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「屋島」の版間の差分

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屋島は[[平安時代]]は島であったが、江戸時代の大規模な[[塩田]]開発で陸続きのようになる。東岸と西岸の塩田跡の埋立地は住宅地・市街地に改変され、国の史跡及び天然記念物の「屋島」の指定地内に多くの人が集住している<ref name="fudoki">「屋島風土記」‐屋島文化協会発行</ref>。
屋島は[[平安時代]]は島であったが、江戸時代の大規模な[[塩田]]開発で陸続きのようになる。東岸と西岸の塩田跡の埋立地は住宅地・市街地に改変され、国の史跡及び天然記念物の「屋島」の指定地内に多くの人が集住している<ref name="fudoki">「屋島風土記」‐屋島文化協会発行</ref>。

香川県の拠点港のサンポート高松を散策される方々が、「髙松のダイヤモンドヘッド」だと称賛する<ref>「小さな満足の風景-THEかがわMay2003」-県広報誌、「東アジアで誇れる屋島が涙している-調査月報No.229」-百十四経済研究所発行</ref>。


==地形==
==地形==
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香川県を代表する観光地のひとつであるが、修学旅行の子供たちが訪れなくなり、[[瀬戸大橋]]開通時の賑わいを最後に、観光客が激減した。みやげ物店・宿泊施設が相次いで閉鎖された後、廃屋が林立する状況に至った<ref name="kihon"/>。[[大西秀人]]市長は屋島の活性化を宣言し、屋島活性化基本構想・屋島活性化推進計画を策定した。現在は廃屋撤去跡の整備他、種々の活性化策が展開されている。
香川県を代表する観光地のひとつであるが、修学旅行の子供たちが訪れなくなり、[[瀬戸大橋]]開通時の賑わいを最後に、観光客が激減した。みやげ物店・宿泊施設が相次いで閉鎖された後、廃屋が林立する状況に至った<ref name="kihon"/>。[[大西秀人]]市長は屋島の活性化を宣言し、屋島活性化基本構想・屋島活性化推進計画を策定した。現在は廃屋撤去跡の整備他、種々の活性化策が展開されている。

元『[[月刊タウン情報かがわ]]』編集長の[[田尾和俊]]は、屋島の観光客減少が問題とされていた時期に、「屋島をいたわる」という文脈の中で、高松中心街に対する屋島が、[[ハワイ]]の[[ホノルル]]に対する[[ダイヤモンドヘッド]]に類似しているという感想を述べ<ref>田尾和俊「[http://www.pref.kagawa.lg.jp/kohosi/0305/ 小さな満足の風景2 ダイヤモンド屋島]」香川県広報誌『THEかがわ』2003年5月号</ref>、百十四経済研究所([[百十四銀行]]が出資する[[シンクタンク]])発行の『調査月報』の2006年の記事にもダイヤモンドヘッドに喩える内容が見られる<ref>「東アジアで誇れる屋島が涙している」『調査月報』No.229(2006年3月20日発行)、第百十四経済研究所</ref>。


== その他 ==
== その他 ==

2014年11月3日 (月) 02:25時点における版

屋島
サンポートの高松シンボルタワーから
標高 南嶺292.1(北嶺282.0) m
所在地 香川県、高松市、屋島東・中・西町
位置 北緯34度21分20.5秒 東経134度6分16.7秒 / 北緯34.355694度 東経134.104639度 / 34.355694; 134.104639
山系 独立峰
種類 メサ(卓状地形)
プロジェクト 山
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屋島(やしま)は四国香川県高松市の東北に位置する卓状の独立峰。

特徴

屋島の名称は屋根のような形状に由来し、その独特の景観は高松市のシンボル・ランドマーク[1]となっている。

多島海が眺められる展望景観を山上に有し、1934年(昭和9年)3月16日、国立公園として初の瀬戸内海国立公園[2]に指定された。

白村江の戦いの4年後に屋嶋城が築かれ、山上の全域が城とされている。また、唐僧の鑑真が創建したとの伝承をもつ屋島寺がある。さらに、東岸の入江の一帯は源平合戦屋島古戦場である。その他、長崎鼻古墳・屋島経塚・長崎鼻砲台跡などを有し、1934年(昭和9年)11月10日、屋島全域が国の史跡「屋島」[3]に指定された。

屋島の山頂は平坦で、四周は急崖で囲まれたメサの標式的なものである。また、山頂近くの遍路道に露出した通称「畳石」は板状節理が美しいと、史跡指定と同日の1934年(昭和9年)11月10日、屋島全域が国の天然記念物「屋島」[3] に指定された。

ドライブウェイの通じた南嶺山上は香川県を代表する老舗観光地として開発されているが、北嶺山上は良好な自然公園として維持されている。両者は細い尾根で接続され、各々周回した歩行者専用の探勝遊歩道と南北嶺を縦走できる登山道が整備されている[4]

屋島は平安時代は島であったが、江戸時代の大規模な塩田開発で陸続きのようになる。東岸と西岸の塩田跡の埋立地は住宅地・市街地に改変され、国の史跡及び天然記念物の「屋島」の指定地内に多くの人が集住している[5]

地形

サンポート高松の埠頭より
北方海上から長崎の鼻を望む
南方山麓の赤牛崎から冠ケ嶽を望む

屋島は南北5キロメートル・東西3キロメートルのであり、南嶺の標高は292m[6]、北嶺の標高は282m、両者は細い尾根で接続されている。山頂部は平坦、その端は讃岐岩質安山岩(古銅輝石安山岩)の急崖で囲まれたメサである[7]

塩田跡は埋め立てられ、短い多くの橋が架かり、散策だけで島を認識することは困難である。法定区分では高松市を形成する四国本島の扱いであるが、相引川(幅10mほどの河川)で分離されている[5]

香川県は「屋島」を筆頭とするメサと、「飯野山(讃岐富士)」を筆頭とするビュートの山が多く存在し、特異な景観を有す[8]

東側から望む源平古戦場跡

歴史

白村江の戦い(663年)の大敗の後、中大兄皇子(天智天皇)が、新羅の侵攻に備え、対馬~九州の北部~瀬戸内海~大和に至る要衝に、様々な防御施設を築いたことが日本書紀に記述されている。古代山城の屋嶋城は667年(天智天皇6年)に築かれている[9]。しかし、山上に遺構が見あたらず、南北嶺の境の谷を塞いだ石塁が唯一の遺構で、何人も明確に説明できない幻の城であった。1998年、南嶺山上の石塁の発見を契機に城門跡が発掘され、山上の城の存在が明確になった[9]

屋島は源平合戦の「摂津一ノ谷の戦い」に破れた平氏が、安徳天皇を奉じて根拠としており、翌年の1185年(元暦2年2月)に起こった「讃岐屋島の戦い」の古戦場として知られる。平家物語他、この戦いで源氏方の那須与一が平氏方の軍船に掲げられた、の的を射落としたエピソードなどが知られる[5]

観光

獅子霊巌から望む高松市内の夜景
冠ケ嶽から讃岐平野を望む

山上は南嶺と北嶺ゾーンに区分できる。南嶺には四国八十八箇所第84番札所の屋島寺・蓑山大明神(祭神は太三郎狸)・屋島寺宝物館・新屋島水族館がある。また、2015年の公開を目指し、屋嶋城の城門復元工事が進められている。                       

南嶺の獅子霊巌(ししのれいがん)からの高松市街・五色台瀬戸大橋・琴平山(象頭山)、談古嶺(だんこれい)からの源平屋島古戦場・五剣山、北嶺北端の遊鶴亭(ゆうかくてい)からの多島海の眺望は美しくしく、三大展望所とされている。また、夕夜景の展望景観の評価も高い[10]

南北嶺の山上は歩行者専用の探勝遊歩道が周回しており、北嶺北端の遊鶴亭に加え、南嶺南端の冠ケ嶽で阿讃の山並を楽しむ散策者もいる[11]。また、岡山県の鷲羽山などの山並みと兵庫県の南西部の山並みに加え、淡路島も遠望できる。さらに、晩秋から冬季は剣山や明石大橋も視野に入る。

四季を通して観光客・お遍路さん・登山客[12]の絶えることのない観光地の屋島は、県下の小・中学生の学習場所として活用され、県民も散策や縦走登山などを楽しむ[13]

名物は「いいだこおでんかわらけ投げ」などがある。

日本三名狸の一つである太三郎(たさぶろう)狸は、屋島寺の境内にまつられている。井上ひさしの小説『腹鼓記』、アニメーション映画『平成狸合戦ぽんぽこ』では、屋島の禿狸として知られる。

屋島ドライブウェイは南嶺東斜面を縦走し、中腹に下っているように見えるが、上っている坂がある。

ドライブウェイの料金所の山側には、祭神が徳川家康松平頼重屋島神社(讃岐東照宮)と四国民家博物館(四国村)がある。

東岸の入江(屋島湾)と、入江を囲む屋島東町・牟礼町庵治町・屋島の南に隣接した高松町が、源平合戦の屋島古戦場である。歴史と数々のエピソードを有する平家物語他が織り成す史跡が点在する[5]

山上は南嶺の駐車場を除いて歩行者天国、自転車・自動車の走行は許可申請を要する。

香川県を代表する観光地のひとつであるが、修学旅行の子供たちが訪れなくなり、瀬戸大橋開通時の賑わいを最後に、観光客が激減した。みやげ物店・宿泊施設が相次いで閉鎖された後、廃屋が林立する状況に至った[1]大西秀人市長は屋島の活性化を宣言し、屋島活性化基本構想・屋島活性化推進計画を策定した。現在は廃屋撤去跡の整備他、種々の活性化策が展開されている。

元『月刊タウン情報かがわ』編集長の田尾和俊は、屋島の観光客減少が問題とされていた時期に、「屋島をいたわる」という文脈の中で、高松中心街に対する屋島が、ハワイホノルルに対するダイヤモンドヘッドに類似しているという感想を述べ[14]、百十四経済研究所(百十四銀行が出資するシンクタンク)発行の『調査月報』の2006年の記事にもダイヤモンドヘッドに喩える内容が見られる[15]

その他

  • 談古嶺では、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」ロケ地で四国本島最北端の庵治町は眼下に、映画「二十四の瞳八日目の蝉」ロケ地の小豆島も一望できる。
  • 屋島の国有林は「レクリエーションの森の風景林」[16]として管理されている。
  • 遊歩百選」に「屋島」として選定されている。
  • 美しい日本の歩きたくなるみち500選」に「源平合戦史跡を巡るみち」として選定されている。
  • 山麓には、うどんの「わら屋」・骨付き鳥の「一鶴」・「やしま第一健康ランド」などがある。
  • 髙松市のシンボル屋島は、市庁舎の入口正面壁画と市議会議場の正面どん帳に描かれている。また、市内の多くの小・中学校や高校の校歌の歌詞に採用[17]されている。
  • 新作オペラ「扇の的」が、高松市のサンポートホール髙松(会館10周年記念事業)で初演され、好評であった。(四国新聞2014年5月18日・同20日・同22日・同9月17日閲覧)

アクセス

山上へは、屋島山上行きシャトルバス・タクシーの利用、または自動車で有料道路の屋島ドライブウェイを利用、あるいは徒歩の方法がある。シャトルバス・タクシーの利用は、JR高徳線屋島駅または高松琴平電気鉄道志度線琴電屋島駅が最寄駅となる。徒歩の場合は、琴電の潟元駅・屋島駅またはJR屋島駅で下車、高松市立屋島小学校の前を通り、歩行者専用の登山道(参道・遍路道・四国の道・県道)を登る。尚、屋島ケーブル2004年に廃止される。

出典

参考文献

  • 「自然公園への招待」・「国立公園(年間10誌刊行)」‐ 自然公園財団発行

脚注

  1. ^ a b 「屋島活性化基本構想」- 2013年1月、高松市
  2. ^ 瀬戸内海国立公園 - 環境省
  3. ^ a b 国指定文化財等データベース- 文化庁
  4. ^ 香川県は「瀬戸内海国立公園 屋島案内図」の説明板を、山上の遊歩道と山麓の要所に設置している
  5. ^ a b c d 「屋島風土記」‐屋島文化協会発行
  6. ^ 国土地理院基準点成果等閲覧サービス
  7. ^ 「讃岐ジオサイト探訪」‐香川大学生涯学習教育研究センター発行
  8. ^ 「里山に遊ぶ」‐里山悠遊クラブ・自然探訪の会発行、「香川県の謎解き散歩」‐新人物往来社発行
  9. ^ a b 「高松市埋蔵文化財調査報告書 第62集 史跡天然記念物屋島」‐高松市教育委員会発行
  10. ^ 日本の夕日百選選考委員会、日本夜景遺産事務局、新日本三大夜景・夜景100選事務局の選定地
  11. ^ 「香川県の歴史散歩」‐山川出版社発行、「屋島ナビ」‐高松市
  12. ^ 「香川県の山」‐山と渓谷社発行、「屋島ナビ」‐高松市
  13. ^ 「野山への招きPARTⅢ」‐高松市ハイキング協会発行、「屋島ナビ」‐高松市
  14. ^ 田尾和俊「小さな満足の風景2 ダイヤモンド屋島」香川県広報誌『THEかがわ』2003年5月号
  15. ^ 「東アジアで誇れる屋島が涙している」『調査月報』No.229(2006年3月20日発行)、第百十四経済研究所
  16. ^ 四国の「レクリエーションの森」 - 林野庁
  17. ^ 大山 晃著「髙松の校歌」高松市図書館発行

外部リンク

関連項目