コンテンツにスキップ

バハラーム4世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年12月24日 (土) 03:33; WEWEE (会話 | 投稿記録) による版 (→‎外部リンク)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
バハラーム4世
ペルシア君主
在位 388年 - 399年

死去 399年
王朝 サーサーン朝
父親 シャープール3世?
宗教 ゾロアスター教
テンプレートを表示

バハラーム4世Bahram IV, ? - 399年)は、サーサーン朝ペルシア帝国の第12代君主(シャーハーン・シャー、在位:388年 - 399年)。登極する前はケルマーンの王であった。

概要

[編集]

この時代のサーサーン朝はローマ帝国同様、フン族など遊牧民の侵入に苦しんだことは分かっているが、詳細な記録に乏しく、はっきりしていない。ケルマーン地方には、アルダシール1世が東方のスィスターン地方からの防衛拠点として築いた「ウェフ=アルダフシール」という要塞があった。バハラーム4世は遊牧民対策に功を挙げて推挙されたとも考えられるが、本来は君主位に近い人物ではなかった。少なくともあっさり君主となったとは考えにくい。

バハラーム4世はアルメニアへの干渉を強め、クースロ王を幽閉、自分の兄弟であるバハラーム・シャープールを王位に就けた。ローマ皇帝テオドシウス1世384年の平和条約を盾に援助要請を退け、干渉はしなかった。

399年、反逆者によってバハラーム4世は暗殺された。

外部リンク

[編集]
先代
シャープール3世
サーサーン朝の君主
第12代:388年 - 399年
次代
ヤズデギルド1世