峯 幸松(みね ゆきまつ、1873年明治6年)7月17日[1][2] - 1958年昭和33年)5月26日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将位階および勲等正五位勲二等

経歴

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長崎県出身[1][2][3]。旧大村藩士の士族峯麓の三男として生れる[1]。1896年(明治29年)5月、陸軍士官学校(7期)を卒業[2]、翌年1月歩兵少尉に任官し、歩兵第24連隊付となる[1][4]。1899年(明治32年)11月、歩兵中尉に昇進[1]。1903年(明治36年)2月、第10憲兵隊副官に就任[1]。1904年(明治37年)2月、韓国駐屯憲兵隊付となり、同年9月、憲兵大尉に進んだ[1]。1905年(明治38年)1月、遼東守備軍司令部付となる[1]

1905年12月、関東憲兵隊付となり、1906年(明治39年)4月から1909年(明治42年)10月まで清国応聘[1]。1909年12月、東京憲兵隊分隊長に転じ、1911年(明治44年)1月、憲兵少佐に昇進し旭川憲兵隊長に就任[1]。1912年(大正元年)9月、憲兵練習所長に転じた[1]。1914年(大正3年)12月、憲兵中佐に進み広島憲兵隊長に就任[1]第一次世界大戦において1915年(大正4年)7月から青島守備軍憲兵隊長となった[1][2][3]。1918年(大正7年)11月、京都憲兵隊長に転じ、1919年(大正8年)9月、憲兵大佐に昇進し憲兵司令部付となる[1][3]

1920年(大正9年)7月、関東憲兵隊長に就任し、1924年(大正13年)2月、陸軍少将に進級[1][2][3]第6師団司令部付を経て、1927年(昭和2年)3月、 憲兵司令官に就任[1][2][3]。1929年(昭和4年)8月、陸軍中将に進み、1931年(昭和6年)8月に待命となり、同月、予備役に編入された[1][2][3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『日本陸海軍総合事典』第2版、154頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』699頁。
  3. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』128頁。
  4. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』124、128頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。

参考文献

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  • 秦郁彦 編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。