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ヤンヤン歌うスタジオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヤンヤン歌うスタジオ
番組のオープニングで映し出されていた東京タワー
ジャンル 音楽バラエティ番組
出演者 あのねのね
片岡鶴太郎
男闘呼組
ほか
ナレーター 小倉智昭
堀敏彦
オープニング 「ヤンヤン・ロック」(あのねのね)
製作
プロデューサー 沼部俊夫、渡辺つとむ
工藤忠義
製作 テレビ東京(開始当時は東京12チャンネル)
放送
音声形式モノラル→ステレオ放送1984年1月~)
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1977年9月25日 - 1987年9月27日
放送時間日曜 19:00 - 19:54
放送分54分
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ヤンヤン歌うスタジオ』(ヤンヤンうたうスタジオ)は、1977年9月25日から1987年9月27日までテレビ東京(開始当時の局名は東京12チャンネル)で放送されていた音楽バラエティ番組である。略称「ヤンスタ」。放送時間は毎週日曜 19:00 - 19:54 (日本標準時)。

概要

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番組放送開始の2年半前に木曜19時台で放送されていたフォーリーブス司会の『歌え!ヤンヤン!』が前身で、同番組のバラエティ色をより強める趣旨から、番組リニューアルの形で『ヤンヤン歌うスタジオ』がスタートした。

番組は毎回、様々なアイドルグループをゲストに招いてコントを行ったり、楽屋や控え室などでのトークを放送したりしていた。番組の最後には「今日の○曲目は?」という視聴者クイズを出題していたが、一部のネット局と番組販売扱いで遅れ放送されていた局ではカットされていた。

放送開始から9年間の司会とナレーターはあのねのね(清水國明原田伸郎)と、当時東京12チャンネルのアナウンサーだった小倉智昭が務めていたが、1986年11月2日放送分より片岡鶴太郎と、当時タレントだった堀敏彦がそれぞれ司会とナレーターを交代、テコ入れとしてコーナーのリニューアルが行われたが、10か月後の1987年9月27日放送分をもって番組開始から10年、前身の『歌え!ヤンヤン!』から続いた15年の歴史に幕を下ろした。

なお、番組第1回の1曲目はキャンディーズの「アン・ドゥ・トロワ」、最終回の1曲目は光GENJIの「STAR LIGHT」、最後の曲は近藤真彦の「泣いてみりゃいいじゃん」だった。

番組終了後のヤンヤンシリーズ

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後番組として、1987年10月4日に光GENJIゆうゆらをメインキャストに据えた『歌え!アイドルどーむ』がスタートしたが1年で終了、その後バラエティ路線を強化した『歌え!ヒット・ヒット』に引き継がれるも、半年で終了した事から音楽番組枠の廃枠が決定した為、同番組の最終回をもって幕を閉じる事になった。

また、番組終了から1年後の1988年10月4日には、火曜19時台で「ヤンヤン」の名を冠した時代劇バラエティ『カッ飛び!ヤンヤン姫』がスタートしたが、同番組はわずか3か月で終了。それから1年6か月後の1990年7月には、日曜11時台でSMAP出演の『ヤンヤンもぎたて族』がスタートしたが、これも3か月で終了した。それ以後は長らく「ヤンヤン」の名を冠した番組は放送されていなかったが、20年半後の2011年4月2日に、土曜18時台でHey! Say! JUMP出演の『ヤンヤンJUMP』がスタート。途中で別の時間帯へ移動されたものの、同番組は2年以上にわたって放送された。

1995年4月16日には、本番組の復活企画として『ヤンヤン歌うスタジオ同窓会』が19時から3時間にわたって放送された。そして約19年後の2014年3月2日には、『モヤモヤさまぁ〜ず2』をベースに制作された『50年のモヤモヤ映像大放出! この手の番組初めてやりますSP』内で本番組の復活特集が放送され、初代司会のあのねのねと常連ゲストだった布川敏和松本伊代早見優堀ちえみが出演した。

テレビ東京系列で年に数回単発特番として放送される『懐かしの昭和メロディ』においても、本番組の映像が放送素材に用いられることがある。

2015年11月27日には中野サンプラザホールにて本番組の復活イベント『ヤンヤン歌うスタジオ 復活コンサート』が開催され、その模様はBSジャパンで同年12月13日19時から2時間特番として放送された。司会は、あのねのね(清水国明・原田伸郎)。出演は、柏原芳恵、早見優、香坂みゆき、松本伊代、竹本孝之渋谷哲平ブラザー・コーン森口博子桑田靖子笠浩二C-C-B)、布川敏和、清水アキラ栗田貫一[1]

出演者

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司会

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  • あのねのね - 初代。1986年10月26日放送分まで出演。
  • 片岡鶴太郎 - 2代目。1986年11月2日放送分から最終回まで出演。

レギュラー

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あのねのね司会時代

片岡鶴太郎司会時代

ナレーター

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  • 小倉智昭(当時東京12チャンネルアナウンサー) - 初代。あのねのね司会時代のナレーター。同窓会SPおよび復活コンサートも担当。
  • 堀敏彦(当時タレント) - 2代目。片岡鶴太郎司会時代のナレーター。

演奏(一週でも担当したことのあるバンド)

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  • 浜田豊光とビックサウンズ
  • 松本文男とミュージック・メッカーズ
  • チャーリー石黒と東京パンチョス
  • 豊岡豊とスイングフェイス


  • 管弦楽団:フレッシュアンサンブル
  • コーラス:ミッシェル

番組構成

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オープニング

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オープニングは、愉快なテーマ曲に合わせて、当時のテレ東本社(現東京タワースタジオ)の近くにある東京タワーをバックにタイトルロゴが出てくるというものだった。タイトルロゴ後に流れるあのねのねが唄うテーマソングは「ヤンヤンロック」というタイトルで、1979年にシングル盤「ネコ・ニャンニャンニャン」のB面に収録・音源化されている[2]現在入手できるCD)。

1986年の番組リニューアル後は、あのねのね降板に伴いテーマソングを男闘呼組が唄う曲に変更された。

バラエティコーナー

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  • マッチの映画館
  • ねのねの何でも修行中!
  • ネコニャン映画劇場 → お猿の映画劇場
  • これらのほか、「アイドル水泳大会」をスペシャル番組扱いで時々実施していた。

ドラマコーナー(5分枠)

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  • マッチの燃えろ!青春 PART1 - PART5 (近藤真彦、PART2のみ少年隊、PART4のみ水野きみこ
  • マッチの青春叛逆児(アウトロー) PART1 - PART2 (近藤真彦、川﨑麻世宇治正高、PART2のみ東山紀之、PART2のみ岡田有希子
  • マッチの青春すくらんぶる PART1 - PART2 (近藤真彦、岡田有希子、PART1のみ川﨑麻世、PART2のみジャニーズJr.の石丸志門)
  • 野良犬伝説 PART1 - PART2 (近藤真彦、少年隊)
  • 野性誕生(男闘呼組、片岡鶴太郎)
  • Be!Boys ― 未完成青春曲(男闘呼組)

ネット局と放送時間

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遅れネット局も含む。

スタッフ

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レギュラー版

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制作

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  • プロデューサー:沼部俊夫、工藤忠義、渡辺つとむ
  • 演出:川原慎、橋山厚志、丸山明慶、只野研治、伊藤成人、小川治、他
  • 作・構成:玉井冽沢口義明矢頭浩、笠博勝、小峰正博、他
  • 音楽:氏平光昭、ミック・リチャード
  • テーマ曲:あのねのね
  • AD:多田暁
  • T・K:宮本美智子、藤本恵子、山本美幸

技術

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  • 技術(TD):本堂皓二
  • カメラ:小倉信夫、石黒冨男 他
  • 映像:金森美樹
  • 照明:萩原征四郎 他
  • 編集:大石康弘
  • 音声:坂垣忠利 他
  • 効果:小関尚孝 他
  • MA:サウンドユニバース 岩﨑康秀

美術

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  • 美術:宇都木民雄 他
  • 美術進行:斎藤幸雄 他
  • 大道具:松山勝彦 他
  • 小道具:伊藤則緒 他
  • タイトル:柴谷寧

メイク

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  • 衣裳:鈴木正明
  • 美粧:川野千鶴

復活企画『ヤンヤン歌うスタジオ同窓会』

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  • 企画:工藤忠義
  • 構成:玉井貴代志、安延拓美
  • 振付:水口徳雄
  • 踊り:スクールメイツ
  • 技術:犬飼正
  • 映像:不二俊典
  • カメラ:見辺信一
  • 照明:山本勉
  • 音声:佐竹忠臣
  • 音効:小関尚孝(OPUS-1)
  • TK:宮本美智子
  • 美術デザイン:宇都木民雄
  • 美術進行:高橋昭三
  • 編集:上野俊彦(芝公園ビデオセンター)
  • MA:松本晃一(芝公園ビデオセンター)
  • ロケ技術:コールツプロダクション
  • 協力:都イン・東京、三崎商事グループ
  • 映像資料:テレビ東京映像センター
  • 映像制作:高橋秀夫、中川義規(ヴィジュアルベイ)
  • 演出補:山地孝英、生川薫
  • プロデューサー:斧賢一郎、丸山明慶
  • 演出:伊藤成人
  • 製作著作:テレビ東京

関連商品

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当番組の映像を収録した商品は以下のものがある。

脚注

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  1. ^ BSジャパン『ヤンヤン歌うスタジオ 復活コンサート』
  2. ^ 後にオムニバスCD『青春TV倶楽部<バラエティー編> 』(2009年、日本コロムビア)に収録された。
  3. ^ 岩手日報』1983年9月テレビ欄
  4. ^ a b 福島民報』1983年9月テレビ欄
  5. ^ 『福島民報』1985年10月各日朝刊テレビ欄
  6. ^ 秋田魁新報』1983年9月テレビ欄
  7. ^ 新潟日報』1983年9月テレビ欄
  8. ^ 『新潟日報』1985年10月各日朝刊テレビ欄
  9. ^ a b 『北國新聞』1983年9月テレビ欄
  10. ^ 北國新聞』1984年5月18日付朝刊、テレビ欄。
  11. ^ 『北國新聞』1984年3月30日付朝刊、テレビ欄。
  12. ^ 山梨日日新聞』1983年9月テレビ欄
  13. ^ 信濃毎日新聞』1983年9月・1985年10月各日朝刊テレビ欄
  14. ^ 中日新聞縮刷版』中日新聞社、1983年3月26日。 テレビ愛知への移行ではなく、途中打ち切りという形で終わっている(テレビ愛知の開局は5か月後の同年9月1日)。
  15. ^ 終了時刻に関しては若干の変動あり。おおむね53分 - 55分の間で変動。なお「歌え!ヤンヤン」は同じ日曜19:00から時差ネットされていた時期がある。
  16. ^ なお岐阜放送ではラジオの「ヤングスタジオ1431」もヤンスタと呼ばれており、同局では2つのヤンスタが並行して放送されていた。
  17. ^ a b 徳島新聞』1983年9月テレビ欄
  18. ^ 『徳島新聞』1983年12月テレビ欄
  19. ^ 山陰中央新報』1983年9月・1985年10月各日朝刊テレビ欄
  20. ^ 山陽新聞』1983年9月テレビ欄
  21. ^ 山陽新聞』1983年12月各日テレビ欄
  22. ^ a b 熊本日日新聞』1983年9月テレビ欄
  23. ^ 宮崎日日新聞』1985年10月各日朝刊テレビ欄
  24. ^ 沖縄タイムス』1985年10月各日朝刊テレビ欄
東京12チャンネル → テレビ東京 日曜19:00枠
前番組 番組名 次番組
ヤンヤン歌うスタジオ
(1977年9月25日 - 1987年9月27日)
歌え!アイドルどーむ
(1987年10月4日 - 1988年9月25日)