。楽天イーグルスが仙台駅東口のフルキャストスタジアム宮城に本拠を構えたことで、東口の地価が上昇に転じ、県内・県外双方のマンション建設投資が活発化してきている。

官庁街

勾当台公園の北側に宮城県庁(知事部局・議会・県警察本部)および、仙台市役所(本庁舎・議会)、青葉区役所、国の出先機関(東北経済産業局など)が入居する仙台第一・第二合同庁舎が位置し、官庁街となっている。片平丁には仙台高等裁判所・仙台地方裁判所・仙台家庭裁判所などがあり、その周囲には司法関連の行政施設や弁護士事務所等が位置する。春日町には仙台法務局があり、周辺は司法書士や不動産関連の資格者の事務所が集まる。一方、宮城野区側には仙台管区気象台などが置かれている。

住宅地

仙台市は、宮城野区や若林区の平野部の農地が、低湿地であったことと国の農政によって一部税金を投入した大規模圃場として整備され(後述)、都市化することが出来なかった。他方、泉区、青葉区、太白区の丘陵地帯は、山地のために安価、かつ、権利関係が簡素で、ディベロッパーが一括購入して住宅地造成することが容易であったため、都心の周囲の北部から南西部にかけての丘陵地に新興住宅地やニュータウンが造られた。現在も、仙台市東部の農地のみならず、仙台市周囲の仙台平野に位置する自治体にも農地の開発規制があるため、同様な宅地開発の中心は、仙台市に隣接する利府町富谷町(以上、仙台北部の松島丘陵)・名取市(仙台南西部の青葉山丘陵)などの丘陵地に移ってきている。

いわゆる高級住宅地は、都心に近接しながらも、建ぺい率容積率の規制が厳しく、高層マンション等をつくる事が出来ない上杉・片平・米ヶ袋・錦町・川内三十人町といった地域が該当する。これらの住宅地は、規制の厳しさによって日当たりが確保されているほか、都心への近さの割に閑静であることや、都心に近くて利便性が高いため人気がある。しかし、いずれも藩政時代から屋敷が集中しているため、市場への新規供給量が少なく、相場が上昇して公示価格は毎年上位に位置している。近年、これらの住宅地は、仙台市の都心部が拡大するにつれて、「住宅地」から「市街化地域」に用途が変更になって建ぺい率が緩和されるところが出てきたり、住宅地を貫く幅員の広い幹線道路が新たにつくられて建ぺい率が緩和されたりするなどして、高層マンションが建設される例が増えてきている。また、バブル崩壊後の地価下落や、郊外住民の高齢化による利便性追求の結果による「都心回帰現象」によって、都心のマンション需要が高くなってきており、更に低層住宅から高層マンションへの立て替えに拍車がかかっている。

山を切り開いて造成された郊外住宅地の内、70年代までのものは、山を大きく切り崩すことなく造成されたために坂道が多く、厳冬期の早朝にその坂道がアイスバーンになる。また、開発から30年余り経過し、住民の高齢化現象が起きて問題化しているところもある。しかし、より新しい郊外住宅地に比べて都心に近く、アイスバーン対策として、坂道にロードヒーティングがされているところもあり、更に、大きく切り崩さなかったことで見晴らしの良さを産んで、仙台都心部のみならず、遠く太平洋まで望めるためにかえって人気が出て、マンションが建設されるところも出てきた。郊外丘陵地一括開発の比較的成功例が泉パークタウンである。(詳しくは泉パークタウンを参照のこと)。その他、長命ヶ丘などの比較的新しい住宅地は、山を大きく削って開発地域内を「台地上の平地化」したため、地域内の移動がし易く、かつ、厳冬期の早朝アイスバーンの影響が少ない。

都市軸

古代の都市軸については、上述の「#地形分類と土地利用」 を参照。
江戸時代から明治期の都市軸については「一番町」を参照。
仙台の都市構造については「仙台都市圏」を参照。

戦後の仙台の都市軸の変化

高度経済成長期までの都市軸は、旧奥州街道を踏襲した、仙台から南に向かう国道4号沿いと、仙台から北東の多賀城塩竈松島に向かう国道45号沿いにあり、鉄道も並走している。1970年代初頭には、この都市軸沿いの松島町から岩沼市にかけて、仙台市を中心に合併して政令指定都市となることを目指したが失敗に終わった。この合併・政令市化が失敗した要因は、当時の仙台市が革新市政だったのを周辺市町が嫌ったためとも、多賀城市や塩竈市などの住民が、古代からの歌枕を冠した市名が失せることを嫌ったためとも言われている。

その後、人口増を背景に、市の北部から南西部にかけての丘陵地に新興住宅地が都心を囲むように弧状に造られ、「山の手」が形成された。これらの山の手地区と中心部とを繋ぐ幹線道路である国道4号沿い(都心から北向き部分)や国道286号沿いが新たに都市軸に加わった。この新都市軸の北の中心である旧泉市と、仙台の西に隣接する旧宮城町・旧秋保町を編入し、1989年に政令指定都市となる。この南北の新都市軸には、仙台市営地下鉄南北線(1987年開業)が鉄道インフラとして加わり、計画都市である北の泉中央泉区)・南の長町南太白区)は著しく副都心化が進み、大型商業施設やマンションが林立している(旧奥州街道の七北田宿の人口密集地区西隣に泉中央泉中央駅、長町宿→JR長町駅駅前の人口密集地区西隣に長町南長町南駅が建設された。JR南仙台駅前の旧・中田宿は現在再開発中)。

また、北西部の丘陵地を弧状に貫く仙台北環状線(北環)、仙台中心部から西にトンネルで旧宮城町方面に向かう仙台西道路の完成により、仙台から西向きの都市軸も出来つつある。但し、この西向きの都市軸は、仙台西道路が自動車専用道路で旧宮城町地区に到るまで出入口がないため、都市としての連続性が断たれ、他の都市軸と比べ背景人口が少ないという特色を持っている。また、都市軸の中心駅の愛子駅陸前落合駅の駅前は、ほかの都市軸の中心駅よりも遥かに遅くに開発されたため、他の副都心ほどは発展していない。

しかし、仙台西道路は、仙台と山形とを結ぶ国道48号・国道286号、そして東北自動車道を介して山形自動車道とも直結して仙台と山形との連携を生み、仙台・山形の「双子都市化」をもたらしている。そのため、交通の要衝として広域産業が進出し、東北地方唯一のアウトレットモールや、東北地方唯一の小児専門病院である「宮城県立こども病院」、その他の実業系高等教育機関などが立地し、人口も増加している。

東西に分けられる仙台の街

仙台の街は、仙台駅、および東北新幹線東北本線によって大きく東西に分けられている。仙台駅の西口側は、江戸時代からの城下町・仙台の中心部があったところで、現在に至るまで中心部であり続けているが、南は広瀬川、西は青葉山、北は北山-台原の丘陵地、東は東北新幹線と、四方が囲まれており、都心部の拡大が容易ではない。そのため、バブル期に、仙台の地元企業の経済力を超えて地価暴騰が起きる懸念があったが、バブル期以前から開発されていた地下鉄・南北線と、南北線上の泉中央(泉区)および長町(太白区)の存在により、地価上昇圧力が泉中央や長町への都市機能の分散を推進し、暴騰は回避された。反面、デフレ期に入ると、都市規模に対して疎になった都心の地価下落が止まらず、担保価値が減少した土地上の低層オフィスビルや低層住宅が、高層マンション等に取って代わられ、住民の都心回帰を助長している。

一方、仙台駅の東口側は、古くからの町並みが残る地区となっていた。特に南東側の平野部(若林区)は下町の趣があり、江戸時代から続く地名が残る。この下町地域の東側に隣接していた水田地帯には、1960年代に仙台バイパスが造られ、同時に卸売り業者・流通業者・車関係などの事業所、および印刷業の工業団地などの広大な流通・工業団地が造られた。この地域(卸町・六丁の目・扇町など)は、業務地・工業用地の指定のみで住宅地の指定がないため、ほとんど人が住んでいない。また、周囲の水田も国の農政、および、仙台のグリーンベルトの構想のために農地指定が解除されなかったため、仙台駅・東口側の住宅地は、東北本線と卸町に挟まれた極端に狭い地域に限定されてしまい、背景人口が増加せず、東口の商業集積を阻害してきた。東北本線をまたいで西口に到る幹線道路も、東口に広大に存在する卸町を迂回した経路(卸町の北側の国道45号と南側の新寺小路)のみで、卸町によって南北の街も分断された状態になっていた。

90年代に入り、卸しを通さない「中抜き流通」が主流になると、卸町の存在意義が薄れ、規制を解除して住宅地へ転用する動きが始まった。また、仙石線の地下化に伴って区画整理・再開発が活発になって、東口は街の形を大きく変貌させている。東口の駅前から延びる宮城野通り完成後は、通り沿いに仙台のIT企業が集中し始め、楽天イーグルスフルキャストスタジアム宮城を本拠地にするに到って更に開発に弾みがついている。ただ、区画整理事業が終わる数年後に、旧仙石線線路沿いの土地にマンションが大量に供給され、マンション価格の下落、それに伴う郊外住宅地の地価下落が懸念されている。

仙台バイパスとその付帯施設である流通・工業団地の周辺および東側は、広大な水田地帯となっている。農地指定の解除は、仙石線沿いと建設中の地下鉄・東西線沿い、および幹線道路沿いのみとなっている。近年、グリーンベルトをまたぐ部分(仙石線では苦竹駅福田町駅の間、東北本線では東仙台駅岩切駅の間)の一部農地指定解除が行われ、仙石線に小鶴新田駅が設置されて住宅地化が始まっている。しかし、なおも岩切から利府町にかけてと、福田町から塩竈市にかけての市街地が、都心部からみて「飛び地」のようになっており、グリーンベルト維持か、市街地形成をするか、市の方針は必ずしも明確ではない。なお、福田町から塩竈市にかけての沿岸部は、仙台港を中心に工業地区となっている。農地指定と工業地指定、および松島丘陵に囲まれたこの「飛び地」地区では、近年、工業・流通地指定を解除して、商業施設の誘致と開発が計画されている。ただし、工業地(空き地)の所有者である宮城県の方針が出るまで時間がかかっている間に、隣の利府町側で先に農地指定を解除したため、この「飛び地」地区の商業中心は、利府のロードサイドショップの方に移っている。

都市計画

都市としての仙台市は、伊達家62万石の城下町から発展したため、その名残りで都心部の道路は碁盤の目状になっているが、広瀬川河岸段丘上に立地している点や、戦災復興事業において広幅員の道路を縦横に通したことにより、完全な碁盤の目とはいかずやや変則的である。伊達政宗の都市計画は、後に仙台をして 「杜の都」 と呼ばしめたが、戦前までの「杜」は、都市の近代化のために失われた部分も多い。しかし、市当局や市民の努力により、都心部に限らず、多くの道路に街路樹が植えられ緑化が進んだ。また、都心を取り囲む丘陵地や水田などの開発規制を行い、同心円状に、都心・グリーンベルト・住宅地という大ロンドン計画を模した都市計画を作成した。

中心市街地の地名

仙台市は城下町から発達したであるが、中心市街地の地名の尻に、「」を付ける物と「」を付ける物の二種類がある。他に同様の市には和歌山市がある。

を付ける地名には、名掛や東二番などがあり、を付ける地名には国分一番などがある。

北四番丁大衡線

現在、東北大学病院の東端に沿って南北に走る木町通りの拡幅作業がなされているが、この道は、北向きに輪王寺を地下トンネル(北山トンネル・仮称)で通過し、桜ヶ丘・泉パークタウンを貫いて大和町へと至る宮城県道264号大衡仙台線(都市計画道路北四番丁大衡線)である。この道路は、北西部の住宅地と中心部とを結ぶ幹線道路という側面の他に、この道沿いに存在する東北大学病院・東北大学医学部・フィンランド健康福祉センター・宮城学院大学宮城大学・宮城県図書館・泉パークタウン内の数々の研究施設、そして、仙台北部中核工業団地を結んで「智の回廊」として機能することも期待されており、「学都仙台」の戦略的道路となっている。また、東北大学病院の新東病棟1階に新たに設置される高度救命救急センターへの搬送路となり、北西部の命綱としても機能する予定である。なお、この道路と東北自動車道が交差する付近に泉PAがあるが、そこにETC専用出入口であるスマートICが設置された。

  • 宮城県の高度救命救急センター:
    • 仙台市立病院(仙台市)
    • 国立病院機構・仙台医療センター(仙台市)
    • 大崎市民病院(大崎市
      • 宮城県立こども病院(仙台市。子供のみ。外傷を除く)
(2006年度中に石巻市の石巻赤十字病院も指定される予定)

歴史

仙台藩(仙臺藩)時代の歴史については「仙台藩」を参照せよ
東北地方における仙台の経済史については「南東北」を参照せよ

概略

江戸時代

天正まで、現在の仙台の地は「千代(せんだい)」と呼ばれていた。1600年慶長6年)、伊達政宗青葉山仙臺城(仙台城)を築き、城下町を開いて当地の名前を「仙臺(仙台)」と改称したことで、仙台の都市としての歴史が始まった。「伊達62万」といわれた仙台藩は、江戸幕府(約700万石 = 天領400万石+旗本領300万石)、加賀藩(102.5万石)、薩摩藩(77万石)に次ぎ、尾張藩(約62万石)と並ぶ大藩であり、城下町としての仙台も発展した。伊達政宗が来るまではごく小さな町であり、近隣の多賀城塩竈の方がはるかに歴史は古い。

開国前の江戸時代の都市には、突出した大都市の三都(江戸大坂)の他、大藩の城下町(金沢名古屋鹿児島・仙台・岡山熊本広島徳島)や重要港町長崎)があり、仙台は、日本で十指に入る都会として賑わった。ただし、その人口は4~7万人程度(時期や資料による)で、東北地方の他の城下町と比べて極端に突出した都会ではなかった。また、藩のたががあったため、東北地方の中心都市としての機能はなかった(城下町の人口は、大体1万石あたり1000人として、石高を乗じたものと似た値になる)。

幕末から明治維新まで

明治維新時、戊辰戦争において、仙台藩は奥羽越列藩同盟の盟主となって会津藩(幕府)側についたが、敗戦により石高を半分以下に減らされ、困窮した多数の家臣団を蝦夷地北海道)に集団移住させる事態になった。これにより大量の知識階級(武士階級)が流出し、経済の基盤だった版図を失ったため、城下町仙台の経済は混乱した。

1871年の廃藩置県において、仙台藩は仙台県、角田県、登米県、胆沢県の4県に分割され、現在の仙台都市圏と似た範囲で仙台県が置かれた。その後何度か境界変更を繰り返し、現在の規模になった1872年に宮城県と改称して、同時に仙台区が置かれた。当時の仙台区は、現在の中心部ほどの広さであった。

明治から戦前まで

仙台は、明治政府による中央集権体制において、東北地方支配の拠点とされ、国の機関が次々とつくられていった。

1887年に日本鉄道(今の東北本線)が塩竈まで開通し、仙台駅が置かれた。鉄道が開業したことにより、仙台から東京(以前の江戸)まで数日かかったものが、わずか半日程度で済むようになった。また、明治期以降、高等教育機関が設置されていき、1907年には東北帝国大学が創立し、国を支える人材を輩出した。

江戸時代の初期、幕府との戦争に備えて、伊達政宗は仙台に城や要害を多数築いていったが、それらは明治政府に全て接収されて近代軍事施設となっていった。仙台城二の丸には陸軍第二師団司令部と歩兵第三旅団司令部、現・仙台国際センターの土地には工兵第二連隊司令部、現・榴ヶ岡公園には歩兵第四連隊司令部が置かれたのを始め、輜重兵第二連隊(現・亀岡住宅)騎兵第二連隊(現・東華中学校)の他、練兵場(仙台城三の丸、および宮城野原練兵場(現宮城野原公園総合運動場および宮城野貨物駅ヤード))、飛行場(現・国立仙台医療センター)、工兵作業場(現東北大学青葉山キャンパス)偕行社(現西公園招聘社(仙台城本丸。現・宮城縣護国神社が置かれた。

このように仙台は、国の機関、鉄道、大学、軍が置かれ、そして県庁所在地となった事で人が集まるようになり、工業がない消費文化の中心地となった。そのため、中心商業地の一番町が勃興し、藩内制限経済から広域資本主義経済へ移行していった。

1889年には市制が施行され、それまでの仙台区はそのまま仙台市に移行した。1889年の統計では、国際貿易都市として勃興して来た神戸市横浜市などに抜かれながらも、仙台市は人口90,231人を擁する都市となった。この人口規模は、当時の日本の第8位であった。1923年は仙台市として初の合併が行われ、現在の長町、原町、南小泉地区が仙台市になった。これ以降、仙台市は周辺の町や村を吸収していき、面積・人口を増やしていくことになる(→市域の変遷)。1926年には仙台市電が営業を開始し、50年に渡って市民の足として活躍をした。

第二次世界大戦と仙台空襲

第二次世界大戦アジア太平洋戦争)は日本各地に甚大な被害をもたらしたが、仙台には陸軍の軍事施設が多かったため、度々空襲に見舞われた。その中でも最大の被害をもたらしたのは、1945年7月10日仙台空襲戦略爆撃)である。B-29爆撃機からの焼夷弾絨毯爆撃により、市内中心部(主に市電環状線内が該当)が炎上し焼失し、死者は1066人にのぼった。また、沢山の家屋や歴史的建造物の他、「杜の都」の象徴であった樹木が失われ、市内は廃墟と化した。

戦後の復興

終戦後、仙台にはGHQが進駐し、仙台にあった陸軍は解体され、軍事施設の跡地は主に公園になった。また、東二番丁通り広瀬通り青葉通り定禅寺通りなどの広幅員の道路を縦横に通し、近代都市としての基盤が造られた。これらの大通りには、「杜の都」の復興を願って多数の樹木が植えられた。これらの樹木は、後に大木に成長して「杜の都」の象徴となる並木道へとなっていく。

高度経済成長と人口の激増

トラック流通の興隆に応じて1966年に仙台バイパスが供用開始され、同時に広大な卸し・流通団地が造られた。1975年には東北自動車道が開通した。これでトラック流通・卸売りにおける東北地方の中心地の一つとなった。これ以降、東北地方の経済における中心地としての歩みを始める。高度経済成長(第三次産業型)の影響もあって1967年には人口が50万人を突破し、仙台市は活気付いてくるが、1976年には、交通渋滞の悪化に伴い、50年に渡って市民の足として活躍した仙台市電が廃止された。

宮城県沖地震の発生

1978年6月12日には宮城県沖地震が発生する。17時14分44秒にマグニチュード7.4、最大震度6の非常に大きな地震であり、死者27名を出した。この地震は都市を直撃した地震災害の典型とされ、この地震により、建築基準法が改正され、以降の建物は改正に基づく耐震強化などが行われた。阪神・淡路大震災が起こるまでは現代の日本で最も被害を受けた地震であった。

東北新幹線の開業

1980年に東北自動車道が浦和ICまで開通し、1982年には大宮~盛岡間で東北新幹線が開業した。移動の高速化は東北地方全体の日帰り圏を拡大し、仙台市内にある企業の支社や支店の東北地方全体を管轄する機能が増強されることになった。これ以降、仙台市が東北地方のビジネスにおける中心地になっていった。

地下鉄開業と政令指定都市への移行

仙台市の経済拡大と人口増、およびモータリゼーションの進展により、仙台都市圏は拡大していった。そのため、郊外都心を繋ぐ公共高速交通路が求められ、1987年には仙台市営地下鉄南北線が仙台市の富沢駅泉市八乙女駅間で開業した。

1988年に泉市と合併し、1989年には第11番目の政令指定都市になったことで経済力を得た仙台市当局は、バブル景気の後押しもあって、文化面への投資にも力を入れるようになり、数々の文化施設を建設し、大規模イベントを始めるようになった。

1985年から再開された「青葉まつり」と新規に始まった「SENDAI光のページェント」、そして、1987年の「未来の東北博覧会」開催、「グリーンフェアせんだい」の開催という流れの中、少しずつ活気のある街に変化していった。1991年には「定禅寺ストリートJAZZフェスティバル」が始まり、1994年にはJリーグブランメル仙台」(後のベガルタ仙台)が誕生して、都市の誇りとなるようなイベントやプロチームができた。その後も1998年から「みちのくYOSAKOIまつり」、2000年から「伊達ロック」、2001年から「Jazz Promenade」など、市民ボランティアが主体となって開催する「街を舞台装置とした無料の屋外イベント」 が始まった。

2005年からは「東北楽天ゴールデンイーグルス」がプロ野球に新規参入し、他のプロ野球チームを持つ都市との間に交流が始まる一方で、東北地方全体からの誘客力も上昇した。さらに、2005年には新しく設立されたプロバスケットボールの「仙台89ERS」を加えて、プロスポーツチームを三つ持ち、年中、イベントが開かれるようになった。

「杜」の都

仙台は、「杜の都」の異名を持つ都市として有名である。本来の「(ト)」とは、中国古来の意味では山野に自生する落葉果樹ヤマナシコリンゴなど)を指すが、国訓としての「杜(もり)」は、神社の「鎮守の森」、「ご神木」を意味し、漢語自然林)と国訓(人工林、二次林)の間には意味の差異がある。仙台の場合は、「杜(もり)の都」と国訓を使っていることからも判るように、藩祖政宗公の積極的な植林奨励策によって城下町・仙台に植えられた「人工林」「屋敷林」の多さと美しさから、あたかも杜の中に街が出来たかのように見えたため、大正時代頃から一般にこの異名が定着したと考えられている(実際は、「街に杜が」育った)。

では、「なぜ政宗公が城下町に植林奨励をしたのか」という疑問が起こる。現在よりも森林が豊であったであろう江戸時代に、わざわざ美観のためだけに植林したとは思えない。これは、仙台が位置する仙台平野宮城野)の気候風土や地形的な特色のために、植林が必要とされたためだと考えられる。

仙台平野の旧来の農家を見てみると、山(小山・丘も含む)と平野(田んぼ)との際に立地していることが多い。山と平地との境は井戸の水位が浅い、という利点もあるが、山によって冬季の北風が遮られるため、強度をあまりあげなくても住宅(木造)を建てることが出来る利点がある。山から離れた場所に建っている旧来の農家の住宅には、例外なく北側もしくは北西側に防風林・防雪林が植えてある。即ち、仙台平野で住宅を建てる場合は、冬季の風雪に耐えるための屋敷林が必要であることが分かる。

また、冬の仙台平野は、基本的に奥羽山脈で雪雲が遮られるため、晴天で乾燥し、空っ風が吹く。このために火事が頻発し、木造住宅が密集して建ってしまうと類焼が起きてしまう。江戸の場合、町人町で木造住宅が密集していたが、この冬季の火事類焼を防ぐために「火消し」集団を組織したり、防火水槽を設置したりして対応している。河口に近い江戸と違い、仙台は河岸中流域の台地の上に城下町が開かれたため、井戸の水位が深く、充分な消化用水を確保できない。そのため、侍屋敷では、建坪を200坪以上の広さにし、居久根(いぐね…屋敷まわりの杜)を築いた。即ち、屋敷同士を離して防火林を植えることで類焼対策とした。また、屋敷林を増やすことにより井戸の水位も浅くなったと考えられている(城下町の人口増に対応するため、四ツ谷用水という上水道も整備された)。

このように、仙台という土地に城下町を開くためには、防風林・防雪林・防火林が必要であった。政宗公の仙台開府以前、この土地が「宮城野」と呼ばれていたことからも分かるように、仙台には風雪を防ぐ一本の木もなかったと言われており、仙台開府には積極的な植林奨励策が必要であった。防風林・防雪林・防火林としての樹種は、スギマツなどの常緑樹の他、カラマツなどの落葉樹も用いられた。

「杜の都」は、こうして出来上がるが、戦災や都市の近代化の流れの中、屋敷林(常緑樹)は失われてゆき、替わって定禅寺通りなどの並木道(落葉樹)や緑化公園、または都心周囲の保全林などに「杜」の象徴が移った。宮城県沖地震の後は、ブロック塀から生垣への作り替えなども加わって、新しい「杜の都」に変貌した。

伊達政宗と仙台の語源

伊達政宗 (だて まさむね 1567年 - 1636年出羽国(山形県)米沢生まれ。仙台に所領を得て62万石の大名となった。米澤城から岩出山城に転り、その後、仙臺城を本拠とした。激しい性格で乱暴だったためか、仙台市民にあまり親しまれていない部分もあるのが実情であり、市のシンボルとして政宗が使われることも少ない。戦争がうまく領土を拡張したことは事実である。政宗は米澤で生まれ育ったのであり、仙臺は後に得た領土である。

伊達政宗が「仙臺」としたのは、唐の詩人韓こう(こうの字は左側「広」+右側「羽」)の「同題仙遊観」の「仙臺初見五城楼」からとったと言われる。もともと中国で「仙臺」は、「仙人の住む尊い場所」という意味があり、紀元前2紀に文帝が建てた仙遊観という宮殿は、その壮大さから「仙臺」と呼ばれた。この詩はその宮殿の素晴らしさをたたえたものである。韓こうは、中国で伝説上の存在として知られる仙境崑崙山(こんろんさん)の五城十二楼(ごじょうじゅうにろう)の宮殿に、仙遊観なぞらえて詩を詠んだようである。戦後は新字体の台が使われるようになった。

彼の生涯をドラマ化した、NHK大河ドラマ独眼竜政宗」は最高視聴率47.8%、平均視聴率39.7%を得て、平均視聴率ではNHK大河ドラマとしては最高の記録となった。このドラマ放送によって、仙台と伊達政宗の知名度は高まった。伊達政宗の騎馬像は、仙台城址と仙台駅内にある。仙台城址の物は伊達政宗が仙台市街地を一望する配置となっている。仙台駅内の物は待ち合わせのスポットとなっている。

年表

市制時代の年表

  • 1871年 - 廃藩置県により、仙台藩は分割され、仙台県が置かれる
  • 1872年 - 現在の規模になり、仙台県は宮城県と改称。仙台区が置かれる
  • 1875年 - 桜ヶ岡公園(西公園)が開園
  • 1887年 - 仙台駅落成
  • 1889年 - 市制施行で、仙台区は仙台市となる。人口90,231人(全国8位)
  • 1897年 - 河北新報創刊
  • 1900年 - 市内に電話開通
  • 1902年 - 榴ヶ岡公園が開園
  • 1907年 - 東北帝国大学創立
  • 1914年 - 勝山公園が開園
  • 1920年 - 第一回国勢調査時、人口約12万人
  • 1926年 - 仙台市電営業開始
  • 1945年 - 7月10日、仙台空襲。
  • 1967年 - 人口50万人突破
  • 1971年 - 仙台港開港、市の花・木・鳥・虫を制定
  • 1973年 - 東北自動車道・仙台南IC開通
  • 1976年 - 仙台市電廃止
  • 1978年 - 6月12日17:14、宮城県沖地震発生(現在の仙台市域での被害: 死者16人、重軽傷者10,119人)
  • 1981年 - 仙台市営地下鉄南北線工事着工
  • 1982年 - 東北新幹線開通(大宮駅~盛岡駅)
  • 1987年 - 仙台市営地下鉄南北線開業
  • 1988年 - 泉市と合併
  • 1989年 - 市制100周年、政令指定都市(11番目)になる
  • 1992年 - 市営地下鉄南北線、終点駅を泉中央駅(泉区)まで延長
  • 1994年 - 天皇杯で善戦した東北電力サッカー部が、Jリーグ入りを目指して改組・プロ化。仙台市をホームタウンとするブランメル仙台となる(後にベガルタ仙台に改称)
  • 1997年 - 泉区七北田公園内に仙台スタジアムが完成する。
  • 1999年 - ベガルタ仙台がJ2加盟
  • 2001年 - ベガルタ仙台がJ1昇格を決める(後にJ2へ降格)
  • 2004年 - 東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地となる(2005年シーズンから参戦)。
  • 2005年 - 仙台89ersの本拠地となる。
  • 2005年 - 県営宮城球場からフルキャストスタジアム宮城になる
  • 2006年 - 仙台スタジアムからユアテックスタジアム仙台になる

行政区域の沿革

  • 1871年(明治4): 廃藩置県により、仙台藩から仙台県となる。
  • 1872年(明治5): 仙台県が宮城県と改称され、仙台区が置かれる(「宮城県」の名は、仙台が元々所属していた宮城郡からとった)。
  • 1889年(明治22)4月1日: 市制施行により、仙台区が仙台市となる。
  • 1928年(昭和3)4月1日: 長町(名取郡)、原町、七郷村南小泉(以上宮城郡)を編入。
  • 1931年(昭和6)4月1日: 七北田村荒巻および北根(宮城郡)を編入。
  • 1932年(昭和7)10月1日: 西多賀村(名取郡)を編入。
  • 1941年(昭和16)9月15日: 中田村、六郷村(以上名取郡)、七郷村、岩切村、高砂村(以上宮城郡)を編入。
  • 1956年(昭和31)4月1日: 生出村(名取郡)を編入。
  • 1987年(昭和62)11月1日: 宮城町(宮城郡)を編入。
  • 1988年(昭和63)3月1日: 泉市、秋保町(名取郡)を編入。
  • 1989年(平成元)4月1日: 政令指定都市に指定され、現在の5区制となる。

現在の仙台都心部を含んだ北側(広瀬川上流域および中流域の北側、七北田川流域など)は宮城郡、南側(広瀬川中流域の南側と名取川流域など)は名取郡に元々所属していた[1]

現在の仙台市中心部の地名の変遷

行政

概略

仙台市役所(2005年5月)
  • 市長:梅原 克彦(うめはら かつひこ 2005年-)
    • 副市長:櫻井 正孝、山浦 正井(仙台市では助役を副市長と呼ぶ)

行政課題は数多いが、経済・産業の活性化、都市交通の改善(地下鉄東西線構想ほか)などの課題がある。地下鉄東西線構想については、交通アクセス改善への期待はあるものの、高運賃や採算性への不安などから反対運動もある。

また、前々市長時代には大手ゼネコン疑惑で県知事、市長が収賄で相次いで逮捕、首長、自治体のありかたが全国の注目の的となった。またこの事件の契機に全国にさきがけ、仙台市民オンブズマンが誕生した。

2004年12月14日、当時の助役であった佐々木副市長は東北文化学園大学補助金不正受給事件の問題が発展して辞職した。

藤井黎前市長の任期満了に伴う交代選挙となった2005年の市長選では、仙台市営地下鉄東西線のあり方について焦点となったが、梅原氏は東西線の加速的推進を公約にしていた。他候補が見直し、白紙撤回だったのに対し唯一推進候補であったため争点が明確かつ、票が集約されたために当選したと見られる。

梅原市長は、伝統文化の重視を公言しており、仙台市の歴史的資源の活用に意欲的である。

歴代市長

+は在職中死去

氏名 就任年月日 退任年月日
1-2 遠藤庸治 1889年5月2日 1898年3月7日
3 里見良顕 1898年4月8日 1903年3月13日
4 早川智寛 1903年4月2日 1907年7月1日
5 和達孚嘉 1907年7月2日 1910年7月2日
6 遠藤庸治 1910年12月11日 1914年11月4日
7 山田揆一 1915年5月25日 1919年5月24日
8-9 鹿又武三郎 1919年7月17日 1927年7月26日
10 山口龍之助 1927年8月13日 1930年6月7日
11-13 渋谷徳三郎 1930年8月31日 1942年8月30日
14 今村武志 1942年9月23日 1946年5月14日
15-18 岡崎栄松 1946年6月17日 1957年12月17日
19-25 島野武 1958年2月2日 1984年11月6日+
26-28 石井亨 1984年12月23日 1993年7月3日
29-31 藤井黎 1993年8月22日 2005年8月21日
32 梅原克彦 2005年8月22日 現職

市議会

  • 議長:柳橋 邦彦(やなぎはし くにひこ 2005年6月9日選出)
会派名
60
みらい仙台 16
フォーラム仙台 10
自由民主党 8
公明党 8
日本共産党仙台市議団 6
社民党仙台市議団 6
仙台・グローバル 5
やしろ 1
(欠員) -
(任期満了日:2007年5月1日

予算規模

  • 当初予算規模(2004年度)
約4,165億円(一般会計)
約2,993億円(特別会計)

ファイル:Sendai-Kotsu.JPG
仙台市交通局(2004年10月)

仙台市は、政令指定都市に移行する際、の名称には方角緑区といった名称を極力使用しない方針をとった。そのため、以下のような名称を使用している。

泉区
青葉区 宮城野区
太白区 若林区

現在、仙台市の中心的な機能を持ち、同時に仙台市最大の区である青葉区の旧宮城町地区を新たな区として分割する計画がある。この計画に関しては、「青葉区」のページを参照すること。

地方公営企業

いずれも、出納取扱金融機関七十七銀行である。

都市外交・国際交流

日本国内の外国人登録数の国籍別の順位は、1位:韓国北朝鮮(30.8%)、2位:中国(24.7%)、3位:ブラジル(14.5%)、4位:フィリピン(10.1%)、5位:ペルー(2.8%)、6位:米国(2.5%)という順である。

仙台市は、東日本の他の大都市と同様に中国系の数の方が多く(西日本の大都市は韓国系の方が多い)、また、工業が少ないために南米出身の日系人も少ない。但し、隣接する大和町に工業団地があるため、大和町と富谷町には日系人がやや多い。なお、仙台市はロシア人の比率が札幌市に次いで多く、実数も多い。一般に、日本海に面した漁港・貿易港のある北海道や北陸地方各都市などにロシア人が多いが、沿岸漁業用の漁港しかない仙台にロシア人が多いことは特徴的である。宮城県(北上川流域)には、ロシア正教会系のハリストス正教会が多く、日本の3大拠点(仙台・東京・京都)の1つであるため、ロシア人に親和性があるのかも知れない。

また、東北大学だけで留学生を1200人余り(留学生の家族を含まない数)を受け入れており、仙台の外国人登録数の10%以上を占めている(2005年)。東北大学は、主にアジアからの留学生受け入れに力を入れているが、「魯迅が留学していた大学」として江沢民国家主席(1998年当時)が来訪するほど中国国内で有名であるため、中国からの留学生がとりわけ多く(466人)、次いで韓国からの留学生が多い(190人)。また、旧帝国大学のつながりから、台湾からの留学生も多い(45人)。欧米からの留学生は、アメリカ合衆国(24人)とスウェーデン(13人)が1位2位であるが、金属材料系で世界一の研究所である金属材料研究所や、流体科学研究所などの有力研究所・講座があるため、大学間交流は盛んである。

  • 外国人登録数:総数10,284人(平成15年12月末)

内訳:(単位:人)

国籍別(上位) 人数
中国 4,202(40.9%)
韓国北朝鮮 3,109(30.2%)
フィリピン 427(4.2%)
米国 372(3.6%)
カナダ 151(1.5%)
ロシア連邦 137(1.3%)
インド 137(1.3%)
オーストラリア 125(1.2%)
英国 124(1.2%)
インドネシア 123(1.2%)
バングラデシュ 123(1.2%)
 
 
 
地方別 人数
アジア 8704(84.6%)
(※赤が東アジア
ヨーロッパ 579(5.6%)
アングロアメリカ 523(5.1%)
ラテンアメリカ 194(1.9%)
オセアニア 162(1.6%)
アフリカ 117(1.1%)


領事館等

  • 外国政府外郭団体、外国民間団体等
    • イタリア貿易振興会 仙台事務所
    • 仙台日仏協会・アリアンス・フランセーズ
    • 宮城華僑総会(宮城華僑会館)

都市外交

都市外交としては、東京都の世界大都市外交や「アジア大都市ネットワーク21」、福岡市のアジア重視政策が有名であるが、仙台市の場合は、人口約1000万人の東北地方、なかんづく人口約570万人の南東北の拠点都市として、身の丈に合った北欧諸国との都市外交を進めている(北欧諸国:スウェーデン900万人、デンマーク540万人、フィンランド520万人、ノルウェー469万人など)。特にフィンランドとは、仙台市の仲介で東北福祉大学が福祉関連施設のフィンランド健康福祉センターを開設し、成果が出ている。しかし、研究開発・産業分野に限った都市外交であるため、経済全体に対するインパクトは弱く、観光面で人の交流の活発化を実現した東京や福岡のような例とはかけ離れて、小さい経済効果しか見込まれていない。

なお、北欧以外では、支倉常長関連で宮城県とローマ県セビリア市、仙台市でサッカーイタリア代表がキャンプを開いたことにより、仙台市とイタリアの間で交流が深い。

姉妹都市・友好都市

国内・海外姉妹都市を各々締結順に掲載する。仙台市は、海外の姉妹都市と提携して、それぞれの都市を紹介するラッピングバスを運行している。

経済

仙台は、江戸時代に東北地方最大の都市にして、日本で十指に入るの人口を抱える都市となっていたが、それは、伊達氏62万石の藩内経済を背景としたものであり、藩外との経済交流を考えれば、酒田などの港湾都市の方に資本集積があったと考えられている。

明治時代になると仙台は、明治政府の中央集権体制における東北地方の支配拠点とされ、栄えることとなった。戦後においては、特に1982年の東北新幹線開通後の発展や、1989年(平成元年)の政令指定都市化前後(地下鉄開業、バブル経済期)はめざましいものがあった。

主な産業は、東北全体を商圏とする「卸売業」、仙台都市圏を中心に南東北全体に商圏を広げつつある「小売業」、及び、「サービス業」が中核をなす。中でも、「卸売・小売業」は仙台市だけで東北六県全体の年間販売額の40%近くを占める。また、東北地方の情報集散地としての役割も担っているため、「出版・印刷業」や「IT関連業種」などの情報関連産業も多く立地している。

仙台市は、大企業の支店の存在に経済を支えられている側面が強く、また工業も発展していないため、経済関係者の間から「支店経済都市」「支社都市」と呼ばれている。このため、地場の産業を育成する事が課題となっている。

第一次産業

他の大都市同様、総生産額・従業者ともに全産業に占める第一次産業の割合は僅である(市内の農家数はおよそ5000戸)。しかし、は仙台の主力農産物であり、かつ、ササニシキひとめぼれなどのブランド米を産する土地柄、平野部の稲作地は都市化圧力から守られてきた。市内東部の平野や河川沿いの平地では土地改良事業が行われ、長方形型の大きな圃場が整備されて、大型農機による大規模稲作が行われている。これらの大規模圃場は、一部税金を用いて整備されているため、商業地や住宅地への転用が条例によって規制されている。

  • Google Maps」 で「仙台市」と入れて "Search" をクリックすると一般地図がでる。その後、"Satellite" をクリックすると衛星写真が出る。衛星写真で見ると、仙台市東部と特に七北田川沿いの農地が開発規制されているのが分かり、他の大都市との農政の違いが分かる。即ち、他の大都市が、平地にあれば同心円状、谷あいにあれば平地のほとんどが都市化している一方、仙台都市圏は、幹線道路および在来線沿い以外は農地の開発規制がされている。「いくとこガイド」でも航空写真が見られ、同様な傾向を読み取れる。

このように、河川沿いの平地や東部の広大な平野部は、農地指定が解除されない限り、商業地や住宅地等に利用できないため、人口増に対応する住宅供給は、専ら仙台市都心部を取り巻く丘陵地の宅地造成によりなされた。宅地造成は、都心部に近い北西部を中心に進んだが、それでも供給不足に陥ったため、仙台市民の隣接市町への転出を促し、名取市富谷町利府町などの人口増に寄与した。

仙台市当局は、政治的に平野部の農地を守ってきた。その政治判断により、平野部や河川沿いに水田が残り、夏には風の通り道になってヒートアイランド現象を軽減し、また、西部の山々とともに都心部を取り巻くグリーンベルトとして景観の保持にも寄与している。

ただ結果として、仙台市の農地政策は、「都心部以外は、平地は農地、丘陵地は住宅地」 という都市構造を助長した。そのため、住宅地が丘陵地ごとに島状分布し、都心と住宅地との間に坂道が多いため車社会を加速し、人口密度が低く、人口の割に職住が離れた非効率的都市圏を形成することになった。現在は、その非効率性はなくなっていないものの、農地指定の解除が徐々に進んで、「島」と「島」との間の平地が商業地や住宅地になりつつある。

ちなみに、現在の泉区の中心部(泉中央駅八乙女駅、市名坂)は、80年代に七北田川沿いの農地指定を一気に解除して水田の上に造られた計画都市であり、現在は仙台の副都心として発展している。

第二次産業

工業地区は主に仙台市東部地区に分布している。主な業種は「石油化学業」、次いで「印刷・出版業」、「電気機械・器具業」、「食品加工業」など。

第二次世界大戦中の燃料不足のおりには、市内の中心部に近い八木山・大年寺山などで褐炭(低品位な石炭)の掘削が盛んに行われた。この際の坑道跡が現在も放置されたままであるため、地盤陥没や計画中の地下鉄東西線の工事費上昇が危惧されている。

第三次産業

仙台市の産業のうち、総生産額で8割、従業員数で7割を占める。業種別では「サービス業」の伸びが顕著である。

仙台市は、南東北における物販・サービス業などの中心地となっている。一番町仙台駅周辺の2つの中心部商業地の大きな集客力と、郊外ロードサイドショップの密集により、仙台市の小売商圏は、仙台市周辺市町村の域を越えて、山形県村山地方福島県中通り北部・浜通り北部、および岩手県北上川流域南部まで広がっている。

中心商業地以外では、仙台駅東口からフルキャストスタジアム宮城に至る宮城野通り周辺(宮城野区・若林区)に、90年代以降、IT関連産業のオフィスが集積してきており、「ITアベニュー」と呼ばれるようになった。この東口地区に東北楽天ゴールデンイーグルスのスタジアムが建設されたことで、集客マグネットとしての商業活性の役割が期待されている。

また、北の副都心である泉中央泉区 : 泉中央駅八乙女駅)にも都市機能が集中し始めている。ここでは、ベガルタ仙台が集客マグネットの役割を果たしている。

なお、南の副都心として期待されている長町太白区 : 長町一丁目駅長町南駅)は、旧国鉄貨物ヤード跡地の再開発をうけ、一躍注目地区となっている。また、プロバスケットボールチームの仙台89ERSが長町副都心に隣接する富沢駅前の仙台市体育館を本拠地としたことで、集客マグネットとしての役割が期待されている。男子VリーグNECブルーロケッツと女子VリーグのNECレッドロケッツも、仙台市体育館で「ホームゲーム」を開催しているが、仙台に地域密着をしているというよりは興行的意味あいが強く、仙台に本拠地を置く他の3球団と比べてそれらの集客マグネットとしての力は未知数である。

主な企業

東証1部上場企業

その他仙台市に本社を置く企業

電力会社

  • 東北電力(会社売上高で、東京以北全業種中1位)

マスメディア

仙台のマスメディアの詳細については「仙台都市圏」を参照
テレビ局、および AM局
仙台放送(2005年7月)

NHKを含めたテレビ局として5局が、AM放送局として2局がある。テレビ東京系の局は無く、テレビ東京系で制作された番組は番販形式で在仙の民放4局で放送されている。しかし、仙台で放送されるテレビ東京の番組は、人気バラエティ番組はよく放送されるが、アニメは非常に少ない。そのため、一部で新局を設置して欲しいという要望があるが、今のところ大きな動きは無い。また、東北限定のローカルネットワーク局も存在しない。

ケーブルテレビ

ケーブルテレビは以下の2局がある。いずれもテレビ東京系の再送信は行われてない。

FM局

Date fmは産経新聞が大株主で、同じく産経新聞が大株主の仙台放送とはつながりが深い。このため、FMで仙台放送の番宣がよく流れている。

コミュニティFM局(cFM
新聞社
宮城県で唯一、夕刊を発行している(朝日新聞などの全国紙の夕刊は仙台では発行されていない)。全国紙中日新聞西日本新聞に次ぐ広域販路を持つブロック紙。明治維新以来、東北地方は「白河以北一山百文」(東北地方の土地は価値が低く山1つを百文で買える)と軽視されていた。「河北新報」の社名は「東北振興」と「不羈独立」を社是として付けられた。
河北新報本社ビル(2005年3月)
出版社
  • ぱど 仙台版(31万部)(隔週刊。関東・関西・仙台・広島・岡山・静岡・浜松の各版)
  • Workin仙台版(求人情報)、くるマッチ(中古車情報)
  • リビング仙台(24万部)(週刊。主婦層向け。全国の主要商圏58エリア各版)
  • ホットペッパー 仙台版(クーポンマガジン)
  • FLYING POSTMAN PRESS(月刊。札幌・仙台・新潟・東京(渋谷)・名古屋・京都・大阪・岡山・広島・福岡)
  • ZONE(月刊。仙台北環状線沿いの情報)
  • くるサーチ 南東北版、グルメ仙台版
  • PEACHPIE 仙台版(月刊 風俗情報誌、盛岡・福島)
  • ポケナビ 仙台版(月刊 クーポンマガジン)

金融機関

現在の青葉通りの東端に仙台駅が設置(1887年)され、芭蕉の辻(江戸時代の仙台の中心商業地。国分町通り=奥州街道、および大町=仙台城大手門前から続く道の交差点)に日本銀行仙台支店が設立(1941年)されたことにより、この2点の間の地域に金融機関が集中した。現在の仙台市の金融街は、青葉通り沿いの仙台駅西口前から晩翠通り辺り(東西軸)までを中心とし、途中交差する国分町通り沿い(南北軸)にも立地している。

仙台の中心商業地(→仙台市#中心商業地)には、一番町と仙台駅西口一帯の2つの極があるが、従来から、一番町は地元商店が強く、駅前は県外資本(主に東京)が強い。金融街の構成にも似た傾向があり、青葉通り沿いの仙台駅前から東二番丁通り交差点までの部分に都市銀行や有力地方銀行の本支店が集中立地し、それより西の一番町に近い青葉通り沿いに他の地銀や第二地銀の本支店が集中立地している。このように、小売と金融がリンクして立地の違いをみせるため、おおまかに言って、一番町が東北地方の経済を反映し、仙台駅前が日本全体の経済を反映した動きをするのが仙台の特徴となっている。なお、企業よりも個人資産をターゲットとする県外銀行は、中心部アーケード街に支店を設置している。

近年、仙台でも消費者金融や個人ローンが盛んになってきている。勢力としては、消費者金融全国チェーン、宮城県内の金融機関の他、特に山形県の2大地銀、盛岡の地銀・第二地銀の仙台市場参入が著しい。それぞれがテレビCMをうって競争している。

都道府県別の1人あたりの預貯金額(2003年度末)では、全国順位で北海道・東北・九州が下位を占めており、宮城県は501万円で37位である。内訳は、国内銀行299万円(59.7%)、郵便貯金134万円(26.7%)、JA貯金38万円(7.6%)、信用金庫30万円(6.0%)となっている。資産は、土地・証券貴金属など多様であり、国外の銀行で資産運用する人もいるので一概には言えないが、目安として以下に仙台市内に本店のある金融機関の預金残高を示す(証券等含まず)。東北労働金庫は、東北地方全体で合併したので、預金残高が大きい。その他は、仙台市内に基盤を持つ金融機関である。

仙台市内に本店をもつ金融機関

括弧内は預金残高(2004年度)と仙台市内店舗数

仙台市には2006年2月27日ローソンローソンATM)、2006年3月1日セブンイレブンイトーヨーカドー仙台泉店(セブン銀行)、2006年3月20日ファミリーマートミニストップイーネット)、のように、市内のコンビニでコンビニATMが設置されている。仙台市へのコンビニATMにより政令指定都市全てにコンビニATMが導入されることとなった。 仙台市は地方中枢都市なので、本来ならば他の政令指定都市が相次いで導入した2~3年前に設置されてもおかしくないはずであったが、隣県の山形県、福島県が導入した後も導入を見送った。これは、七十七銀行と仙台銀行の方針により、「自社の支店でまかなう」としていたからである。(郵便貯金のコンビニ内設置ATMは2005年から仙台駅東口に1軒設置されている)そのため、商業界や若者の利用者からの強い要望により、七十七銀行がセブン銀行(当時:アイワイバンク銀行)との提携に同意し、現在に至る。

なお、七十七銀行指定金融機関公営企業出納取扱金融機関仙台銀行仙台農業協同組合指定代理金融機関となっている。

仙台市内に支店を持つ金融機関

仙台市内第1店舗目は、ほぼ上述の金融街に設置されている。2店舗目以降は、卸売り・流通企業が集中している卸町やその周辺の商業地を含めた宮城野地区(卸町、宮城野、原町、南小泉など)、県庁・市役所・国の出先機関などが集中する官庁街の二日町地区、仙台の副都心である泉中央や長町(富沢・泉崎)、その他、各金融機関の顧客層に合わせて、下町や郊外住宅地に店舗展開している。以下、支店店舗数と本社所在地を付記する。出張所は+で付記する。

教育

仙台は、高等教育機関に通う学生を85,000人以上抱えており、人口に対する学生比率が、政令市等の中では京都市、福岡市、東京23区に次いで4番目に高く、仙台市の行政や地元マスメディアは「学都仙台」を自称している。また、人口に対する大学院生比率も京都市に次いで2番目に高い上、高等教育機関の教員も4,000人近く住んでおり、日本の学術を支える重要な都市の1つとなっている。しかし、東北大学においては、その入学者における地元占有率(東北大では東北地方出身者の割合)が、他の旧帝大のそれと比べて低く、また、仙台市や東北地方にいい就職先が少ないため、卒業者のほとんどが他の地方に流出し、いわゆる「brain drain(頭脳流出)」が激しい。また、工業基盤が薄い仙台市では、研究成果も他の地方に流出し、地場で産業化される例は極めて少ない。近年では、人材と研究成果の流出を抑えるため、産学官共同のベンチャーキャピタルが設立されたが、大きなビジネスに育っていない。

仙台でも、人口増加・経済成長時代に、通勤・通学の便を無視し、広い敷地を求めて郊外に移転した大学・高校があったが、少子化で学生の取り合いをしている現在、および、将来においては、高校・大学の学生の通学や教員の通勤の足として鉄道があるかどうかという事が、学校にとって重要な問題の1つとなりつつある。そのため、鉄道沿線に学校を移転新築したり、近くの路線に請願駅建設するよう申請する高校や大学が出てきている。さらに、建設中の仙台市営地下鉄東西線も、仙台市民の公共交通機関として期待される一方で、計画沿線にある学校の通学通勤路線としての役割も期待されている。

大学

  • 大学数:10校。学生数:47,742人(2004年度)
    • 東京23区および政令市の中で、学生数は8番目、人口に対する学生比率は京都市・福岡市・東京23区に次いで4番目に多い。
  • 短大数:4校。学生数:1,173人(2004年)

仙台都市圏及び山形市の大学は学都仙台単位互換ネットワークという単位互換制度を導入している。

学都仙台単位互換ネットワークについては「仙台都市圏」を参照せよ

国立大学

  • 東北大学
    • 片平キャンパス(放送大学・宮城学習センター併設)
    • 川内北キャンパス
    • 川内南キャンパス
    • 青葉山キャンパス
    • 雨宮キャンパス
    • 星陵キャンパス
  • 宮城教育大学

東北大学は、1907年(明治40年)に東北帝国大学として開学して以来、数多くの研究実績をあげた。東北大学金属材料研究所(通称:金研 きんけん)は、本多光太郎博士による鉄鋼の研究において多大な成果を残している。東北大学電気通信研究所は、光通信の発祥の地であり、八木・宇田アンテナマグネトロンの発明などで知られる。また人材育成面でも2002年ノーベル賞(化学賞)受賞者田中耕一氏(東北大学工学部卒)を初めとして、数多くの優秀な人材を輩出している。近年では「産・学・官」の連携による新たな産業造りの構想もある。

東北大学医学部は、1736年(元文元年)に仙台藩によって設立された藩校である明倫養賢堂養賢堂)にその源流を持つ。明倫養賢堂では、1760年(宝暦10年)に医学教育が開始され、1817年(文化14年)に仙台藩医学校を分離設置。 1822年(文政5年)には仙台藩学校蘭科が開設され、日本初の西洋医学講座を実施した。その後、幕末から明治期にかけて何度も改組・改称を繰り返したが、1907年の東北帝国大学設立後、1912年(明治45年)に同大学に包摂され、最終的に同大学の医学部となる。

宮城教育大学は、戦前は宮城師範学校と称した。戦後に東北大学に合併されるも、1965年に分立した。東北大学と同じ青葉山にあり、附属学校の養護学校も同敷地内にあるが、それ以外の附属学校(幼稚園・小学校・中学校)は中心部の少し北側の上杉にある。

公立大学

県立宮城大学の所在地は黒川郡大和町となっているが、大和町の中心部である吉岡地区から遠く離れ、仙台市泉区との境界線上にある。この境界地区には、文教・先端工業・スポーツ関連施設・大規模住宅団地によって構成される「泉パークタウン」があり、一体的な職住近接地区を形成している。境界の仙台側には、諸々の研究所、仙台ロイヤルパークホテル、仙台白百合学園(幼・小・中・高)、宮城県図書館などがあり、その隣に宮城大学が並びたっている。

太白キャンパス(太白区旗立)は、2005年度より旧・宮城県農業短期大学が、宮城大学食産業学部に改組・合併されたことにより設置された。

私立大学・短期大学

2004年、東北文化学園大学は経営破綻し、大学としては初めて民事再生法の適用を受けた。また、宮城学院女子大学は2001年に、仙台白百合女子大学2003年に短大を閉学し、大学のみとなった。

大学院

  • 院生数:7,481人(2004年度)
    • 東京23区および政令市の中で、院生数は5番目、人口に対する院生比率は京都市に次いで2番目に多い。

上記の大学の多くには大学院が設置されている。以下にトピックになっている大学院について列記する。

山形市に本部を置く東北芸術工科大学の大学院の一部が、仙台駅前にある仙台市の再開発ビル「アエル(AER)」に設置されている。

高校

宮城県仙台第二高等学校
東北学院中学校・高等学校

宮城県の公立高等学校は入学試験(学力検査)で「合格したら必ず入らなければいけない」という独自の規定がある。このため例えば、私立高校を第一志望とし、公立高校を第二志望として入学願書を提出し、私立高校に合格した場合、事前に公立入試辞退届を出すか、公立高校の入学試験においてわざと不合格にならない限りは、受験者の意思に関らず公立高校に必ず進学しなければならない。

宮城県では1949年より県立・市立高校の普通科に限り学区制を導入しており、仙台市においては、泉区・宮城野区・青葉区が仙台北学区、若林区・太白区が仙台南学区となっている。ただし、青葉区の中心商業地(一番町~仙台駅西口一帯 = 五橋中の通学区)、および、宮城野区の仙台駅東口地区(= 宮城野中と東華中の通学区)は北学区に含まれず、南学区に含まれる。このため、住む地区によって進学できる高校は限られる。ただし、学区外受験も受験者の3%以内で許可されている。この仙台市内における南北の学区制は、

  • 北学区:男子校2、女子校1
  • 南学区:男子校1、女子校2

と定員比率上問題があるとされている。このため、北学区の女子が南学区の女子校(二女三女)を受検する場合に限って定員の25%に限って許可する措置がとられている。学区制については、宮城県の教委審議会が学区制の廃止を目指す答申素案をまとめるなど、現在、そのありかたについて検討が行われている。

全国的にも珍しく、別学の公立高校や私服の公立高校が多い。高度経済成長期までは私立も公立も別学校のみであった(東北学院榴ヶ岡高校が移転時に共学化に対応した校舎であったにも関わらず1995年まで男子校だったのはこのため)。これは1960年代に全国的に吹き荒れた学園紛争が大きく影響している。仙台では仙台一高に全共闘が組織されて校内に県警機動隊が導入された。

仙台市内の公立学校の教育レベルは、かつて、全国のなかでも最低水準と言われていた。これは、高度経済成長時代、すなわち、第一次ベビーブーマーが高校進学する年齢になった際、仙台市の人口の急上昇と高校進学率・進学者数の急上昇が起き、その受け入れ先として仙台の場合は新設の公立高校が主な役割を果たしたためである。このとき、公立高は学区制を敷き、それまで仙台一高と宮城一女の2校しかなかった進学校を、北学区は仙台二高と宮城一女、南学区は仙台一高と宮城二女として計4校まで増やした(→宮城県のナンバースクール)。つまり、単に高校を増やしただけではなく、進学校を増やす政策をしたため、進学校の公立高校優位を実現した。一方、私立高校も定員増や学科の新設を行ったが、東京などとの違い、大学進学率向上や有名大学進学を目標とした難関私立学校への脱皮を目指さなかった。このような勢力図のため、学歴偏重主義の否定が始まった80年代以降、公立進学校は公立であるが故に難関大学進学を声高に目標とはせず、仙台の教育レベルの低下を招いた(「一億総中流意識」が浸透した80年代には、学歴が豊かさを生まなくなったため、学歴否定が社会の趨勢となった)。

第二次ベビーブーマーが高校を卒業し終わり、少子化の影響が見え始めた90年代以降、学校運営上、学生数の確保を狙う私立高校が、次々と男女共学化と難関大学進学への投資などを行い始めた。公立の進学校の側では、このままだと私立に進学校の地位を奪われてしまいかねないという危機感が出て、浅野史郎宮城県知事のリーダーシップにより、県立高校全ての共学化が決定されるに到った。しかし、高校の数を減らさずに1クラス分程度の定員減で共学化する政策を提案したため、伝統維持(特にナンバースクール)や校風がなくなるなどの理由により共学化反対の声が大きくなった。例えば、宮城三女高では生徒総会で99%が反対の意を示している。

2005年12月に県議会は2度目となる共学化推進決議を全会一致(4名棄権)で可決し、選挙で共学化の見直しを掲げていた村井知事(県議時代は共学推進の立場だった)も「県議会の意向を尊重する」として、承諾した。これに基づいて県教委も改めて共学化を推進することを確認した。これによって、2010年まで全県立校が共学化される見通しとなった。

※下記学校一覧において、私服校には★印を付記

県立

仙台北学区

仙台南学区

市立

私立

学校により学科・コースにより男子のみ、女子のみとする募集もあり、必ずしも全てにおいて共学校になっているわけではない。

中学校・小学校

2次にわたるベビーブームの結果、児童・生徒数は激増して、市内の小学校は1970~80年代には開校ラッシュに沸いたが、1990年以降、増加は沈静化して通学区域の関係で開校されることはあっても、児童増による開校は少ない。中学校は1996年を最後に開校されていない。また、少子化の影響で70~80年代に開校された小学校でマンモス校と呼ばれた学校では、大きすぎる故の問題を抱えていたが、現在はピーク時の半分~三割以下の児童数となっている所が多く、1学級30人未満でクラス編成をしており、逆に少なさが問題となっている。これは住宅団地にある学校の共通の課題となっている。仙台市は今後も減少する児童・生徒に合わせて「仙台市立小・中学校の一定規模、適正配置に関する基本的考え方及び具体的方策」をまとめて、統廃合することを答申。過疎地以外での小・中学校の廃校が現実味を帯びてきている。

仙台市の場合も他都市と同様、学区制が導入されているが、他都市と比較して越境入学や転校が容易な傾向にある。例えば、A小学校出身で、B中学校の学区内に住んでいても、出身小学校の卒業生が多く進学するA'中学校に変更して入学することが可能である。また、事情により市内の別の学区に引っ越した場合でも、申請すれば中学校卒業まで引っ越す前の学校に通うことが可能である。この他、希望の部活動が学区内の中学校にない場合に申請して近隣の別の中学校に進学したり、いじめや不登校の解決のために引っ越さずに学区外の別の中学校に進学することも可能である。

また、市内全ての公立小・中学校は、2学期制を実施している。全市規模で2学期制を導入したのは仙台市が全国で始めてである。全国的な教育レベルの低下に伴い仙台市の公立学校も学習内容が削減されているが、2学期制の導入により、仕事量の多くなる期末が3回から2回に減って教員の労働環境が改善されたため、本来の児童・生徒への教育に時間を割くことが出来るようになり、往年のような全国ワーストの教育レベルではなくなった。

前述のとおり2学期制・秋休みを導入しているため、長期休暇の期間は以下のように定められている。

  • 夏休み:7月20日ごろから8月24日ごろまで
  • 秋休み:10月中旬の2日間であるが、一部の中学校では市新人大会の日の振替休日を秋休みの前後に組んで5日~7日間のところもある。
  • 冬休み:12月23日ごろから1月7日まで
  • 春休み:3月25日ごろから4月7日まで

国立

いずれも男女共学。

市立

仙台市立の小中学校は、小学校123校、中学校65校と多いため、以下のリンクに分割した。以下、区ごとに市内全小・中学校の一覧を示す。

※小・中学校一覧

私立

聖ドミニコ学院中学校と常盤木学園中学校はいずれも生徒数減のため休校中である。あくまで休校であるため書類上は現在も存在する学校であるが、一般的には現存しない学校、廃校として意識されている。

その他の学校

  • 民間フリースクールは宮城県内に約20カ所
    • 予備校、フリースクール全国チェーン、県内資本、NPO法人などが運営。
  • 宮城県教育委員会による不登校の児童生徒支援施設「けやき教室」は県内8カ所
  • 宮城県内の不登校児童生徒数は、小学校が397人、中学校が2015人(2004年度)
  • NPO法人が運営する「仙台インターナショナルスクール」(フリースクール + 幼稚園)が、2006年1月に資金繰り悪化で開校4ヶ月余で休校となった。

学習塾・予備校

仙台市は公立優位の土地柄のため、中学受験はあまり活発ではなく、高校受験に重きを置いている学習塾・予備校が多い。しかし、首都圏の私立中学や仙台都市圏内に数校存在する私立中学、中等教育学校に対応したコースを併設している学習塾や予備校も少なからず存在する。

以下、仙台市内にある程度の規模を持つ学習塾・予備校について挙げる。

文化

仙台市内にはライブハウスクラブが存在し、アマチュア・バンドやインディーズが活動している。仙台市に拠点を置いて活動する他地方出身のセミプロバンドもおり、全国版のヒットチャートと仙台のヒットチャートとの間に違いが生じるようになった。また、アマチュア演劇も行われており、多数のアマチュア劇団が存在して活動をしている。

仙台市は文化活動、文化事業を「楽都仙台」や「劇都仙台」と標榜してバックアップし、また一方で、地元マスメディアも地元の人材活用をするようになって、バンド・タレント芸能人モデルなどのローカルタレントが増加して、隣県のメディアに進出する者も表れた。そのため、小さいながらも仙台芸能界が形成されつつある。

楽団

仙台フィルハーモニー管弦楽団

  • クラシック音楽専用につくられた仙台市青年文化センター・コンサートホールを本拠とするプロのオーケストラ。本拠の他に、宮城県民会館やイズミティ21でも定期演奏会やコンサートを行っている。

祭り

仙台七夕祭り

最も有名かつ、観客者数の多い仙台を代表する祭りは、仙台七夕祭りである。七夕祭りは藩政時代以来の歴史を持つ祭りで、市中の商店が名誉をかけて華美を競い合い、全国でも類を見ない華麗な七夕祭りになったとされる。東北四大夏祭りの1つに数えられており、中心部商店街では、期間中200万人以上の人出がある。

催事

「市民ボランティアが主体となって開催する」「街を舞台装置とした」「無料の」「屋外音楽祭」が多いのが特色。音楽以外がメインのイベントでも、ステージが設置され、バンド演奏が行われることがある。以下に記載したものの他に、地元テレビ局、自治体、プロスポーツのイベントなども行われる。

(音楽関連)決まった時期に毎年開催(無料。勾当台公園や一番町などが主会場のもの)

10月1日~11月30日に行われる音楽や演劇等の公演を「仙台市芸術祭」という名称で仙台市が後援しており、2004年11月には勾当台公園で野外演劇祭(仙台演劇祭)も行われた。

定禅寺ストリートJAZZフェスティバル(通称『ジャズフェス』)は、全ての音楽ジャンルのプロ・アマに開放された「ストリート音楽祭」である。定禅寺通りを中心に、商店街・公園・駅前など到る所で演奏おこなわれ、街中が音楽に満たされる。演奏者の多様性のみならず、観客の側も演奏者の前で立ち止まって聴いたり、オープンカフェに座って聴いたり、特設のビアガーデンやオープンバーでお酒を飲みながら聴いたりと、多様なスタイルで楽しめる。一般に「音楽祭」や他都市の「ジャズフェス」は有料であるが、仙台の場合は、有志やボランティア、そして市民に支えられているため無料となっている。そのため、「音楽の祭典」としては参加バンド数・観客とも日本最大で、同様の形式のパリなどの「音楽祭(Fête de la Musique)」に肩を並べる。参加バンド数:640、ステージ数:80、観客数合計:63万人(2005年9月。2日間延べ数)

(音楽関連以外)毎年開催(無料。勾当台公園や一番町などが主会場のもの[2]。★:音楽用ステージが設置されるもの)

  • 1月 仙台初売り(1月2日~)
  • 4月 ★せんだいアートフェスティバル(GW中 2日間)
  • 8月 金蛇水神社祭典(8月最終日曜日)
  • 9月 国分町フェスティバル
  • 10月 みやぎまるごとフェスティバル
  • 11月 ★青葉区民まつり(11月3日)
  • 11月 ★一番町まつり
  • 12月 ★SENDAI光のページェント(12月中旬~大晦日)
光のページェント(2005年)

SENDAI光のページェントは、12月中旬から大晦日までの期間におこなわれるイルミネーションの祭典である。定禅寺通り青葉通りのけやき並木に60万個以上の豆電球が飾り付けられ、並木道が大きな光のトンネルと化す。他都市の電飾法が木の枝沿いに豆電球付き電飾コードを巻き付けるのに対し、仙台の場合は枝沿いの他、枝と枝の間に渡らせる方法も取っているため、豆電球の密度が高い。また、風で大きく揺れて、道に立って見ると動的な生きた光の洪水のような印象を受ける。脚本家・内館牧子氏をして「山火事だ...」と言わしめるほどである。例年、期間中は、積雪に見舞われることは少ないが、積雪があると白い雪にイルミネーションが反射して、道全体がぼうっと夜陰に浮かび上がり、更に美しさを増す。光のページェントを空から眺めるナイトフライトも人気がある。

(音楽関連)時期は年によって違うが毎年開催(有料)

  • 荒吐(アラバキ)ロックフェスティバル
    • 仙台都市圏で大規模に行われるJ-POP系野外音楽祭。「アラバキ」 は、古代の東北地方の住民であった蝦夷の土俗神、もしくは、古代の東北地方に住んでいた民族名の1つともいわれる。現在も続く東北地方の民俗信仰 「阿良波々岐明神(アラハバキ神)」 が鎮座する多賀城近くの仙台港で、第1回のフェスティバルが開催されたためにこの名がついた。第2回目以降は、仙台都市圏内の毎年異なった場所で開催されており、2003年は多賀城市、2006年は川崎町で開催された(アラバキとアラハバキは同義。漢字は当て字なので数種ある)。
  • MEGA☆ROCKS
    • 仙台市中心部にある多数のライブハウスが連携して行うライブイベント。
  • 仙台クラシックフェスティバル(せんくら2006)
    • 仙台市営地下鉄沿線の4箇所10会場で、午前から夜まで、3日間のべ101(無料を含む)のクラシック系コンサートを連携して開催するイベント。2006年初開催。1公演あたり45分、1000円でばら売りとなるため、CDの半分の時間の生演奏を1/3の価格で購買するスタイル。地下鉄で移動しながら、複数公演の購買を期待しているものと考えられる。

(音楽関連)3年毎の開催(有料)

  • 仙台国際音楽コンクール
    • 世界の3大音楽コンクールの1つである 「チャイコフスキー国際コンクール」 のジュニア部門 「第2回 若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール」 が、1995年に仙台市で開催された(このときのピアノ部門の2位であった上原彩子が、2002年、「第12回チャイコフスキー国際コンクール」ピアノ部門において、女性として史上初の第1位を獲得した。ピアノ部門での日本人の第1位獲得も史上初)。この開催経験をもとに、2001年から3年毎に、コンチェルト(協奏曲)専門の仙台国際音楽コンクールが開催されている。全世界からバイオリン部門とピアノ部門をあわせて300人以上の応募があり、パリウィーン上海・仙台・ニューヨークでオーディションを行い、仙台での本選は仙台フィルハーモニー管弦楽団の伴奏のもと行われる。

機関・施設

仙台市の文化機関・公共施設は、市が設置・運営しているものの他、市の外郭団体、民間が設立・運営(電力ホールなど)しているものがある。

図書館博物館等の社会教育機関や、ホール・会館・ライブハウスといった公共施設については、仙台市の公共施設一覧を参照のこと。

仙台市博物館仙台市天文台などの社会教育機関は、その社会教育活動や施設を維持するために有料であるが、2002年から仙台都市圏の小中学生を対象にして発行された「どこでもパスポート」を利用すると、土曜日日曜日休日春休み夏休み秋休み冬休みの期間は所持している小中学生に限り無料で利用することができる。

現在、新規に計画されている公共施設は、仙台駅東口にミュージカル(主に劇団四季)用劇場、西公園に能楽堂の計画がある。なお、長町副都心に音楽堂を設置する計画があったが現在は凍結されている。

グルメ

仙台は三陸の魚介類は勿論、各種農作物の産地に近く、新鮮な食材の料理を楽しむ事が出来る。特に、牛タン料理の店は街中にあることで有名であり、洋食レストランでタンシチューなどを作っていた店主が、仙台に戻り独立した際、安価で牛タンを楽しんでもらえるものとして、牛タン炭火焼きとテールスープ、麦飯を定食として出したのが始まり。米どころでもある。仙台駅は駅弁の種類が日本で最も多い駅である。これについての詳細は仙台駅の項目を参照。ラーメン店も多いが、東京ラーメン喜多方ラーメンの影響が強く、仙台ラーメンと称するものはそれらの折衷版である。地元資本のもっとも有名なラーメン店は五福星(うーふーしん)である。これは日本テレビの大晦日のラーメン特番で放映されたのをきっかけに、全国から客が来るようになったが、2006年に中心部から泉区野村に移転した。また、めしのはんだやは、安い定食屋として多くの人に愛されている。

牛タン炭火焼き定食

旬の味覚・季節料理

仙台発祥の料理

レゲエ・パンチ」は、国分町発祥のカクテルといわれている。


宮城県の有名な日本酒といえば「浦霞」と「一ノ蔵」があるが、仙台の「勝山」や「天賞」なども根強い人気がある。最近は、石巻の「墨廼江」や「日高見」、山形県の「十四代」や「初孫」、青森県の「田酒」などの人気が上がっている。
宮城県の地ビールとして、「松島ビール」「北緯39゜麦酒」「鳥の海」「仙南クラフトビール」「やくらいビール」「鳴子の風」がある。大手メーカーでは、麒麟麦酒の工場が仙台港にある。
『日本のウイスキーの父』と呼ばれる「竹鶴政孝」が創始したニッカウヰスキーは、国内に二箇所の蒸留所を持っているが、その内の一箇所が仙台市青葉区、広瀬川上流の新川(にっかわ)河畔にある「宮城峡蒸留所」である。「シングルカスク」と呼ばれる最高級ウイスキーのいくつかはここでしか入手できない。

名産

芋煮会

仙台の秋の風物詩として、芋煮会がある。芋煮会は、河原などの野外において、家族や友人、学校や職場の仲間が集まって、大鍋に汁をつくって食べる季節行事である。この習慣がある地域では、花見と同じくらい重要な年中行事として扱われている。10月から11月にかけて行われる。(詳しくは芋煮会の項目を参照)

仙台の芋煮は、里芋と豚肉を主な具として味噌で味付けする、いわゆる豚汁タイプが一般的であるが、魚やジャガイモをいれるものもある。また、参加する人数が多くなると、仙台風の芋煮の他に、牛肉・醤油味の山形風芋煮、キムチチゲ(鍋)、バーベキューや鉄板焼きなどを加えて作ることもある。芋煮のための大鍋は、スーパーやコンビニエンスストアで借りることが出来、薪も買える。シーズン中は、材料の下ごしらえがされた芋煮セットがスーパーや大学生協などで売られているので、忙しい人たちも簡単に芋煮会をすることが出来る。また、仙台近郊のキャンプ場では、全ての材料・鍋・薪が準備されていて、あとは火をおこして煮るだけの芋煮会パックというサービスもある。

なお地元の人の間では、芋煮と豚汁は明確に区別されている。

「センダイ」と名の付く動植物

坂庭清一郎が仙台市で、ヤエベニシダレとソメイヨシノとを交配して作ったの一品種。八重咲き。
本種は、ロシア人のカール・ヨハン・マキシモウィッチ博士によって命名された。紀伊半島、四国、九州に自生し、仙台市には自生しない。
石田名香雄(元東北大学総長)らにより東北大学医学部で発見された。細胞融合を起こすウィルスとしてバイオテクノロジーの分野で重要視されている。最近は、遺伝子治療において、導入する遺伝子を目標組織の細胞に運ぶベクターとして有望視されている。

仙台を舞台にした作品

明確に仙台を舞台としていないが、情景描写として東北大学薬学部医学部、およびその周辺などが用いられている。映画版では仙台を舞台としていない。著者は、執筆当時に東北大学大学院薬学部研究科博士課程に在籍していた。

紀行文・俳諧

作中では「杜王町」との表記。「杜の都」仙台をもじったものと思われる。作中には勾当台や牛タンといった地名や名物、さらには仙台に実在する店までが登場する。
中学校編までは東京の下町、中学卒業後からは仙台を舞台にしている作品である。同作品では仙台城址青葉山公園や隅櫓が忠実に描かれており、作中に出てきた青葉高校は東北大学の近くに立地する宮城県仙台第二高等学校をモデルにしている。(正門の風景、弓道場は仙台二高のそれとほぼ同一である、なお、作中の青葉高校が2007年度時点で男女共学、制服制であるのに対し、仙台二高は男子高、私服制である。ただし作中の設定である2007年より共学化することが決定した)

楽曲

市民の言葉

  • 仙台市や宮城県の方言として仙台弁があるが、「支店経済都市」ゆえ転勤族が多いという事もあり、若い世代を中心に共通語標準語の影響が強い。

スポーツ

プロスポーツ

仙台市に本拠地を置くプロスポーツチーム

以上の3チームが仙台市に本拠を置いている。ベガルタ仙台は観客動員数はJ2内でトップ、J1と比較しても中位くらいの人気球団である。ベガルタ仙台や楽天イーグルスの試合運営は、市民ボランティアによって支えられている。

仙台市を準本拠地とするチーム

バレーボールのVリーグは、従来、全国各地を巡回しながらの「集中開催方式」をとってきたが、近年、それぞれのチームの練習場がある都府県を中心に「ホームゲーム」を公式に標榜しながら開催する方式も一部採用するようになってきた。その流れの中、府中に練習場がある男子VリーグのNECブルーロケッツが、2004-05年シーズンから仙台を "準本拠地" として「ホームゲーム」を開催し始め、2005~06年シーズンでも「ホームゲーム」の半分(3試合)を仙台で開催することとなった。また、川崎に練習場がある女子VリーグのNECレッドロケッツも、2005~06年シーズンから仙台で「ホームゲーム」(1試合)を開催することになった。但し、この2チームの仙台での「ホームゲーム」は興行的意味合いが強く、仙台に地域密着をしているとは言い難い。そのため、市民全体に浸透するかどうかは未知数である。なお、NECブルーロケッツの主将の大村悟と、NECレッドロケッツのエースにして全日本のエースでもある大友愛の2人は、仙台の出身である。なお、Vリーグは社会人リーグ(実業団+クラブ)であるが、プロ契約選手が存在し、プロスポーツに準じた興行をしている。

2005年7月、みちのくプロレス(略:みちプロ)が盛岡から仙台に本拠地を移した。同時に、女子プロレス団体の SENDAI Girls' Pro-Wrestling(仙台女子プロレス。略:仙女)を立ち上げた (プロレスがスポーツなのかエンターテインメントなのかは議論がある)。また、プロではないが、JFL所属の社会人チームソニー仙台サッカー部(本拠地:多賀城市)も存在する。なお、東北六県に跨がるプロ野球の独立リーグ東北ベースボールアカデミーリーグ」が、2006年度から始動する予定になっていたが、宮城県側の準備不足のため設立を断念した。

仙台と山形のライバル関係

仙台市と山形市との間には、奥羽山脈蔵王連峰)という大きな自然障壁が存在するため、古代から近世にかけては、それぞれの住民がお互いを意識することは無いに等しかった(明治時代までは、二口峠を越える秋保街道が主要連絡道)。しかし、明治以降、仙山線・国道48号・国道286号・山形自動車道と次々と連絡経路が造られ、仙台が政令市になる時の合併でお互いの市域が隣接するに到り、交流関係が深まっていった。その過程で、特にスポーツの試合においてライバル関係になっていった。

仙台都市圏山形県村山地方との間の「双子都市化」を背景として、両地域間のスポーツ交流が盛んになると同時に、激しいライバル関係にあるチームが出てきた。特に、J2公式戦において、ベガルタ仙台モンテディオ山形との間で行われる東北ダービーみちのくダービー)は、スタジアムが満員になる程の観客数を呼び込むJ2最大のカードとなっている。2006年は計4試合の東北ダービーが行われる。両チームのサポーターの間での応援合戦は激しく、試合自体も白熱する。

また、スポーツの種類の垣根を越えて、仙台と山形にそれぞれ本拠を置くプロスポーツチームが一緒になって、イベントなどを開こうと模索されている(東北地方に本拠地を置くプロスポーツチームは、仙台3チーム、山形2+1チームの計5+1チームのみ。ただし、他県にもクラブチームとして地域に根ざしているチームが幾つかある)。

(参考)山形市に本拠地を置くプロスポーツチーム

仙台とプロ野球

仙台フランチャイズ時代のロッテオリオンズ

19731977年に、ロッテオリオンズが、仙台を事実上のフランチャイズとして使用していた。(1973年には東京に地域権があったため準本拠地扱い。1974年から正式に仙台に本拠地が移った)しかし、これは1972年東京スタジアムが閉鎖された同チームが、東京近郊に新しいホームスタジアムが完成するまでのつなぎという意味合いが強く、1978年大洋ホエールズが撤退した川崎球場川崎)に移転したが、それ以後も準本拠として多い年では年10試合程度使用された。

ライブドアの仙台本拠地宣言から楽天承認まで

2004年9月16日インターネット関連企業「ライブドア」の100%出資子会社「ライブドアベースボール」が日本野球機構(NPB)に加盟申請。新球団の本拠地を仙台県営宮城球場)とする発表が出された。仙台市民や浅野史郎・宮城県知事(当時)は、「やっと仙台にもプロ野球チームができる」と、応援した。

2004年9月22日、同じくインターネット関連企業「楽天」も本拠地を仙台にするという声明が出された。この声明によって、仙台市側は、嬉しさの反面、プロ野球球団が混在する状態になるため混乱するという声も上がっていた。

2004年11月2日、プロ野球オーナー会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスの加盟が正式承認された。

詳細についてはプロ野球再編問題 (2004年)を参照。

アマチュアスポーツ

高校や大学のスポーツでは、バレーボールバスケットボールフィギュアスケートアイスホッケーゴルフなどに全国レベルの強豪校が存在する。野球では東北高校や仙台育英学園高校や東北福祉大学などの強豪校がある。2004年の都道府県出身地別プロ野球選手数において、宮城県は14人で全国19位。また、仙台以外の出身であっても、アマ時代に仙台の高校や大学でプレーし、後にプロ野球選手となって活躍している金本知憲嶋重宣ダルビッシュ有和田一浩など、スポーツにおける門戸開放が進んでいる。その他、市民の間では、サーフィンボディボードスキースノーボードなども盛んである。

  • 1947年 : ベスト4 仙台二中
  • 1959年 : ベスト4 東北高校
  • 1989年 : 準優勝 仙台育英学園高校
  • 2003年 : 準優勝 東北高校
  • 東北福祉大学 : 優勝 2回(1991、2004)、準優勝 6回(1987、1988、1990、1995、2000、2005)

2002年、仙台東リーグ選抜チームが、全日本リトルリーグ選手権全国大会で優勝。日本代表としてアジア太平洋地区大会に出場して優勝。アジア太平洋地区代表として世界選手権・国際グループに出場し優勝。世界一をかけ、アメリカ代表とワールドシリーズを戦い、0-1で負け、準優勝に終わる。2004年も全日本リトルリーグ選手権全国大会で優勝し、日本代表としてアジア太平洋地区大会に出場したが、世界選手権出場の切符は逃した。

市内の高校・大学出身のスター選手

仙台は、食べ物に恵まれ、年間を通して過ごしやすい気候であるため、仙台の人々は温和でノンビリしており、大学進学やスポーツの面で昔から「競争心に欠ける」と言われてきた。しかし、近年のスポーツ界では、スター選手を輩出する都市になっている。2004年の地方別プロ野球選手数では、関東地方近畿地方の都市には遠く及ばないが、チームの中心選手やスター選手として活躍する者や、野球以外のスポーツで活躍しているスター選手もいる。

仙台の三大「あいチャン」
プロ野球のスター選手

など。

その他のスター選手

スポーツイベント

プロスポーツ 国内ツアー

プロ カーレース 国内ツアー

プロ バイクレース 国内ツアー (スポーツランドSUGO - 村田町)

スポーツ施設

プロスポーツ・大規模大会用

仙台市近郊

その他

余録

  • 仙台市内に仙台ハイランド、隣接する村田町にスポーツランドSUGOと2つのサーキット(双方とも仙台駅から25km程度)を抱えているため、市民にはモータースポーツ愛好者がいる。
  • 仙台は雪質がそれほどよくなく、暖冬の年にはスキー場の積雪が充分でないため、全日本や国際大会は開かれない。しかし、仙台はスキースノーボードが盛んな地域であるため、中心部から車で1時間程度で行けるスキー場では、深夜までナイター営業をしており、アフター5でも充分に楽しめるようになっている。また、週末に24時間営業を行っているスキー場もあり、スキー場での音楽イベントや花火などを楽しんだり、早朝の引き締まった雪を味わったりと、多様な楽しみ方が出来る。
  • バレーボール日本代表等を応援する時に会場に響く「ニッポン・チャチャチャ!」は、仙台が発祥地と言われている。
  • 1897年(明治30年)頃、イギリス人宣教師のデヴィソンが、旧制二高(現在の東北大学)の田代さんにフィギュアスケート仙台城三の丸のお堀の五色沼で伝えたといわれ、仙台はフィギュアスケートの発祥地といわれている(日本ではじめてスケートが行なわれたのは札幌であり、1877年札幌農学校のアメリカ人教師ブルックスが紹介したのが最初だと言われている)。五色沼では、1931年(昭和6年)に全日本選手権も開かれたりもしたが、現在は、冬季の気温が上がり、充分な氷が張らなくなったため、五色沼でスケートはできなくなった。
  • 2002年6月、ワールドカップサッカーに出場するイタリア代表チームが、仙台市にキャンプを構え、約1ヶ月滞在した。イタリア国内リーグ・セリエA人気のため、多くの人とマスコミが見学に殺到した。イタリア代表の仙台キャンプ、江戸時代支倉常長ローマ教皇謁見、宮城県とローマ県の姉妹県などの縁から、「仙台カップ国際ユースサッカー大会」が生まれた。
  • 2003年9月、女子プロゴルフツアー「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント」 にて、東北高校3年の宮里藍がアマチュアながら優勝し、翌月プロ宣言。史上初の女子高生プロゴルファーとなった。
  • 2005年7月、女子バレーボール・ワールドグランプリ2005の決勝ラウンド仙台大会が仙台市体育館で行われた。宮城県出身者が4人も代表に選ばれ、山形出身の高橋みゆきも活躍した。会場は連日満員となり、テレビ放送も高視聴率を得た。仙台出身の大友愛や、岩沼出身の菅山かおるがチームの柱として活躍し、全国的に人気を博した。
  • 2006年8月19日から9月3日にかけて、2006年バスケットボール世界選手権が日本で開催される。仙台市体育館が、グループゲームラウンドの会場の一つになっている。

交通

空港

仙台空港

仙台空港は、仙台市に隣接する名取市とその隣の岩沼市に跨って位置する。滑走路は3000m。札幌、函館、成田、名古屋、大阪(伊丹)、小松、広島、福岡、那覇へ向かう国内定期路線と、ソウル、長春、大連、北京、上海、グアム、台北へ向かう国際定期路線が運行されている。セスナおよびヘリコプターによる遊覧飛行(仙台上空・松島上空など)の離着陸地としても利用されている。仙台駅と仙台空港間は仙台市営バスが運行するエアポート・リムジンバス(空港特急バス)でおよそ40分。現在、東北本線名取駅と仙台空港を結ぶアクセス鉄道(仙台空港鉄道仙台空港線)が建設中であり、2006年度末の開業を予定している。

鉄道

仙台駅を中心に路線が放射状に存在する。旅客輸送については、東日本旅客鉄道(JR東日本)と仙台市交通局仙台市営地下鉄)の2事業者があり、私鉄は存在しない。以前は宮城電気鉄道仙台鉄道秋保電気鉄道といった私鉄の路線も存在したが、宮城電気鉄道は戦時買収により国鉄(現JR)仙石線となり、後2社の路線は廃止された。また、日本貨物鉄道(JR貨物)と仙台臨海鉄道の2事業者が貨物輸送を行っている。各線の詳細はそれぞれの路線の項目を参照。

東日本旅客鉄道(JR東日本)

東北新幹線の全列車が停車する。上りは朝夕が9~15分おき、日中は約20分おき。下りは速達型のはやてこまち、各駅停車のやまびこが日中それぞれ1時間おきの運行頻度となっている。東京駅~仙台駅は最速で1時間36分。
仙台駅を境に南北で運転系統が分かれている。上りのラッシュ時は4分~10分おき、日中は15~30分おきの運行となる。下りは、朝夕が4分~20分おき、日中は20分おきとなる。上野駅札幌駅を結ぶ寝台特急北斗星カシオペアも停車する。2007年春、仙台市太白区太子堂に新駅(太子堂駅)が開業予定である。
  • 常磐線 (南仙台駅 - 長町駅 - 仙台駅)
常磐線の列車は岩沼駅から東北本線経由で仙台駅まで直通する。毎時1~2本の運行である。特急スーパーひたちが1日4往復運行されている。仙台駅に乗り入れる唯一の昼行特急列車である。
愛子まではラッシュ時15分おき、日中は20~40分おきに運行されている。愛子から先は普通列車快速列車合わせて1時間おきの運行で、日中は快速列車中心の運行形態となっている。沿線の人口増加によって利用者も増加しているが、単線であることから輸送容量は限界に達しており、列車の増発は困難となっている。2007年春、北山駅と国見駅の間に新駅(東北福祉大前駅)が開業予定。
仙石線 宮城野原駅 : 宮城球場に最も近い出入口は、楽天イーグルス仕様になっている
仙台市内の他のJR線に比して駅間距離が短く列車の運転も多い。国鉄時代には地元住民から「国電」と呼ばれ、当時から通勤路線として高頻度の運転がされていた。首都圏などと同様4ドアの通勤形車両が走り、朝夕の混雑は激しい。ラッシュ時は4分おき、日中は7分~14分おき(あおば通・仙台口にて。快速を含む)の運行である。市街地付近は地下化され仙台駅の西のあおば通駅まで路線が延伸された。
南北線 勾当台公園駅 : 定禅寺通り側、円形広場横の出入口
ラッシュ時3~5分おき、日中7分おきの運行であり、仙台圏のなかでは最も高頻度の運行を行っている。すべて普通列車である。泉区への唯一の軌道系公共交通である。仙台駅から長町駅の区間はJR東北本線と併走し、実質的にその緩行線のような機能を担っている。これは東北本線が長距離列車主流であった時代に、市内交通を担っていた仙台市電の代替として計画された経緯による。
  • 東西線(建設中・2015年開業予定)
八木山動物公園八木山ベニーランドを有する八木山地区と現在宅地開発が進む荒井地区を結ぶ仙台市第2の地下鉄路線となる。車両は鉄輪式リニアモーターカーが採用される予定。車両規格の違いからJR在来線・地下鉄南北線との直通運転は不可能。

日本貨物鉄道(JR貨物)

  • 東北本線宮城野貨物支線
貨物専用の路線。鉄道貨物のターミナル宮城野駅はこの貨物線上に位置する。同線を宮城野駅共々旅客化する構想が一部で持ち上がっているが、現在のところ、旅客化に向けての具体的な動きは無い。
  • 臨海本線・仙台埠頭線・仙台西港線
貨物専用の路線。過去、何度か仙台港博覧会が開催された際に、臨時の旅客輸送を行った。

船舶

太平洋フェリー運航のフェリーが就航している。名古屋航路と苫小牧航路がある。苫小牧航路は原則として毎日就航しているが、名古屋航路は隔日就航。仙台駅と仙台港は路線バスでおよそ40分。

バス

仙台市は面積が広いため、全ての地域に鉄道網が十分にいきわたらず、公共交通機関としてのバスの役割が大きい。仙台市内を走るバスとして、以下のバス事業者がある。

仙台市交通局・宮城交通共通のバスカードは、そのプレミア率の高さから利用者が多い(5000円→5850円)。企業によっては定期券ではなく、バスカードにより通勤手当を算出するところも多い。なお、このバスカードは市営地下鉄の乗車には使えず、バス専用の磁気式乗車カードである。地下鉄と共通で使えるものとして、ジョイカード(5000円→5500円)がある。

高速バス・特急バス

「路線高速バス」の乗り場は、宮城交通とその系列会社(東日本急行)が広瀬通、JRバス東北富士交通が仙台駅東口にある(一部を除く)。仙台~東京間の「定期ツアーバス」をそれぞれ運行する数社の乗り場は、仙台駅東口の代々木ゼミナール前にある。

山形行、福島行の便は1時間に3本以上あり、料金も割安で特に便利である。山形行きのバスは、山形自動車道開通前から一般道経由の特急バスとして運行していたため、「路線高速バス(都市間高速バス)」ではなく、現在も「特急バス」として運行されている。詳しくは特急バス仙台山形線を参照。

道路

高速道路

仙台市とその周辺市町村には、「1環状5放射状」の高速道路網が広がっている。

仙台都市圏の高速道路網については 「仙台都市圏」を参照せよ

東北自動車道浦和本線料金所から仙台宮城ICまでの距離は332.4km、料金は普通車7200円。東京からの距離・時間と青森からの距離・時間はほぼ同じである。

東北自動車道と仙台南部道路は、仙台南ICで接続している。現在は仙台南ICの旧料金所の廃止によってJCT化された。東北道⇔仙台南部道路との連絡に関しては実質的には「仙台南JCT」として機能している。また、三陸自動車道、仙台東部道路、仙台北部道路方面とは、仙台南部道路を経由することによって連結している。

一般国道・宮城県道

市街地の主な道路

仙台市の中心部(市街地)は一部地域を除き、ほぼ碁盤の目のように道路が整備されているが、そのほとんどの道路には道路愛称および歴史的な通称が一般的に使われている。以下、独立した記事になっているものを掲載する。

仙台市は歴史的町名等活用推進事業を行っており、その一環として歴史的町名を書いた辻標や通り看板を立てている。
  • 北一番丁通り、北二番丁通り、北三番丁通り、北四番丁通り、北五番丁通り、北六番丁通り、北七番丁通り、北八番丁通り、中杉山通、元柳町通り、姉歯横丁、北材木町通り、長刀丁通り、石切町通り、北山町通り、南光院丁通り、柳町通、江戸町通り、狐小路、新坂通 、大町通り、教楽院丁通り、二本杉通、連坊小路、小田原車通 、外記丁通、小田原金剛院丁通り、光禅寺通、支倉通、小田原大行院丁通り、勾当台通、八幡町通り、小田原長丁通、米ヶ袋鹿子清水通、半子町通り、小田原広丁通り、米ヶ袋十二軒丁通り、東一番丁通り東二番丁通り、東三番丁通り、東四番丁通り、東五番丁通り東六番丁通り、東七番丁通り、東八番丁通り、東九番丁通り、小田原山本丁通り、米ヶ袋中坂通、大仏前通り、表小路、肴町通り、猿曳丁通り、花京院通、新伝馬町通り、覚性院丁通り、杉山通、鍛冶屋前丁通り、片平丁通り、田町通り、空堀丁通り、滝前丁通り、南六軒丁通り、北五十人町通り、土樋通り、宮町通り、堤通、神子町通り、角五郎丁通り、茂市ヶ坂、同心町通、本荒町通り、土橋通、元鍛冶丁通り、本材木町通り、名掛丁通り、元寺小路、中島丁通り、本櫓丁通り

観光地

せんだいメディアテーク

「杜の都」と呼ばる仙台には、名所や旧跡、景勝地がある。また海の幸・山の幸に恵まれており、美味しい料理を味わうことが出来る。市内観光には市交通局が運行する、市内周遊観光バス「るーぷる仙台」が便利である。市街地から車で30分もあれば、郊外へ出ることが出来る。秋保温泉作並温泉は「仙台の奥座敷」と呼ばれ、江戸時代からの名湯である。松島にも近いため、観光ツアーや旅行ガイドブックでは「仙台・松島」と一緒に組まれる事が多い。福の神仙台四郎グッズを扱う店は、一番町や中央通り商店街、仙台駅地下などにある。

名所・名勝

仙台城址の整備は長らく市民の悲願であり、現在は石垣の整備および、三の丸跡から本丸跡への観光ルートの整備が行われている。2006年3月に、本丸に小規模なガイダンス施設「仙台城見聞館」がオープンした。仙台城の大手門を復元しようという計画もある。現在の仙台城本丸は、眺めはよいものの、石垣と伊達政宗銅像があるのみである。天守閣はもともとない。大手門の位置にあった大手門脇櫓(わきやぐら)が復元されており、これのみが城らしい建物である。脇櫓は市民の間では隅櫓(すみやぐら)と呼ばれ、これと大橋が現在の仙台城のシンボルである。脇櫓の向かいに林子平の銅像と阿部次郎記念散歩道の案内がある(外部リンク「歴史と文化の散歩道」参照)。隅櫓近くの、東北大学川内記念講堂周辺の散歩道は快適である。東北大学植物園内にも遊歩道や遺跡がある。

ループル仙台バス 国際センター向かい 大橋近く(2005年7月)
仙台城隅櫓(2003年11月)

隅櫓の下にある仙台市博物館は充実している。国際センターはこの向かいであり、宮城県美術館も近い。市街地から大橋を渡り博物館と隅櫓を見れば、城らしい雰囲気を味わうことはできる。隅櫓から本丸までは、博物館裏から徒歩であがることができるが、かなりの坂道を20分ほど歩く。ループル仙台バスを利用した方が良い。観光には瑞鳳殿か、商店街の一番町通り、けやき並木の見事な定禅寺通り青葉通りの方が見ごたえがある。定禅寺通りには、仙台市の「彫刻のあるまちづくり」事業の一環として、遊歩道となっている中央分離帯に彫刻がある(外部リンク参照)。定禅寺通りにあるせんだいメディアテークは、市民図書館や仙台市に関する映像ライブラリー、スタジオ、ネット閲覧コーナー、インフォメーション、カフェなどがあり、一番町や市役所にも近く便利である。

ライトアップされている建築物

宗教施設

「じょうぎ」と読むのが正式らしいが、仙台弁ではイとエが曖昧なので、「じょうげ」と読む人が多い。通称:「定義山」。寺のマスコットキャラクターは 「浄土くん」。板状のものと3Dのものがいる。参道に小規模ながら門前町があるのでデートスポットにもなっている。三角あぶらげが名物。
  • 仙台ハリストス正教会
東方正教会(ギリシャ正教)の一派であるロシア正教の教会。日本ハリストス正教会ではイエス・キリストを、ギリシャ語ロシア語由来の読み方で 「イイスス・ハリストス」 と読むため、この名前になっている。当教会は、東京大主教区(主教座:東京)、東日本主教区(主教座:仙台市)、西日本主教区(主教座:京都市)の三主教区からなり、仙台の教会は東日本主教区(北海道・東北地方)を管轄している。

レジャー

公園・緑地

仙台市では都市の緑化と緑地公園・森林公園に力を入れている。都心部を囲む水田地帯、広瀬川の河川敷、小さな山などを含めてグリーンベルトと見なし、条例で開発を規制している。生垣にも助成金を出している。ブロック塀を減らすことで地震対策としている面もある。これは1978年の宮城県沖地震の際、ブロック塀が崩れ、その下敷きとなり多くの犠牲者を出した反省に基づいている。


出身有名人

文化人

作家・小説家


漫画家

学者・科学者

政治家・軍人・経済人


歴史上の人物


芸能人・音楽家等


仙台ローカル・キャラ(地元密着キャラ)

スポーツ選手

宮城県出身の有名人一覧も参照のこと

関連有名人

文化人・科学者(現代)

文化人・科学者・政治家・軍人(戦前まで)

芸能人・音楽家

仙台の主な芸能関係事務所

スポーツ選手

その他

  • 市制記念日:4月1日
  • 市外局番は、1962年~1986年の間は「0222」、1986年以降は「022」[3]
  • 郵便番号(括弧内は集配局)
    • 青葉区
      • (旧仙台市)980(仙台中央) 981(仙台北)
      • (旧宮城町地域)989-31(愛子) 989-32(大沢) 989-34(作並→愛子に変更予定)
      • 折立他一部 982-02(仙台生出→新仙台)
    • 宮城野区 983(仙台東)(港5丁目のみ985 (塩竈))
    • 若林区 984(若林)政令市になる前は982であった。
    • 太白区 982(仙台南→新仙台)
      • (南仙台地区)981-11(仙台中田→新仙台)
      • (旧生出村・秋保町地域など)982-02(仙台生出→新仙台)秋保町地域については、編入前は981-33であった。
    • 泉区 981-31(泉) 981-32(泉西) 981-80(仙台北)
  • 現在、宮城県内の自動車ナンバープレートの地名表示は「宮城」のみであるが、いわゆるご当地ナンバー制度により、2006年10月10日から「仙台」ナンバーが導入される。「仙台」ナンバーを取得できる車は、仙台市内に車庫登録をしている車となっている。

外部リンク

関連項目


このページはウィキプロジェクト 日本の市町村のテンプレートを使用しています。

また、

この記事は、下記のページに内容を分割しています。このテーマに関する情報については、それぞれのページをご参照ください。
※このテンプレートは過去の議論により既に廃止されており、現在は使用すべきではありません。
詳細はTemplate‐ノート:ポータルWikipedia:削除依頼/Template:ポータルをご覧ください。