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択捉型海防艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
択捉型海防艦
択捉型1番艦「択捉」(1943年)
択捉型1番艦「択捉」(1943年)
基本情報
艦種 海防艦
命名基準 島名
運用者  大日本帝国海軍
建造期間 1943年 - 1944年
建造数 14隻
前級 占守型海防艦
次級 御蔵型海防艦
要目
基準排水量 870 t
全長 77.70 m
水線長 76.20 m
最大幅 9.1 m
吃水 3.0 m
主機 22号10型ディーゼル 2基2軸
出力 4,200馬力
最大速力 19.7ノット(36.48km/h
航続距離 16ノットで8,000海里
燃料 重油
乗員 150名
兵装 三年式45口径12センチ単装平射砲x3基
25mm連装機銃x2基
九四式爆雷投射機x1基
爆雷投下台x6基
爆雷x36個
掃海具
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択捉型海防艦(えとろふがたかいぼうかん)は、日本海軍第二次世界大戦において運用した海防艦である。占守型海防艦を原型とし、南方航路の船団護衛に用いられた。計画名は占守型とおなじく甲型であり、艦艇類別等級別表における公式類別上は占守型に属する[1]が、基本計画番号はE19と異なる。1943年から1944年にかけて同型艦14隻が就役している。

概要

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太平洋戦争の開戦をにらみ、日本は緒戦で占領予定の南方地域からの資源輸送について、その航路護衛兵力が不足していることに気が付いた。そのため、長大な航続距離をもつ占守型海防艦を新規護衛艦の原型とすることに決定し、昭和16年度戦時建造計画(マル急計画)において30隻の建造が計画された。択捉型の基本設計は1941年(昭和16年)10月10日に決定され、建造が開始された。うち、1942年2月14日の海防艦乙型の設計完了により16隻が海防艦乙型(御蔵型)として建造されることになり、さらにそのうち1943年7月5日の海防艦改乙型(日振型鵜来型)の設計完了により8隻が海防艦改乙型として建造されることになる。

占守型をわずかに簡易化しただけのものであり、戦時に必要である設計の簡素化・工期の短縮はほとんど行われなかった。占守型との相違点は、爆雷搭載数の増加(18個→36個)、および艦首の簡易化・直線化、軍艦籍でないことによる居住設備の簡略化などである。しかし、南方航路への投入が計画されていたにもかかわらず、暖房用の補助缶は搭載されたままであった。工期は、平均11ヶ月であった。

本型の評価は、本来の目的であった戦時急造が行えなかった事と、初期の設計では対潜対空兵装が不足していたことから、必ずしも高いものではない。

同型艦

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脚注

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  1. ^ 昭和19年6月5日付 海軍内令 第738号
  2. ^ 海軍大臣達「5月(3)」第6画像 (昭和18年5月25日付 海軍大臣達第121号)
  3. ^ #達昭和18年1月pp.25-26『達第十六號 昭和十六年度及昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦六隻、海防艦一隻、掃特務艦一隻及特務艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年二月五日 海軍大臣嶋田繁太郎|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 涼波(スズナミ) 海防艦 福江(フカエ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十四潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十五潜水艦|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 呂號第四十潜水艦|三井造船株式會社ニ於テ建造 呂號第四十六潜水艦|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 呂號第百十二潜水艦 呂號第百十三潜水艦|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十七號掃海艇|株式會社大阪鐡工所ニ於テ建造 特務艦 荒埼(アラサキ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 特務艇 前島(マエジマ)』

参考文献

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  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第一法規出版、1995年。
  • アジア歴史資料センター(公式)
    • レファレンスコード:C12070118900 『海軍大臣達「5月(3)」』(昭和18年5月)
    • 『昭和18年1月~8月 達(防衛省防衛研究所)』。Ref.C12070118200。 

関連項目

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