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吉野トヨ子

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吉野トヨ子

吉野 トヨ子(よしの トヨこ、1920年大正9年)2月12日 - 2015年平成27年)1月24日)は、日本陸上競技選手。ヘルシンキオリンピックメルボルンオリンピック陸上女子円盤投代表。元円盤投日本記録保持者、五種競技日本記録保持者。

来歴

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北海道網走市出身。香蘭高等女学校(現在の香蘭女学校中等科・高等科)、中京高等女学校家事体操専攻科(現:至学館大学)卒業[1][2]

戦前はスプリンターとして活躍。1938年、マルチな身体能力を生かし五種競技で237点の日本新記録を樹立した。

戦後は投てきに転向し、円盤投と砲丸投に活躍。1950年、関東選手権で円盤投に出場し、42m58の日本新記録を樹立した。1951年アジア競技大会に出場し、円盤投・砲丸投・やり投で金メダルを獲得した[3][4]。 1952年、ヘルシンキオリンピックで円盤投に出場し、4位入賞を果たす。同年、平和台リレーカーニバルで43m63の日本新記録を樹立している。1954年アジア競技大会に出場し、円盤投・砲丸投で金メダルを獲得した[3][4]。 1956年、メルボルンオリンピックに出場。

日本選手権では100メートル、走幅跳、砲丸投、円盤投、五種競技、リレーを合わせて22回もの優勝を果たしており、これは山内リエ24回に次ぐ日本選手権優勝記録である[5]。また、円盤投8連覇、砲丸投5連覇も達成している。

現役中から山梨県庁職員を務め、1957年の引退後は後進の指導に手腕を発揮した。後に埼玉県に移住し、埼玉県教育委員会に勤務。定年まで勤めた。

後年、マスターズ陸上に参加。1987年、W65クラス円盤投に出場し、24m90の日本マスターズ新記録を樹立。1990年にはW70クラスで25m80を投てきし、このクラスでも日本マスターズ新記録を樹立した。

脚注

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  1. ^ 中京女子大学同窓会ニュース 1990・10・1 No.10” (PDF). 至学館大学同窓会. 2020年6月28日閲覧。
  2. ^ オリンピック出場記録”. 至学館大学 同窓会. 2020年6月28日閲覧。
  3. ^ a b Toyoko Yoshino”. olympedia. 2024年8月16日閲覧。
  4. ^ a b Asian Games Results”. GBR Athletics. 2024年8月16日閲覧。
  5. ^ #日本陸上競技史650-679頁

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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