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大田原政継

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大田原政継
時代 江戸時代
生誕 慶長18年(1613年
死没 天和3年3月13日1683年4月9日
別名 出雲、掃部
戒名 宗徳
墓所 芳朝寺
氏族 大田原氏
父母 父:大田原増清
大田原晴清
政増政乗小長谷時光政治岡本義住
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大田原 政継(おおたわら まさつぐ)は、江戸時代前期の武将下野国那須郡森田大田原氏交代寄合)の二代目当主。

略歴

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森田大田原氏の創始大田原増清の子として生まれる。

元和7年(1621年5月5日に9歳で徳川秀忠に謁見。寛永8年(1631年)19歳にて森田大田原氏の家督を継ぐ。寛永17年(1640年)に今市御舘の修造を務めたのをきっかけに、しばしば日光山普請を請け負う。

延宝3年(1675年5月16日に隠居、天和3年(1683年3月13日に森田の地で没する。享年71。

参考文献

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  • 森田大田原氏系譜