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郭建成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
郭 建成
Chien-Cheng Kuo
基本情報
国籍 中華民国の旗 中華民国
出身地 台湾省高雄市
生年月日 (1965-07-07) 1965年7月7日(59歳)
身長
体重
180 cm
95 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1989年
初出場 NPB / 1990年5月24日
CPBL / 1993年3月12日
最終出場 NPB / 1991年8月7日
CPBL / 1996年10月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 天津ライオンズ (2005)
国際大会
代表チーム チャイニーズタイペイの旗チャイニーズタイペイ
五輪 1988年

郭 建成(クォ・チェンチャン、かく けんせい、Chien-Cheng Kuo1965年7月7日 - )は、台湾中華民国)の高雄市[1]出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

来歴・人物

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高校時代は選抜チームのエースとして世界大会優勝。1988年ソウル五輪台湾代表選手にも選出される[1]。栄民工程所、中華民国空軍野球部(虎風棒球隊)を経て、1989年ヤクルトスワローズに入団[1]

入団初年度の1989年は外国人枠の関係から一軍登板はないもののイースタン・リーグ最優秀救援投手を獲得した[1]

1990年フロイド・バニスターの退団により外国人枠が空いたことで一軍デビューするも決め球である速球スライダーは一軍では通用せず、日本では未勝利に終わり、1991年10月4日に退団が決定した。

台湾に帰国後は1992年から中華職業棒球聯盟(CPBL)の時報イーグルスに球団創設メンバーとして所属し、2度の最多セーブを獲得するなど主力投手として活躍するが、1997年「黒鷹事件」と呼ばれる野球賭博に絡む八百長事件により逮捕され実刑判決を受ける[1]

台湾プロ野球界から追放された郭は、出所後の2002年中国大陸に渡り、中国野球リーグ天津ライオンズで現役復帰。2009年現在、これは現役選手として台湾籍選手が同リーグでプレーした唯一の事例である。2005年シーズンは兼任コーチとしてプレーした後退団。また、2002年インターコンチネンタルカップ中国代表コーチとしても選任されている。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1990 ヤクルト 17 10 0 0 0 0 4 0 -- .000 267 60.0 72 10 19 0 0 30 0 0 39 33 4.95 1.52
1991 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 24 5.0 8 0 1 0 0 2 0 0 5 5 9.00 1.80
1993 時報 37 23 18 2 2 9 17 3 0 .346 924 224.0 228 12 46 4 6 108 6 0 101 80 3.21 1.22
1994 55 1 1 0 1 7 6 23 0 .538 495 117.0 123 5 26 6 3 58 2 0 45 38 2.92 1.27
1995 55 1 0 0 0 10 8 17 0 .556 510 121.2 141 8 18 3 3 54 2 0 62 55 4.07 1.31
1996 42 5 0 0 0 3 5 13 0 .375 380 83.2 113 6 18 2 2 36 5 1 61 51 5.49 1.57
NPB:2年 21 10 0 0 0 0 4 0 -- .000 291 65.0 80 10 20 0 0 32 0 0 44 38 5.26 1.54
CPBL:4年 189 30 19 2 3 29 36 56 0 .446 2309 546.1 605 31 108 15 14 256 15 1 269 224 3.69 1.31
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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CPBL
  • 最優秀救援投手:2回(1994年、1995年)

記録

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NPB

背番号

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  • 37(1989年 - 1991年)
  • 2(1993年)
  • 16(1994年 - 1996年)

脚注

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  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、138ページ

関連項目

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外部リンク

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