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ドロテーア・シュレーゲル

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ドロテーア・シュレーゲル

ドロテーア・シュレーゲルDorothea Friederike Schlegel, 生名 Veronica "Brendel" Mendelssohn, 1763年10月24日 - 1839年8月3日)は、ドイツロマン主義時代を代表するユダヤ系の女流作家文芸評論家(ただしキリスト教徒)。同時代のドイツロマン主義を代表する評論家フリードリヒ・シュレーゲルの妻であることでも有名で、同時代の哲学者・文学者とも親交があり、影響をあたえた。父親は、ドイツ啓蒙主義を代表する哲学者・モーゼス・メンデルスゾーン、前の夫は銀行家ジーモン・ファイトSimon Veit)であったので、ドロテーア・ファイトの名でも知られている。

ドロテーア・ファイトは、高名なユダヤ系哲学者、モーゼス・メンデルスゾーンの次女 としてベルリンに生まれた。ユダヤ風の名前ではブレンデルと呼ばれた。父親が有名な学者であったことあり、絵画ピアノフランス語を幼少時から教えられた。そして、父親の勧めで、それまでほとんど会った事もない1778年に銀行家のジーモン・ファイトと結婚した。彼女がまだ15歳の時である。1790年に、ヨーナス・ファイトが、1793年にはフィリップ・ファイトが生まれたが、夫ジーモンは芸術にも文学にも疎く、関心すら示さなかったのは、彼女にとって苦痛であった。そんな中、当時の精神世界の基盤にもなっていたベルリンにあるサロンへ行くことにより、新境地を拓こうと考えた。中でも、彼女が出入りしたヘンリエッテ・ヘルツ(哲学者イマヌエル・カントの弟子、マルクス・ヘルツの妻)サロンは、高名な哲学者・文学者が出入りし、影響も大きかった。

・・・続く