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バックマン・ターナー・オーヴァードライヴ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バックマン・ターナー・オーヴァードライヴ
1991年、 スウェーデン エレブルーでのライヴ。左からランディ・バックマン、C.F. ターナー、ブレア・ソーントン、ロビー・バックマン。
基本情報
出身地 カナダの旗 カナダ
マニトバ州 ウィニペグ
ジャンル ハードロック
活動期間 1973年 - 1979年、1983年 - 2005年
レーベル マーキュリーMCA、Curb
メンバー ランディ・バックマン
C.F.ターナー
ミック・デラ・ヴィー
マーク・ラフランス
ブレント・ハワード
旧メンバー ロビー・バックマン
ティム・バックマン
ブレア・ソーントン
ジム・クレンチ
ゲイリー・パターソン
ビル・チャップマン
ランディ・マーレイ

バックマン・ターナー・オーヴァードライヴ(Bachman-Turner Overdrive)はカナダのロック・バンド。B.T.O.あるいはBTOとも略される。元ゲス・フーのランディ・バックマンを中心に1973年に結成された。

1970年代に全世界で3000万枚のアルバムを売り上げ、米ビルボード・ヒットチャートにおいて6曲のナンバー40ヒットを記録した[1]

来歴

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1971年、ゲス・フーを脱退したランディ・バックマン(G,V)は、同じく元ゲス・フーのチャド・アラン(Key,V)、弟ロビー・バックマン(D)とブレイヴ・ベルト(Brave Belt)を結成[2]して、同年デビュー・アルバム[3]を発表。翌1972年にはC.F.ターナー(B,V)を迎えてセカンド・アルバム[4]を発表した。その直後にアランが脱退し、もう一人のバックマン兄弟[注釈 1]である弟ティム・バックマン(G)が参加。

1973年、ブレイヴ・ベルトはバンド名をバックマン・ターナー・オーヴァードライヴと変え、5月にファースト・アルバム『バックマン・ターナー・オーヴァードライブ』、12月にセカンド・アルバム『バックマン・ターナー・オーヴァードライブ II』をリリース。後者は米ポップアルバムチャートの4位、シングルカットされた「仕事に御用心」(原題「Takin' Care of Business」)が米ビルボード12位、「レット・イット・ライド」が同23位となる。

1974年、ティム・バックマンが脱退。ブレア・ソーントン(G)を迎えてツイン・リード・ギター体制となり、同年9月に『驚異のロックン・ロール・マシーン ノット・フラジャイル』を発表する。同アルバムは米ポップアルバムチャートの1位となり[5]、シングル「恋のめまい」(原題「You Ain't Seen Nothing Yet」)が米ビルボード1位[注釈 2]、英ヒットチャート2位[6]。「ハイウェイをぶっ飛ばせ!」(原題「Roll On down the Highway」)が米ビルボード14位を記録。彼等はトップ・バンドの地位を得た。

1975年5月発表のアルバム『四輪駆動』は前作の延長線上にあるともいえ[7]、米ポップアルバムチャート5位となり「ヘイ・ユー」のシングルヒットを生んだ。同年12月、以前よりもポップ色の強い『ヘッド・オン』をリリース。米ポップアルバムチャート23位となり、「テイク・イット・ライク・ア・マン」、「ボサノバNo.1」(原題「Lookin’ Out for #1」)[注釈 3]のシングルヒットを生んだ。1976年10月末から11月にかけて日本公演を行ない、その模様を1977年に『ジャパン・ツアー/B.T.O.ライブ・イン・ジャパン』[注釈 4]としてカナダと日本で発表した[8]

1977年2月、『爆走フリーウェイ』をリリースするが、ランディ・バックマンは他のメンバーとの音楽的志向のずれが深まり脱退した。

ターナーはサイド・ギターにコンバートし、ジム・クレンチ(B,V)を迎えてバンド名もBTOと短縮して[2]再出発を計り、『ストリート・アクション』(1978年)、原点回帰的な『ロックン・ロール・ナイツ』(1979年)をリリースするが、いずれもセールスは伸びず、ツアー後にバンドは解散する。

1983年、ランディ・バックマン、ティム・バックマン、ターナーのオリジナル・メンバー3名にゲイリー・パターソン(D)が加わって再結成し、スタジオアルバムとライヴアルバムをリリース。その後ランディ、ロビー、ターナー、ソーントンの最盛期のメンバーでの再結成なども行うが、いずれも散発的で2005年には再び解散してしまう。

2009年、ランディ・バックマンはターナーとプロジェクト的なバックマン&ターナー[9]を結成。ライヴではバックマン・ターナー・オーヴァードライヴの曲の再演などを行った。

2023年1月、ロビー・バックマン死去。享年69歳。

2023年4月、ティム・バックマン死去。享年71歳。

ディスコグラフィ

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(邦題はLPリリース時、""内は原題)

スタジオ・アルバム

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  • 『バックマン・ターナー・オーヴァードライブ』"Bachman–Turner Overdrive" (1973年)
  • 『バックマン・ターナー・オーヴァードライブ II』"Bachman–Turner Overdrive II"(1973年)
  • 『驚異のロックン・ロール・マシーン ノット・フラジャイル』"Not Fragile"(1974年)
  • 『四輪駆動』"Four Wheel Drive"(1975年)
  • 『ヘッド・オン』"Head On"(1975年)
  • 『爆走フリーウェイ』"Freeways"(1977年)
  • 『ストリート・アクション』"Street Action"(1978年)
  • 『ロックン・ロール・ナイツ』"Rock n' Roll Nights"(1979年)
  • "Bachman-Turner Overdrive"(1984年)

ライヴ・アルバム

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  • 『ジャパン・ツアー/B.T.O.ライブ・イン・ジャパン』"B.T.O. Live – Japan Tour"(1977年)
  • "Live!-Live!-Live!"(1986年)
  • "King Biscuit Flower Hour: Bachman-Turner Overdrive"(1998年)

日本公演

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1976年

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  • 10月29日 福岡・九電記念体育館
  • 10月31日 大阪・大阪厚生年金会館(2回)
  • 11月2日 名古屋・名古屋市公会堂
  • 11月4日 東京・日本武道館

脚注

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注釈

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  1. ^ ランディ(1943年生まれ)、ティム(1951年生まれ)、ロビー(1953年生まれ)。
  2. ^ 全米1位を記録したカナダのアーティストとしては、1972年に「孤独の旅路英語版」を発表したニール・ヤングの以来だった。
  3. ^ 日本では「愛にさまようロックン・ローラー」(原題「Find Out About Love」)のB面。
  4. ^ 11月4日に行なわれた日本武道館での東京公演の音源を、1枚組に編集したアルバム。曲順は実際の演奏順番と異なる。

出典

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  1. ^ Bachman-Turner Overdrive: Rock is my life, this is my song,Martin Melhuish,1976,ISBN 9780846701040
  2. ^ a b Discogs Bachman-Turner-Overdrive[1]
  3. ^ Discogs”. 2024年8月27日閲覧。
  4. ^ Discogs”. 2024年8月27日閲覧。
  5. ^ allmusic.com bachman-turner-overdrive biography[2]
  6. ^ ChartArchive - Bachman-Turner Overdrive - You Ain't Seen Nothing Yet[3]
  7. ^ 『ロック貴重盤 1967~1979』 シンコーミュージック・エンタテイメント、1988年、ISBN 4401612639
  8. ^ Discogs”. 2024年8月27日閲覧。
  9. ^ Discogs”. 2024年8月27日閲覧。